横浜FC時代の秘話。


今回はいつもと違う感じの事を書こうと思う。

横浜FCの自分の中で印象に残ってる秘話について。

ことあるごとに、触れているシュナイダー潤之介との秘話。
時期は全く違うが、サガン鳥栖というチームに在籍していたという共通点がある。
いや、むしろそれしかないぐらい。

見た目…どえらいイケメン。
中身…熱く、頼れる気さくな兄貴分。

仲良くなるには、時間がかからなかった。

シュナさんとの秘話。

2012年のホーム山形戦。
2013年の最終節ホーム水戸戦。

この2つ。

まずは、2012年。
復帰して、その次の試合でスタメン。
軽食の為に、クラブハウスに集合。

少し早めについて、ゆっくりしていたら、シュナさんと会った。
その時に、シュナさんが嬉しそうに

シュナ「スタメン良かったな。嬉しいよ。」

と話しかけてくれた。
続けてシュナさんは

シュナ「おれね、今日、優斗が点取る気がする。いや、気がするじゃなくて、絶対。」

と言い出した。
ルーキーイヤーから数えたら、2年以上ゴールから離れていた自分。
"結果が全て" と意気込んだシーズンだったが、
そんな簡単じゃないやろうなと感じていただけに、あっさりと言い放ったシュナさんに驚いた。
自分「シュナさん、ないっすよー。取れたら良いですけどねー。」
と返すと、
シュナ「いや、絶対取れるから、おれにはわかる。」
と言い放った。

なんの根拠やねん。
なんやこの人は。

と笑ってしまったのを覚えてる。

自分「じゃぁ、点取ったら、シュナさんとこ行きますよ。シュナさんがそこまでいうなら、点取るかもしれないですね。」

とシュナさんに伝えると

シュナ「約束ね。」

とシュナさんに言われ、2人しか知らない約束をした。

きっと、あの試合で自分がゴールを取るなんてスタジアムにいた全員が思っていなかったであろう。
それはそうだ。
長らくピッチから離れ、様々な期待を裏切っていたのだから。
ただ1人、
"シュナイダー潤之介" を除いては。。。

ホイッスルがなり、開始10数秒。

その瞬間が来た。
正直、なぜあそこにいたかもわからない。
気付いたらいた。
そして、なんとなくこぼれてくる気がした。
気付いたら、身体が動いていた。
頭でゴール。

こんな感じ。

一目散にシュナさんのもとに。
相当ダッシュしたのを覚えてる。

我を忘れてシュナさんのところに。
それが1度目の約束。

これが、1度目の約束の飛び込んだ瞬間。
色褪せない大切な約束。

そして、2度目はシュナさんと一緒に横浜FCでプレーする最後の試合。

この日も、前回の時みたいに、試合前にクラブハウスで会話をした。
契約満了が、既に発表されていて、シュナさんの退団は決まっていた。

自分「シュナさんと一緒に横浜FCいるのも今日で最後っすね。。シュナさんいなかったらSBやってられなかったなー。」

風な事をいうと、

シュナ「優斗なら出来ると思ってたよ。」
という風な事を言ってくれた記憶がある。

自分「なんか、こうやって話すのあの時みたいっすね。」

シュナ「本当に点取っちゃったもんね。」

自分「じゃぁ、また点取ってシュナさんとこ行きますね。」

と、また約束を交わした。

前回と違いポジションはSB。
正直この日は、膝の調子も良くなかったのを覚えてる。
それでも約束を果たしたかった。
その一心だった。

前半にまたその瞬間が来た。
なぜそこにいたのかもわからない。
今思い返しても不思議だ。

ゴールを確認した後、またシュナさんに向けて一直線。

色んな感情が溢れ出して、泣きそうになったのを覚えてる。
この時もシュナさんがしっかり受け止めてくれた。
相当熱い抱擁だった。

シュナさんがいなければ、このシーズン、SBを続けていなかっただろう。
シュナさんがいなければ、その後のSBとしてのサッカー人生はなかっただろう。

そして、今こうして、SBをしていないであろう。

この2つの約束。

本当に自分とシュナさんだけの約束。
世にこうやって出したのは初めてだ。
これがシュナイダー潤之介との秘話。

それと、秘話は他にもある。
現川崎フロンターレの通訳、金明豪だ。
横浜FCで共に在籍していた。
明豪との秘話についても触れたいと思う。

歳は8つも離れていたが、本当の兄弟のように仲良く、気付けば兄貴のいない自分にとっては、実の兄貴ではないのかと思う存在だった。

2012年、アウェーの京都戦。
この時期、中々個人的にも苦しく、悩んでいた。
試合前に、
明豪「おまじないがてら、スパイクに書いてみよう」
と言い出した。

自分「そんなんで取れたら苦労せーへんわ!。」
と笑いながら言い返した記憶がある。

しかし、その試合でゴールを決めた。
負けたが、あのゴールは、忘れもしないベストゴールだと思う。

負けたが、ゴールを取った事に関して、
2人で喜んだ。
明豪「ほら!効果あった!」
自分「凄いわ!」
その試合から2人のおまじないが始まった。
スパイクにはその時だけだったが、その後は腕のテープ。

両手首の内側に、毎試合、毎試合、明豪が文字を書いてくれた。
文字の内容は様々だった。
明豪チョイス。

きつくなったり、辛くなったり、リラックスしたりしたい時はそれを見るようにしていた。

その試合から、2013年の最後の試合まで、
毎試合欠かさず、それは続いた。
ベンチに3度飛び込んだが、ほとんど前に出てきてた記憶がある

どんな時も一緒に喜んでくれた優しい兄貴。

その後川崎フロンターレで一緒になった時は
"そんな事ある?"
と笑ったものだ。

そして、今でも毎日連絡のやり取りしている。
どんだけ仲良いのやら。


長々と読んでいただきありがとうございました。
また次回。

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