武岡優斗

2021.3.1 現役引退発表。 湘南在住。 経歴 2009 サガン鳥栖 2010〜…

武岡優斗

2021.3.1 現役引退発表。 湘南在住。 経歴 2009 サガン鳥栖 2010〜2013 横浜FC 2014〜2018 川崎フロンターレ 2019 ヴァンフォーレ甲府 2020 レノファ山口 2021〜セルソース株式会社 全て個人の思考や感情なのでそこはご了承下さい。

最近の記事

常勝軍団を経験した佐々木竜太

またまた書いてみます。 自分の言葉なので、結構マニアックになってるかもしれへんけど、許してくださいね。(笑) さらに今回は、自分が聴きたかった事を書くから、なおさらマニアックかなと! 先日掲載されたセルソースのnoteでの竜太のインタビューで個人的に聴きたい事が多過ぎて、色々聴いてました! やはり2007〜2009年リーグ3連覇の鹿島アントラーズの事。 今までの日本のサッカー界の歴史で、常勝軍団と周りから呼ばれたのは、鹿島だけ。竜太のサッカー史を掘るには、ここは欠かせなかっ

    • 言葉から伝わる新井章太の覚悟

      またまた久しぶりに書いてみる。 やっぱり自分の言葉がしっくりきます。(笑) 4月掲載されたセルソースのnoteで新井のインタビューをして感じた事を率直に書きたいと思う。 あのインタビューは、しょうもない話も実際かなり多かった。(笑) 17年になる付き合いやからこそ話せる内容だらけ。 サッカーの話もそう・・・新井章太の胸の内を少しは聞けたかなと感じた自分がいた。 川崎フロンターレで7年は新井を大きく成長させたとおもう。 選手としても、一人の人間としても。 順風満帆ではない

      • 自分なりの言葉で

        先日のセルソース株式会社でのnoteが予想以上に反響があった。 読んでくれた皆さんありがとうございました。 正直、普段使い慣れへん言葉だらけで自分でも違和感があります。(笑) 少しだけ自分の言葉で伝えさせてください。 自分のSNSの媒体やし、言葉遣い気にせんでいいから伝えやすいはず!!(笑) 武岡優斗🟰怪我 皆さん知っている方は知っていると思いますが、『武岡優斗=怪我』のイメージがあるかと思います。特にフロンターレファミリーは。(笑) (知らん人はごめんなさい!!) プ

        • 今思う事。

          今日からチーム全体でトレーニング。 チームの活動休止から約1ヶ月半。 クラブハウスにきてトレーニングし、週末試合をする。 そんな日々が、急に当たり前ではなくなった。 それは自分達だけではなく、世界中の人々が日々の生活の中で感じた事だと思う。 様々な当たり前が壊れた。 人は失ってから気付く事がほとんどやと思っている。 中々失う前に気付くのは難しいと思っている。 最初は物事に対して感謝や大切さを感じていても、人は良くも悪くも慣れてしまう。 いま一度、たくさんの事を見つめ直さ

        常勝軍団を経験した佐々木竜太

          いち人間として。

          よく交友関係が広いという、お言葉をいただいたりする。 以前書いたように、昔は人見知りでもあったから、その頃に比べたら本当に人と会うことだったり、話す事が好きになったと思う。 正直いうと昔は、人が嫌いだった。 今思うと、身勝手な理由だった気もするが、あの頃の自分には、どう説明しても理解してくれないと思う。 それには致し方ない背景がそこに存在する。 そんな自分が、たくさんの人と出逢い、話す事で、すごく思考が変わった。 有り難いことに、このオフもたくさんな人に支えられて乗り越

          いち人間として。

          改めて。

          少し前に、母校の高校3年生とzoomで話す機会があった。 3年生は47人。 インターハイが中止された今、彼らは選択をしなければいけない現実と向き合っていた。 それは 選手権まで続けるのか。 インターハイで区切りを打つのか。 といった選択だ。 強豪校ではないが故に、この問題はあるあるだと個人的には思う。 自分自身は、選手権まで当然のように続けた。 なぜならば、それが最大の目標であったから。 人それぞれ、モノの見方やモノの価値は違うし、十人十色。 時間が限られたzoom

          改めて。

          このオフの心境。

          ご存知の方もいると思うが、このシーズンオフ本当にチームが決まらずにいた。 元々トライアウトは受けるつもりはなかった。 川崎フロンターレを契約満了になった時もトライアウトは受けてない。 川崎フロンターレをアウトになった時と、今回は少し心境が違った。 前回の時は、 「どこか決まるはず」 「どこかしらあるやろう」 というスタンスだった。 本当にギリギリで甲府からオファーがあった。 なかなか決まらない事に対して、焦りや苛立ちが凄くあった。 「なんで?」 「どっかしらあるやろ」 全

          このオフの心境。

          人見知り。

          今の自分を知る人たちに 「昔は人見知りでした」というと、 全くと言っていいほど、信じてもらえない。 先日、近藤岳登さんのインスタライブに出た時も、この話題になった。 以前の自分は、本当に人見知り。 人見知りとは…? 気になり調べてみると、 人見知りの特徴とは ・初対面の人と上手く話せない ・人前にいると無口になる ・よく知る仲の相手とは普通に話せる ・積極的に人とコミュニケーションを取れない まさに上記の通り。 違う環境に行くと、 中々話せず尻込みしてしまう。

