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【漫画×倫理】バガボンド×ウィトゲンシュタインで考える、天下無双とは。

〈この記事を読んで欲しい人〉
ひとつのことを考えすぎてしまう人。
答えのない問題にぶち当たっているひと。


スラムダンクの井上雅彦先生の名作『バガボンド』を題材に、倫理します。

マンガ『バガボンド』11巻での、宮本武蔵の言葉を考えます。

天下無双―――
柳生石舟斎殿のおおきさは
俺にはまだ計れませんでしたっ・・・‼︎
天下無双とは何か。
今の俺にはまだわかりませんでしたっ‼︎

テーマ:天下無双とは何か

そもそもこのマンガを知っている子どもは少ないと思う。
時に筆と炭で描かれた描写が圧巻のマンガ。
それがバガボンドである。

この作品の中で、主人公の宮本武蔵は天下無双を目指し、旅をする。
そこで最も天下無双に近い人物、柳生石舟斎に出会う。
今回は、そこで尋ねた言葉を、倫理する。


柳生石舟斎のこたえ

柳生石舟斎は宮本武蔵に対して、次のように答えている。

天下無双とは何か・・・か
武蔵よ
天下無双とは ただの言葉じゃ
「天下無双とは」などと—――
考えれば考えるほど
見よう見ようと目を凝らすほど
答えは見えなくなる
見つめても見えないなら――
目を閉じよ
どうじゃ
お前は無限じゃろう?

「無限じゃろう?」の描写は静かに、そして広さを感じる。
本屋で見かけたら、ぜひ開いて見てほしい。

そしてはっきりと、天下無双とはただの言葉である
と言っている。

言葉といえば、ウィトゲンシュタインである。


ウィトゲンシュタインの思想

ウィトゲンシュタインといえば、言語哲学者である。
その中でもこの言葉が有名である。

語りえぬものについては、沈黙しなければならない
『論理哲学論考』

つまり、
言葉で語ることのできるものは考え、
語れないものは考えない。

ということ。

たとえば
リンゴとは、人がリンゴと呼ぶもの。
神とは、人間が神と呼ぶもの。
それ以上は考えても答えは出ないから考えないというものである。

言葉は、考えるものそうでないものを判断するためのものである。


ウィトゲンシュタインの思想で『バガボンド』を、倫理する。

柳生石舟斎は「天下無双とは言葉である」としている。
ウィトゲンシュタインの思想をもとにしても、天下無双とは言葉である。

ウィトゲンシュタイン的に言うと、
人々が天下無双と呼ぶものが天下無双である。
それ以上は考える必要がない。答えは出ないから。

しかし、柳生石舟斎の考える天下無双と、
世間一般の考える天下無双は異なるように感じる。

天下無双と聞けば
世間一般では圧倒的強さを示す。
宮本武蔵も当初はここを目指している。
柳生石舟斎は宮本武蔵に、デカさを感じさせる悟りの境地にいる。

時と場合によって、天下無双の意味も変わるのではないだろうか。
まさに後期ウィトゲンシュタインの言語ゲームのように。

皆さんの「天下無双」の定義は何だろうか。


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バガボンドの世界観をぜひ。



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