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「話」を売り買いする学生BAR『話場』が出来るまでの話

プロローグ

何故か覚えてる幼い頃の記憶とか今日見た夢の話とかどうでもいい話に意味があると昔から思っていました。
誰とでも仲良くなりたい小学生でした。
部活に力を入れながら、人前でネタをして、
話す人が沢山いて、傍から見たら陽キャなのに何故か友達が居ないと泣きながら帰っている変な中学生でした。
勉強から走って逃げて、陸上だけに絞って、走り続けたら、病んで鬱になって、全てを諦めた高校生でした。
勉強嫌いで、部活は本気でやりきれない。
でも、幼少期から本だけは読んできました。
沢山の「話」に救われてきました。

ノリと勢いで行けるとこまで生きる

コロナ禍で卒業式が中止となり、入学式もありませんでした。オンライン授業に嫌気がさして、パソコンを閉じました。一度も通学しないまま夏休みを迎え、前期のGPAは0.04でした。
そんな中でも仙台市の子育て支援施設スタッフとして中高生の居場所作りに全力を注いでいました。中高生の悩みや日々の話を聞いたり、イベントを企画運営したり、中高生をゲストにラジオもしてました。その他にも子どもたちが自由に遊べる場所を作ってる団体TOMI+(富谷市まちづくり産業交流プラザ)まちづくりや創業支援をしている会社でインターンをしました。何を思ったのか1ヶ月漁師体験をしたり、田舎でDIYしたり、M-1グランプリに出たりもしました。

誰かのきっかけのきっかけになる

気が狂ったのか、大学3年の秋、大学祭の次の日から大学の中庭に居座り始めた。

レジャーシートとイスとギター

コロナ禍でオンラインが主流になったがどうしてもリアルな場にこだわりたかった。最初は友達や後輩だけだった。明らかに変人扱いされてが少しずつ、興味を持つ人が増えてきて、約1か月間でのべ100人が集まった。雪が降る中でもやったが流石に寒かったのでやめた。

優柔不断モラトリアム

冬になるとまた迷走が始まった。YouTube、ラジオに出てみたり、NPOの正会員になったり、学生と社会人の交流会したり、ボランティアしたり、子供まつりしたり、読書会したりもした。そんな中でも焚き火ティーとStartupWeekendに参加したことで自分の中にある何かが見えてきた。

シラフで酔ってるコミュニティが0.5の繋がりを作る

自分の中にある何かが形になったのが『まちのRPG』だ。 お店の人と話をして、どこに行くか決めてもらいながら、石巻の市街地をRPGの様に練り歩くイベントだ。自分のやりたいことがやっと形になった。でも、migakibaというプログラムで半年かけて、実現したのに続かなかった。もう一度開催したいと思うが言語化出来ない点が多すぎた。

チラシ

尚絅に火を灯す

大学4年生になって、大学で焚き火を始めた。中庭にいた時、中心になるのは自分だった。なんだか違う気がして、ギターを弾き始めた。そしたら、音が中心になった。音楽があるから一人でも居れたし、人が集まってきた。でも、話が少なくなった。
だから、たき火をしようと思った。

第一回 2023年5月26日

週一でたき火会をしていった。火を中心にしたら、自分が居なくても、人が集まるようになった。学年、学類が違う学生が集まり、たまに職員さんや先生も来てくれるようになった。

湧雅に生きる!

火を灯してから、自分のやりたい事が出来るようになってきた。スナックを貸し切って、一日BARをしたり、TOMI+5周年祭の実行委員長したり、アイデアソン作ったり、ファシリテーターをしたり、様々な事に挑戦していった。うまく行かないこともあったけど、動くたびに仲間が増えていった。

東北の外へ

宮城県内のイベントにしか参加してなかった。
所属する団体が増えて、帰る場所がたくさん出来た。だから、県外へ飛び出した。

起業家、同世代、まちづくりのイベントに参加することで自分のやりたい物がなんとなく見えてきた。多くの人と出会う事で視野が広がっていった。
熱量を持って、生きて、やりたい事を実現してるキラキラした人たちが沢山いた。

