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#高校サッカー
立派な芝生を一目見て応援したいと思ってしまった話
車の助手席に乗っていると偶然、青々と綺麗に生え揃った芝生が広がっているのを見た。その立派なグラウンド設備は大学や私立高校ではなく、市立「習志野高校」サッカー部のものだった。
千葉県の高校サッカーは長らく市立船橋高校・流通経済大柏高校の二強が続いていて、しかもこの二校とも全国トップレベルに強い。千葉県大会決勝は実質上の全国大会決勝なのではないか、と思うほど。
そんな千葉県の高校サッカーにも、近年
ひどくダサくてカッコ悪い わたしの青春時代
何も頑張れない高校時代だった。
嫌なこと・面倒なことから逃げていたのは自分なのに、そんな自分にコンプレックスを抱いていた。
応援とはコンプレックスの裏返しでもあると聞いたことがある。
高校時代のわたしは同世代が活躍する高校サッカーを応援することで、欠けている部分をせめて補っていたところがあった。と思う。
なんともおこがましい話だけれど。
高校二年生のころ、地元・埼玉県の西武台高校にゾッコンだっ
誰にでもできることを、誰もできないところまでやる
社会人になって一年目のころ、痛いほど気づかされたことのひとつは「この世に‘自分でなければいけない仕事’なんてない」ということだ。
新卒のころはもうイケイケだから、少なからず「自分にしかできない仕事」がしたい、そんな人間になるのだと息巻いていた。
そんな輩は大切な基礎の基礎とも言える仕事を「誰にでもできる仕事」と抜かして疎かにしてしまう。
このまま社会人10年目、20年目と重ねてしまうと取り返し
突出した武器を持っていればいい
小学生のころ、通知表はぜんぶ「とてもよくできる」いわゆるオール5の評価をもらっていた。
中学生になって徐々に悪くなった。高校受験には通知表の総合得点がもろに響くため、足を引っ張っている苦手な教科を改善しようと努めた。
弱みを改善して何でもまんべんなくこなせる、五角形のチャートができるだけキレイな形を描く人間にならなければいけないと強く思っていたが、社会人になってみると意外とそうではなかった。
わたしの推しはメディアに媚びない
かねてから応援している青森山田高校が決勝進出を決めた。今大会の注目、キャプテンの松木玖生選手。一昨年・昨年は決勝の場で涙を呑んだ、彼の優勝する姿を今年こそは見たくて追いかけている。
彼は一年生の頃から名門・青森山田で活躍してきた。高校生とは思えないメンタルやしっかりとした考え、言語化する力には脱帽する。
準決勝後のヒーローインタビューでは、6-0という大勝利後にも関わらず、優勝だけを見据え淡々
高校サッカーの功労者、小嶺監督の魂はこれからも続く
元国見高校監督。名将と呼ばれ、高校サッカーの時代を築いた小嶺忠敏監督が亡くなった。
小嶺監督は1968年に島原商業高校へ赴任し、1984年からは国見高校(2006年に定年退職後、2007年1月まで総監督)、2008年から現在に至るまで長崎総科付属高校と、約54年にも渡ってサッカー部の指導にあたったという。
わたしにとってもそうだが、世間的にも小嶺監督は「国見高校の監督」という印象が大きい。当時