見出し画像

慶良間の水面と白波を見つめて生きる

慶良間の海はオーシャンブルーより濃紺に近い、深い青だ。その水面にかき分けて進むボートがたてる白波はよく合う。

濃紺の水面と白波を見つめて私は生きる。ダイブマスターになろう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

沖縄に拠点を移した。これをアドレスホッパーと言えるのか、移住というのか私にはわからない。ただ、自分一人で何かをなしたいと思っていて実行するなら今だと思えた。

沖縄のダイビングショップで10カ月間働くことに決まった。4月20日が最初の稼働日。働き始める前に今の気持ち、どうして沖縄に来たかを綴っておかなければならない衝動に駆られてこれを書いている。

28歳の私の挑戦。どうか聞いてもらえると嬉しい。

ダイビングショップでインストラクターを目指す

沖縄に来たのは、スキューバダイビングのインストラクターをやりたいと思ったから。インストラクターって何かというと、体験ダイビングとかファンダイビングとかに行きたい人と一緒に海に潜って、地形とか魚を教える。潜り方を教える人。

インストラクターをするには最低でもダイブマスターの資格が必要になる。それを見習いとしてショップで働きながら取得する、私のワーキングプランはそんな感じだ。

4月から働き始めて実際に案内できるようになるのは9月頃になるらしい。長い修業期間になる。だから今それにちょっとビビってるけど、自分に挑戦するいい機会だと思って私はこの仕事に取り組むことにした。

海に心を囚われたのは

初めてダイビングをしたのはもう5年も前の話になる。青の洞窟で有名な沖縄のビーチだった。

友人と初めて沖縄に旅行に来た私は「体験ダイビング」をした。その日は風が強くボートを出せなかったので、海の洞窟には行けず恩納村のビーチで潜った。

初めてのダイビング、サンゴ礁でカラフルな南国の海は綺麗だった。けれど友人にはダイビングは合わなかったらしい。耳抜きが上手くできず、そんなに潜れたとは言い難い初回だった。

もう少しやってみたくて、奄美大島に遊びに行ったとき1人で体験ダイビングに申し込んだ。初めてウミガメを見た。多分水深12メートルくらいまで行ったのか。あまり海の状態は良くなくて水の中は濁っていたけれど、潜れたことが嬉しかった。

タイでライセンス取得

体験ダイビングに行った際にライセンスの存在を知った。取りたいとは思ったけれど、東京の会社で働いていた私にとって海は遠かった。そんな時SNSで「タイでダイビングライセンスを取ろう」というキャンペーンツイートを見つけた。

ツアーの開催時期はお盆明けの1週間。キャンペーンに当選したら行こう、当たらなかったら今はその時じゃないって思おう。そう思ってリツイートしたそのキャンペーンになぜか私は当選して。「行けってことなんだな」とたまっていた有給とお盆休みをくっつけてなんとか休みを取り付けた私はタイに行った。

そこでオープンウォーターという1番初歩的なライセンスを取って帰るつもりだったのだが、一緒にライセンス講習を受け仲間やショップの方の優しさ、タオ島の海の美しさに心を奪われて結局アドバンスという2段階目のライセンスまで取得して日本に帰った。

ダイビングが好き

なんでダイビングが好きか、という質問に答えるのは難しい。好きなものは好きなんだから、好きなんだよ。と語彙力崩壊みたいな感想しか出てこない。

タオの海で魚群に囲まれたり、洞窟の中を泳いだりしているうちにもっと知りたいなと思った。海の中、どうなっているのかなって。海は世界の7割の面積を占めてる。広大な陸地よりも更に広くて深い。そんな世界を知りたくて多分潜ってた。

日本に帰ってきてからはもっぱら東京から行きやすい伊豆のダイビングショップでお世話になっていた。ずっと欲しかったダイビングコンピューターを5万で買ってから、もう戻れないかもと思った。

コロナで遠くまで行けなくなったとき、小さい頃考えていた世界一周を真面目に考え始める機会が訪れた。「目的なく世界一周しても何も残らないよ」経験済みの人に言われて、それなら世界の海を見てみようかなと漠然と考えていた。

海流に流されてパニックを経験

そんな中、久しぶりに友人と沖縄で潜ることになった。上級者以上しか連れて行ってもらえないドリフトダイブに挑戦することになる。インストラクターの人がついてくれば大丈夫、と言ってその日は耳抜きの調子が良かったから潜ることに決めた。