自分にしか出来ないことを

凄い同世代を見るたびに焦るけど、自分にしか出来ないことをすると決めた。取りこぼした単位を何とか取って(前期で41単位)、休学届を提出した。
休学2日目ONETOKOHUの作戦会議でBARやると聞いた。すぐに「学生BARをやらせてください!」と手を挙げた。何が出来るか分からないがやりたかった。

ポジティブな裏切り

仙台の定禅寺通に社会実験として設置されているコンテナハウスISOLを2日間限定で使えることになった。普通じゃないことをしようと考えた。ポジティブな裏切りがコンセプトになった。でも、何もなかった。だから、お客さんから何かを買い取ろう。
形が無いものを売り買いしようと思った。
それが『話』だった。

無形なものに価値をつけたい

これは発明じゃんと思った。でも、既製品しか売れないし、お客さんにお金を払うのは難しいと言われた。本当は「話」をしてくれた人にお金を払いたかった。2週間考えたが解決策は思いつかなかった。
諦めて、「話」をすると100円引きになる店となった。休学してから予定を詰め込んでいたので時間がなく、前々日の夜から買い出しと準備を始めた。
お酒を買って、メニュー表を完成させた後、一緒にやるはずだった太郎が熱を出した。

買い取りメニュー

頼りまくって、なんとかする

山形で起業した3人組の先輩たちに声をかけていた。
先輩たちは規格外の農産物を適正価格に寄せて買い取って、フルーツハニー等に加工して、販売している。何かしらの形で協力したいと思っていた。「定禅寺通で売りましょうよ!」と言ったら、本当に来てくれた。

両親も準備に協力してくれて、なんとか準備出来た。大掛かりなイベントなのに前日の夜、告知した。

「話」を売り買いしよう!

当日、朝の準備は一人だった。車からISOLまで3往復して、荷物を運んだ。11時にオープンする予定が間に合わなかった。幸いな事に告知が間に合ってないので誰も来なかった。

結構時間かかった

13時過ぎに最初のお客さんが来た。2つの「話」を買い取った。友達、先輩、後輩、今まで出会った人たちがふらっと来てくれた。福島から来てくれた人もいて、嬉しかった。通りすがりのおじさんも饒舌に「その日観た映画の話」をしてくれた。「面白い話」があると嬉々として話すのが聞いていて、心地よかった。

来てくれた人同士が繋がってた

夜になって、お酒が入ると「恋愛の話」が増えてきた。「ここに書けない話」がほとんどだった。片付けも一人の予定だったが後輩たちが手伝ってくれた。一日目は43人も来て、35の「話」を買い取った。自分の「話」も商品にしていたが買われなくても、勝手に喋るため、あまり売れなかった笑

「話」に名前をつけてもらう
1日目 35の「話」

人は話をしている時、主役になれる

2日目はずっと誰かいた。昼から人が途切れなかった。差し入れが沢山きた。一年前に大学の中庭でやってた始めたことが街の真ん中で叶ってた。
人が多すぎて、ひとりひとりに対応出来なかった。でも、1日目よりも多くの「話」を聞くことが出来た。

こたつもどき
意外と人気なハンモック
日中から沢山の仲間たち
差し入れに喜んでる人
sanbikaは完売!!


2日目は62人も来た!!!!
70もの「話」を買い取った。こんなに来てくれると思わなかった。2日間で105人、101の「話」を買い取った。

100話目はとある大学職員さんが「大学を信じて欲しい」と話してくれた。もっと大人を頼るべきだと思った。
101話目、最後の話は「幸せとはなにか?」だった。
「夢」と「志」について、最後まで残ってくれた12人と考えた。
最後に自分が「2日間幸せだった話」をした。

これだよね!

エピローグ

人は「話」をしている時は主役になれると思った。人の想いや経験、感情に価値を生み出せたはずだ。こんなに来てくれると思わなかった。
自分には沢山の「仲間」がいた。口に出して、言葉にすれば、大抵の事は叶うはずだ。どうでもいい話に意味がある。この瞬間に価値がある。
まちの真ん中に人が集まる場所を作った。
忘れてしまってもいいからいつか思い出してくれ。
君のきっかけのきっかけになるはずだから。

最高だった!みんなありがとう!


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