大学1〜2年生。

大学4年間は
1〜2年生と3〜4年生に分けて書こうと思う。

まず初めに…

生まれて初めて実家を出る。

これは自分の考え方を大きく変えた…
まず当たり前は当たり前ではない。

掃除…洗濯…食事…

母親への感謝の気持ちが凄く芽生えた。
実家を出てら必ず知る事だと思う。

強い気持ちを持ち、新たに…と
意気込んだ1年目。
この頃、本当にメンタル面は充実していた。
目標があり、そこに向かっていく気持ちが、
本当に強かった。

部員の人数も相当いた。

ご存知の方もいると思うが…
ある事件により…
部員の人数もかなり減り、チームの編成も大きく変わった。
減ったというても150人はいた。
チームの編成も
トップチーム
B1、B2、B3とBの3チームは、なるべく均等にという編成だったらしい。

1つのグランドを4チームで…
トップが17時or17時30分は固定。
残りはトップの後かトップの前。
なかなかなグランド使用編成。

自分にはサッカー以外にも、学業での選択がまずあった。
履修登録というものである。
自分は政治経済学部…
これが色々と厄介だった。
まずそもそも、勉強が大変。
そして、当時は3年になると校舎が鶴川校舎から世田谷校舎になるという。
もし教職を取っていたら、出られない練習が増えると先輩に言われた。
まずここで選択があった…

体育学部に転部するかしないか
教員免許を取るか取らないか

大学に進学するものならわかると思うが
必ずといっていいほどの人が…教員免許を取ろうとする。
それを取るか取らないか…
100or0、でしか考えなかったというアホさ笑
途中まで取っておいて、途中からはやめて、いつの日か、残りを取ればいいという考えはなかったという。

プロになる

この意思が強かったからだと思う。
練習出れないの死活問題。
そう捉えていたから。

体育学部に転部もそう…
これは、体育学部に入れてもらえなかったという思いが、どこかにあったのであろう。
「もういいや、そうまでして入りたくないし。」
となっていた。
現に転部している同級生は結構いた。

大学進学したのに教職を捨てたほどの決意。
1年目の最初…本当に意識が高かったと思う。
必死にトレーニングに食らいついていた。
ある時が来るまでは…

夏になると、トップ以外は長めのオフ。

という通達が…
もちろんオフを確信していた。

ところが、トップの次にトップBを作る。
謎の編成が…
そこに1年生6人だけノミネート。
当時は1年生はトップに2人だけ。
その2人とBにいた中で4人選ばれた。
まさかすぎるノミネート…
長期オフが、一転して4日間のオフに。
必修のテストも重なり、2日なった。
それでも貪欲に実家に帰ったのを今でも覚えてる。
なんだこれ?
理不尽やん。
もうしんどいって。
やめたいって。
となった。
逃げ出そうとしたが…
自分がここに入れた経緯もあったから、それはしなかった。

夏合宿と呼ばれる夏のトレーニング。
経験した事ないレベルに…キツかった。
午前…午後…毎日、毎日。
トップと時間差だったから、グランドに行くと、メニューがわかる。
キツそうに走ってるのを見て…
自分達もあれをやるのか…と毎回思っていた。

午前が終わり、ひんやりとした部屋に帰ってホッとして束の間の休息。
昼寝をして、起きたら地獄。
また午後か…と。

地獄の夏合宿が終わると

Bチームの編成が変わった。
これはIリーグの為だった。
国士舘からは3チームノミネート。
そのうちの1チームが後期の成績次第では、関東大会に出れるというのがあったからだ。

ここで、完全に力の編成になった。

自分はB2。
これが現実だ。

それでも楽しかった。
Iリーグも1年生では出ていた方であったから。後期のリーグ戦が終わると…
B1は関東大会に進出を決めた。
残りのチームは、1.2年生チームと3.4年生チームに分かれて紅白戦。
まー書けない事が多々起こる笑
そこはご愛敬として割愛しとこうかな。

その中で
B1は関東大会を勝ち抜くという…。
そして、ここで…まさかが起こる。

またしても、1年生数人がB1に昇格。
そして…ノミネートされてしまった。
正直…これは地獄であった。

B1の雰囲気は…怖かった。
本当に嫌だった。

そしてまさかのがさらに起きる。
全国大会準決勝に
メンバーインするかもという…まさか。
直前で足首捻ったというのもあり、記録員として同行した。

決勝はメンバー外。
そしてB1は全国優勝を果たした。

そして…色々が終わり…また合宿に。

この冬合宿が本当に地獄だった。
走り…走り…走り。
力編成でB1に位置つけ。
本当にキツかったのを覚えてる。
正直な話…手を抜いたりしてた。
どうせやったところで…意味ないやん。
という思考になっていたからだ。

それでも…
高校時代体力のなかった自分に比べれば、別人のようになっていた。
B1では、安定して試合には使ってもらっていた。
「出ていた」
という表現より
「使ってもらっていた」
という方がしっくりくる。
しかしながら、この1年が自分を大きくしてくれたと、今でも思う。

また夏合宿がきた。
トップBにノミネート…。
この時の走りが本当にキツかった。
その時に…2学年上に自分には人一倍厳しい先輩がいた。
岩手の名門…遠野高校出身の先輩。
高橋臣徳(たかはし、たかのり)という先輩だ。

「2人組は常にペアな、絶対ついて来いよ。」

と言われ…
超人的な身体能力とメンタル持つ人間と
平々凡々な身体能力と若輩なメンタルを持つ人間。

地獄のマンツーマン。

キツかった…嫌だった。
でも、タカさんの事は大好きだったから、死に物狂いでついていった。
もちろん…パーフェクトではなかったが。
幾度となく限界を超えた…。
林の中にも何度も吐きにいった。

そのおかげで、無限のスタミナを手に入れた。
正直…90分ずっと走っていられた。
驚くほどに。

この夏を乗り越えれたのは大きかった。
タカさんがいなければ、無理だった。

サッカーの方も調子が良かった。
夏合宿の間に…謎のトップ合流が1週間だけあった。
調子が良過ぎた為である。
トップ合流しても1人だけ、身体のキレがおかしかった。
そらそうだ…
トップと同じメニューと言っても、強度は違う。
疲労が溜まるとあっさり動けなくなり、1週間でさようなら。
その後…B1で過ごしたが、この年のB1は強かった。
トップより強いんじゃないかと言われていたほどだった気がする。

自身もこの2年生の1年間で…
大きく成長した。

勢いのまま…
この年、Iリーグで全国準優勝した。
後一つ…悔しかった。
怖かったけど、2個上の先輩達は愛情があり、優しかった。
大好きだったからこそ、一緒に勝ちたかった。

そして…
自身にとって良い経験となったのが…
この年の1月に行われた…
プーマカップと呼ばれる、フットサルの大会。

当時まだプロ化になってないフットサルの全日本選手権だ。

学生枠として国士舘が出る事に…
有難いことにメンバーに入れた。

グループリーグで
強豪と対戦した。

現にバルドラール浦安だ。
当時はプレデターフットサルクラブ。

このチームは強かった。
他のチームも強かったが比べ物にならなかった。
前半、まさかの0-0。
後半になるとスタメンが全員日本代表に変わっていた。
強いチームを本気にさすことができた。
もちろん負けました笑
0-3。
今のチームが優勝したという。
そら強いわ…ってなりました。

このフットサルの経験も大きかった。

この2年生の1年間…
たくさんのことを経験し…
成長し…

3年生で大きく挫折するのでありました。

長々と読んでいただき
ありがとうございました。

次は
3〜4年生を書きたいと思います。

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