トモダチ
小学校高学年の頃が一番楽しかった。
仲良しの4人組がいて、いつも一緒だった。
小学2年生の頃に、転校した。
転校してからも、前の小学校の友だちが忘れられなくて、しばらく手紙のやりとりをしていた。年賀状は毎年出していた。
それがポツリポツリと、返事が返ってこなくなった。
さすがに書くのを止めた。
唯一返事をくれる1人の子だけ、今でも年に一度、年賀状のやりとりをしている。
私は、情に生き、人との繋がりを重視するタイプなので、一度友だちになったら、もうずっと友だちなのだ。
しかし、相手からは同様に思われていないこともあり、ショックを受けることも少なくない。
昨年、結婚式を挙げた。
大学生の頃、バイト先で知り合い、社会人になってからは一緒に旅行にも行ったことがある友だちを招待した。
恋愛に対する価値観が合わなくて、しばらく疎遠になっていたが、私はまだ友だちだと思っていた。
結婚式当日、久しぶりに会う彼女はきれいに着飾っていた。
ケーキカットのとき、周囲の友だちや家族が席を立ち、続々と周りに集まり、写真を撮ってくれた。
けれど、そんな中、彼女はそれを遠巻きに見つめ、写真なんか一枚も撮っておらず、ましてや笑ってすらいなかった。
それを見て、とてもショックを受けた。
楽しくなかったのかな。本当は来たくなかったのかな。
さまざまな不安が脳内をよぎる。
友だち、と呼んでいいのかな。
社会人になり知り合った友だちに誘われていった、大人数での飲み会。
バーを貸し切って、DJもいて、ダンスをする人もいて、パリピの集まりのような、私が行ったことのないような場所であった。
友だちは主催者側であったので、私は別な友だちと一緒に行った。
着いてみると、人が多く、それも知らない人ばかりで、その雰囲気に圧倒され、隅で細々とお酒を飲み、話しかけてくれた人と会話をする程度であった。
かたや一緒に行った友だちは、難なく周囲と打ち解け、楽しそうに飲み交わしていた。
自分は誰と話したらいいのかわからず、孤独を感じた。
ある一定の数を超えるといつもそうなる。だから学生時代のクラス集団も苦手だ。
友だちをつくって群れていないと、仲間外れのような孤独感を味わうこととなる。
人生の中で、友だちに関して、幾度となく、悲しい思いや経験をしてきた。
一期一会で偶然出会い、会話も盛り上がり、自分との共通点もあり、”友だち”と思っても、それきりになってしまうことも少なくなかった。
友だちへの思い入れが強いのだろうか。依存か。期待しすぎなのか。
社会人になり数年がたって、会う友だちも限られてきた。
一番会うのは大学生の頃の同級生。
ネットで知り合った同業者の友だち。
趣味の吹奏楽の仲間。
唯一の地元の友だち。(ただ、この友だちとも2ヶ月ほど前から、連絡がつかなくなった。LINEの既読がずっとつかないままなのだ。今年のはじめの頃には、直接会って会話もしていたので、心配である。)
私はお酒を飲むが、近くにお酒を飲む友だちがいない。
毎日飲む訳ではないが、思い立ったときに、”今から飲みに行こうか”なんてふらっと飲みに行ける友だちが近くにほしいと思う。
コロナが流行る前に、旦那の友だちと毎週のように飲み歩いていた時期があった。
あの頃は、彼氏でもないのに、一人の男性を独り占めして心地よかったのかもしれない。
結婚する前、友だちと会うのがとても億劫になった時期があった。
予定が入っていても、なかなか気が乗らず、行ってもなぜか楽しめずにむしろ疲れきってしまい、最悪なときは予定をキャンセルしていた。
後から写真を見返しても、笑顔がどこかぎこちない。
彼(旦那)の前では、一番素の自分でいられるので、楽なのだ。
彼はパートナーでもあり、一緒に遊びに出かけてくれる友だちのような存在でもあった。
友だちと会わずに、彼とばかり遊んでいる時期があった。
友だちに関しては、かなりこじらせている自信がある。
社会人になり、毎日顔を合わせる共通の場所もない中で、友だちとどんな距離感で、どんなふうに今後も付き合っていくか。これは自分にとって課題である。
ときにはひとやすみの時間も必要かもしれない。
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