海に飛び込んで、一気に20メートルの急潜行。流れの速いポイントだった。だんだんとバディと離れていく、フィンで蹴っても蹴っても前に進まない、無理だもう、流されて追いつけない。その時人生で初めて「死にたくない」って思った。強烈に、死にたくなかった、変なの、ずっといつ人生終わってもいいって思ってたのに、このまま流されて終わりたくなくて。

伸ばした手をインストラクターの人が掴んでくれていた。呼吸が乱れてパニックを起こして、深度20メートルの深さでレギュ(呼吸器)を外したくなった。鼻から息を吸いたくてマスクを投げ捨てたくて、そんなことしたらますます死ぬのに、マスクを捨てて急浮上したくなった。初めてパニックを経験した。

ダイブコンピューターを見ると潜り始めて8分しか経っていなかった。パッと見たタンク残は100を切ってた。8分で、どんだけ使ってんよ。この苦しさがあと30分続くかと思ったら地獄だった。

インストラクターが私の身体を引っ張って泳いで、たどり着いたポイントの岩につかまらせた。ここにいて、呼吸を落ち着かせろ、分かったなって。私は頷いて上を見上げたら、水族館の中みたいな景色が広がっていた。それを見たら呼吸が楽になっていったのを覚えている。急に息継ぎが苦しくなくなった。

私の頭上を悠々と泳ぐマンタ。
ああお前がいなかったら私はたぶんマスクを投げ捨てて死んでたかも。

世界の海で潜りたいって気持ちを具体的にするには自分のレベルが足りないことを知った。泳ぎ方、潮の流れの読み方、まだ技術もレベルも達してない。もっと上手くなりたい。もっと潜れるようになりたい。

ダイビングショップで働こうって本気で考えたのはその時かもしれない。そして私は働く店を決めて今沖縄にやってきた。

まずは陸で息継ぎの仕方を覚える事

私の出身は埼玉で大学時代に東京に出てからは東京で暮らしていた。地元にすぐ帰れる場所。東京から実家までは電車で3時間程度だった。

転職は4回している。別に職場が東京じゃなくてもよかったけど、なんとなくずっと東京にいた。何かあったら帰れる安心感みたいなものがずっとあった。

もちろん1か月長野県の白馬に籠ったり、旅行で1週間海外に行くことは今まであったけれども沖縄に来てからそれとは違う気持ちでいた。

多分、実家を離れて上京する人ってこういう気持ちだったのかもしれない。

なんとなく心細い気持ちがして、不意に苦しくなったりする。何気なく夜道を歩いている時「このまま生きていけるのか」と不安で叫びだしそうになったり。普通の人はこうならないのかも、私の心が弱いから苦しんでいるのかもね。

那覇に来て一週間が経った。
だんだんと馴染んでいきたいと思う。毎日暑くて季節感がよくわからない

不安しかない。不安と期待が半分なんて歌詞の歌を聴きながら「半分なわけあるか」って思ってた。

自分の弱さを日々自覚してる。夕日に染まる海を見つめながら、船酔いで苦しむフェリーの船内で心底吐きそうって思ってた。
大丈夫か、やっていけるのか、この苦しみと不安はいつまで続くのか。

よく「明るい人だね」って言われる。「不安とかなにもなさそうだね」って。いや、不安しかないわ。

明るい人ほど闇があるんじゃないかと思ってる。というか、多分私は見栄っ張りだからそう見えてるだけだよ。間違いなく。みんながこの世界でうまく生きてて尊敬する。

私の生き方は、自己肯定感の低さがよく出てる。

世界の美しい海を巡るまで

ダイブマスターになったら、2年前より温めていた世界一周の旅に出ると決めている。

このダイビング修行はそのためでもあった。
世界には名前の付いた様々な海があり、数々のダイビングスポットがある。
その中には難所と呼ばれる上級者しか行けないポイントも多く存在した。

「せっかく行くなら、難所だって潜りたいじゃない?」
これはそのための修行である。
たくさん沖縄の海で経験して、もっと上手くなりたい。

上手くなって、それでこの海のすばらしさをたくさんの人に伝えるのだ。
ダイビングの楽しさを魅力をたくさんの人に知ってもらうのだ。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?