          人見知り。

          怪我。

          自分の人生を何よりも大きく変えた出来事。 プロに入るまで、大きい怪我とは、無縁の人生だった。 身体は頑丈だと思っていた。 まさか4度も手術をするなんて思ってもみなかった。 スポーツは怪我と隣り合わせ だが、怪我をしない人間もいる。 怪我をしないのも絶対的な強みである。 残念ながら、そういう選手にはなれなかった。 幸いな事に、怪我した事を糧にしてこれた。 「怪我をしたからこそ見れた景色」 「怪我をしたからこそ感じたもの」 このようなものをしっかり糧に出来た。 無論、怪

          変化

          川崎時代のことは、以前SNSで少し書いたことがあります。 "5年という歳月" に書いてあるので、よければ読んでみてください。(上をタップするとそこにとべます。) 本当に変化をした川崎時代。 今までのスタイルを捨て、全く新たなるスタイル。 そこに大きな葛藤があったが、変化する必要があった。 理由は、「この世界で生き残る為」ただそれだけ、「今までのスタイルでは終わる」と感じたからだ。 無論、「一つのスタイルで生き抜く」これも良いと思う。 職人というか、極めるという感じがす

          横浜FC時代の秘話。

          今回はいつもと違う感じの事を書こうと思う。 横浜FCの自分の中で印象に残ってる秘話について。 ことあるごとに、触れているシュナイダー潤之介との秘話。 時期は全く違うが、サガン鳥栖というチームに在籍していたという共通点がある。 いや、むしろそれしかないぐらい。 見た目…どえらいイケメン。 中身…熱く、頼れる気さくな兄貴分。 仲良くなるには、時間がかからなかった。 シュナさんとの秘話。 2012年のホーム山形戦。 2013年の最終節ホーム水戸戦。 この2つ。 まず

          横浜FC時代の秘話。

          挫折と成長。

          初めての移籍。 ドキドキしながらロッカーに行ったのを覚えてる。 なぜなら… あの人のロッカーがあったから。 そう… 「キングカズ」 こと「三浦知良」 のロッカー。 カズさんが京都サンガに来た頃、ちょうど中学生。 まさにスーパースター。 地元の銭湯によく来る!という話も耳にした。 まず真っ先に、カズさんのロッカー見て興奮したのを覚えてる。 そんなドキドキした感情とは裏腹に この移籍が難しいのは ある程度わかってはいるつもりだったが、現実は予想を遥かに上回っていた。 まず、

          挫折と成長。

          プロの世界へ。

          サガン鳥栖に加入する事ができた。 チームの始動日まで ワクワク、ドキドキの連続。 それと同時に、凄く緊張していた。 まーでも、難しく考えても上手くいかん。 "自分に出来る事をしよう" と頭の中は比較的シンプルだった。 ルーキーイヤーのJ2は51試合という、最多数の年だった。 しかも、サブのメンバーは今とは違い、5人という狭き門。(シーズン途中で7人になった) まず最初の目標を 開幕戦のメンバー入りに設定した。 キャンプが始まり、とにかく練習はキツかった 。 岸野監

          プロの世界へ。

          大学3〜4年生。

          いよいよ大学3年生になった。 この1年が本当に激動だった気がする。 まず生活で大きな変化があった。 それは、部屋っ子から部屋長になるということ。 色々準備も大変だったが… 正直、居心地は今までよりも良かった。 それはそうだ…自分の方が上になるからだ。 そして、春合宿。 トップスタートで臨んだこの合宿。 当時この合宿後ぐらいに、新しいコーチが来ることになっていた。 正直に書くと、この頃の自分は入学当時ほど、意識も高くなくやる気もなかった。 この2年間で色々なものを見過

          大学3〜4年生。

          大学1〜2年生。

          大学4年間は 1〜2年生と3〜4年生に分けて書こうと思う。 まず初めに… 生まれて初めて実家を出る。 これは自分の考え方を大きく変えた… まず当たり前は当たり前ではない。 掃除…洗濯…食事… 母親への感謝の気持ちが凄く芽生えた。 実家を出てら必ず知る事だと思う。 強い気持ちを持ち、新たに…と 意気込んだ1年目。 この頃、本当にメンタル面は充実していた。 目標があり、そこに向かっていく気持ちが、 本当に強かった。 部員の人数も相当いた。 ご存知の方もいると思うが

          大学1〜2年生。

          濃密な高校3年間その後の進路。

          大谷高校への進学が決まり… 自身の胸中はというと… ワクワクしていた。 テレビで見ていた高校サッカーへの憧れ。 あの舞台に立ちたいという思い。 未知への挑戦。 全てにワクワクしていた。 本格的に学校が始まる前に… 練習参加や1年生だけで参加するフェスティバルなどがあり… 既に充実していた気がする…。 学校が始まってからの 日々のトレーニングもたのしかった。 グランドは 正規のコートがギリギリ1面取れるぐらい… さらにそれを… 曜日で サッカー部 野球部 グランドホッケー

          濃密な高校3年間その後の進路。