合理的な生き方について

「僕は、合理的な人間である」

もう、はっきりと言い切れる。僕は合理的な人間だ。

ここで、「合理的」と言う意味を確認していく。

合理的
1 道理や論理にかなっているさま。
2 むだなく能率的であるさま。
(goo国語辞書)

1の、合理や論理にかなっているさまというのは、ちょっと日本語が難しいので置いておくとして、2の、無駄なく効率的なさまという方がわかりやすいだろう。

もう一度いう。僕は合理的な人間だ。

そして、合理的な生き方は最高である。

合理的生き方とは

「合理的な生き方」というのは、かなり抽象的なので、僕なりにわかりやすく言い換えると、「自分の利益になることしかしない生き方」である。

まさにその言葉の通り、自分の利益になる行動だけををして、利益とならないことは全て切り捨てるのだ。

「合理的」の説明終了。至ってシンプルである。

合理的な人は嫌われる?

ある友達にこう言われたことがある。

「お前ね、合理的な人って嫌われるんだよ」と。

僕はその時その友達の言っている意味が本気で理解できなかった。

「自分の利益となることに取り組み、利益とならないことは切り捨てる。これのどこに嫌われる要素があるのだろうか」

僕は本当に疑問に思った。

だがその友達は、「合理的な人は嫌われる」という意見を一切曲げようとはしなかった。今でも謎である。

合理的な生き方をする上での3つのルール

「合理的な生き方」というのは、最高な生き方だと僕は思っているが、「合理的な生き方」という意味を履き違えてしまうと、ありとあらゆる人脈を失うことにつながる。

それを防ぐため、「合理的な生き方をする上でのルールを3つ紹介したい。

ルール①良い意味で、「自己中心的」である

わかりやすいように例を一つ出そう。

大学生のA君は、大学の友達の数人から放課後にカラオケに行こうと誘われた。しかしA君は、家に直帰して取り組みたい勉強がある。

ここでA君が、自分のやりたい勉強を諦め、仕方なく友達とカラオケに行ってしまうならば、僕はこのA君の、「周りに合わせた行動」が大嫌いだ。

しかし、ここでA君が、友達からのカラオケの誘いを断り、家に直帰して取り組みたい勉強をすれば、このA君の行動は、僕の求める「合理的な生き方」をしていると言える。

まとめると、良い意味で「自己中心的」なわけだ。

ルール②人に迷惑をかけない。そして、協調性を大切にする

僕のいう「合理的な生き方」とは、人に迷惑をかけたり、周りの人間との協調性を持たないのとは全く違う。

例えば、クラス全員で合唱コンクールに向けて練習をしているとする。クラスという一つの集団で取り組んでいる以上、いくら面倒くさいという感情があったとしても、最低限の協調性を保つことが人として大切だ。

しかし、もしA君が、「この合唱コンクールの練習に参加したとしても、僕にとっては時間の無駄だからみんなは歌の練習をしてるけど僕は好きな勉強しよう」となってしまっては、A君はただの「自己中心的な周りに迷惑をかけるだけの人間」である。

繰り返すが、「合理的な生き方」とは決して、周りに迷惑をかけることでも、協調性を持たないことでもない。

ルール③「やりたいことはやれば良い。」「やりたくないことはやらなくても良い。」しかし、「やらなくてはならないこと」はやる。

合理的生き方という意味を履き違えてしまう例として、一番怖いのはこれだ。

当然、自分の利益になると思えばそれやれば良いし、利益にならないと思うならばやらなくて良い。

しかし、生きていく上で、「やらなくてはいけないこと」というのが無数にあるだろう。

・学校の勉強
・人との最低限のコミュニケーション
・挨拶や礼儀
・規則正しい生活習慣

ざっと挙げてみたが、この他にも「生きていく上で、やらなくてはいけないこと」はたくさんある。それを、「自分の利益に直結しないから」という理由で全て放棄してしまうと、社会不適合者になってしまう。

3つのルールさえ守れば、あとはとことん「自己中」になって良い

上記で述べた、「合理的な生き方をする上での3つのルール」を守っているならば、あとはもう、自分の利益となることにとことん取り組めば良いのだ。そして、やりたくないことはやらなくて良い。

やりたいことなんてたくさんあるだろう。
・スポーツ
・好きな分野の勉強
・友達と遊ぶ
・恋人とのデート
・ゲームやテレビ

もし自分がそれをやって、利益を得られるならとことんやるべきなのだ。

しかし、ここで大事なのは先ほども言ったように、「自分がやりたくないと思うならば、やらなくて良い」ということ。

やりたくないことを無理してやっても、そこに利益なんてあるわけが無く、むしろ自分が損をしてしまう。

自分の利益にならないことはとことん切り捨てていこう。

最後に

繰り返すが、僕は「合理的な人間」であり、「合理的な生き方」をしている。

実際、その生き方は自分自身を生きやすくしてくれる。

これは完全に僕の個人的な話になってしまうが、よければ聞いてほしい。
私は現在大学二年生で、経済学科に所属している。

そして最近、経済学の勉強をすることに大変有益性を感じている。

理由はなぜかというと、

「経済学とは、合理的な思考が求められ、自己の利益を最大にする意思決定を研究する学問」

であるからだ。ここまで僕の生き方に合致した学問は他にないと言えるだろう。

だから僕は、これからも経済学を前向きに学び、「合理的な生き方」によって自己の利益を最大にする意思決定をし続けていくわけだ。







この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,418件

#おうち時間を工夫で楽しく

95,494件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?