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悪い癖

軽率に首を寝違えた。明日は8時に起きて洗濯をしてとびっきりのメイクと最近買った服を着てカフェに行こう、そう思ってから3日が経った。流石にこれ以上自分を嫌いになってはいけないと思い、今日は17時に家を出た。ここ数日の中では1番早く家を出れた。1人で過ごすあの家は、なかなか私を引き離してくれない。というより、私が逃げられないのだ。いつまでも甘えさせてくれる、私だけの居場所から。

家から逃げられたものの、いつもの約束を断ったあの場所へは向かえない。半年に1回、思い出した時にだけ入る喫茶店を訪ねた。こんな時、近所に知り合いがいないことの幸せを知る。

半年前の無愛想な店員の顔を思い出し、恐る恐るドアを開けた。そんな私の気持ちとは裏腹に、気の弱そうな小柄な女性が出てきた。どこでもどうぞ、と言われ、1番人目が気にならない角の席を選んだ。それが、今。

大好きだった仕事が大嫌いになってしまい、不安を伝えられる人もおらず、今日になってしまった。向き合えるタイミングを逃し続けた。いや、向き合えるタイミングから逃げ続けている。逃げているものが多すぎて、後ろめたさがどんどんと積もる。

帰る場所は、ない。
物理的にはたくさんあるけれど、心の帰る場所はない。夢の中、空の上、海の中、そんなところにあるような気がしている。でも、最近は夢すらも私を救ってくれない。現実に限りなく近い悪夢ばかり見るせいで、そろそろ幻聴や幻覚に惑わされそうだ。きっと、空の上や海の中にもないのだろう。わたしが望む心の帰る場所は、逃げの選択の一種であることから変わらない。

少し前、知り合いのnoteを読んだ。相手は私が読んでいることを知らない。わたしの友人たちも、わたしのnoteを知らない。知らないあの人の胸の内が赤裸々に明かされていた。生々しいのに丁寧な表現で包まれていた「それ」から、息苦しさを感じた。必死に自分を正当化しているような、誰かに認めてほしいような。孤独ではないのに、孤独なふりをして、とにかくだれかに包まれたいという気持ちが見えて、苦しかった。わたしも、誰かにとっては「それ」と同じなのだろうか。そう思うと怖くなって、ほんの少し目を通しただけで閉じてしまった。

知ったようなフリをしている、とよく言われる。最近は、知ったようなフリが癖になって、癖になっていることすら気付かなくなってしまっている、と思う。だめだ、と思っていた自分のマイナスが、しっかりと体に染み付いている。なりたかった自分になれるチャンスはいつでもある、とみんな言うけれど、本当にそうだろうか。偉いと言われる人でさえ、自分の嫌いなところを正しく認識していない、「癖」がたくさんある。これは、もうそんな自分すら愛しているのでしょうか、それとも、気づいていないのでしょうか。直せない、ということでしょうか。

noteを始めたのが何年前のことか、もう忘れてしまったけれど、その当時よりもおそらく8kgほど痩せた。見た目に大きな変化はないのに、自分の中身はどんどん空っぽになっていく。心にあった人間としての重みが減っている感覚は、賢く生きている感覚に似ている。気のせいだと思うかもしれないけれど、結構似ている気がする、
気のせいか。

丁寧な暮らしではなく正常な暮らしがしたい。丁寧な暮らしは素敵だと思う、でも、憧れようと思っても、その手前になにか大きく欠如しているものがある気がして、羨ましいという気持ちすら持てない。
わたしの知っている当たり前の生活を、わたしはもう何年も実感できていない。

人に対して偉くならないといけない場面で必ず失敗する。今まで人に弱くなることばかり続けてきたからだろうか。自分なりのリーダー像が見えない。弱いと周りは不安ではないだろうか。周りを不安にさせる指導者は指導者の資格があるのだろうか。どれだけ本を読んでも答えはない。一本の正しい道はあるけれど、なかなかその上を走れない。自分らしくない、そんなプライドが邪魔をして、素直にまっすぐ走れない。

わたしの中の強さと弱さの定義が変化しつつある。わたしはわたしを弱いと言って守りたいだけのような気がする。本当は弱いと言い続けられる強さがあるのではないか。このままではいけないと焦り続ける強さがあるのではないか。逃げ続けて復帰できなくなることが怖くて、そんな時に見逃さない仲間を自らそばに置いているのではないか。本当は、弱いとか、孤独とか、そういう言葉を吐き捨てている、わたし自身が、1番ずるくて偽物なのかもしれない。

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