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恋されたい

結局、わたしはずっと誰かに愛されていたい。誰か、は、誰でもいいわけではないけれど、もし誰も愛してくれなくなったら、本当にだれでも、大嫌いな虫でもいいから、わたしを愛していてほしい。不特定多数からの好意が欲しくてたまらないのだ、わたしは。だから、不特定多数に求める好意が、行為に変わって、後悔になった。自分で自分の首を絞めるという行為すら、自分を愛することの一種だと思うようになってしまった、愚か者です。

愛されたいという感情は、わたしの中でとても醜いものだった。必ずどんな時も誰かからは愛されている、という不確かなことを信じる勇気がなかった。自分にとっての大切な人が、わたしのことを大切な人だと認識しているかどうかなんて分からないし、それを確認するのも惨めだ。親にすら、愛を感じられる行為を求めることができなかった。わたしがいなかったら、という言葉が頭によぎった夏から、わたしはわたしの存在を疑う日々だった。

愛について語ろうとすると、わたしはとても臆病になる。愛されていたい、なのに愛される方法が分からない。人を愛するということが、わたしの考える「愛」で合っているのかも分からない。愛の形はたくさんある、というけれど、それならどうして、みんなは目に見えない「愛」を信じていられるのだろう。

愛されているかもしれない、と思うようになってから、わたしはとてもワガママになった。愛されているという自惚れが暴走し、もっと愛されようとしてしまった。いつの間にか、多くの人から愛されていると実感できないと、満足できないようになっていった。わたしの愛はとても軽い。好きという言葉だけで「愛されている」と錯覚する。あえて錯覚することが自分を救うことだと思いこむ。結果的に、わたしの中の愛は、好意は、行為は、歪んでしまった。

「恋されたい」。愛まで、踏み込まなくていいから。愛は、心を消費するから。愛は、不特定多数からもらうものではないと知ったから。どうか、恋してください。遠目で見ていてほしい。なんとなく好きでいてほしい。たまに思い出してほしい。嫌いなところは嫌いなままでいてほしい。あえてなにもしないという選択をしてほしい。恋のまま、わたしに触れていてほしい。

わたしのことを好きだと言ってくれる人がいる。何度もご飯に誘ってくれたり、電話をかけてきたり、色んな物をくれたり、一緒にいたいと言ってくれたり。でも、どれが真剣で、どれが嘘か、分からない。そんなものに対して真剣になってしまうのがこわい。たった一言、「好き」と言われるだけで揺らいでしまう、この単純さをもう利用されたくない。好意と行為を遠ざけたい。真剣か、真剣ではないか、見極めることが億劫になって、全て突き放すようになってしまった。でも、やっぱり本当は、そんなめんどくさいわたしのことも、好きだと言ってほしかった。

少女漫画を読んだ後、恋されたくなる。好きな人がいるのに他の人から告白された。彼氏の親友がわたしに片想いをしていた。親友の好きな人がわたしのことを好きだった。ありがちな展開に胸を打たれる。不特定多数の「誰か」から恋をされているという状態が、羨ましくてたまらない。彼氏から、彼氏の親友から、自分の親友から、みんなから、恋されて、愛されている。そんなヒロインにいつまでも憧れている。

承認欲求という言葉で表現されるらしいこの感情は、止まることを知らなかった。今になってようやく少しだけ小さくなった承認欲求は、ほんの少し背伸びをすると、すぐに大きく膨らんでいく。なにかを発信する立場にある人は、恋されたいという感情を持っていて当然。そうやって自己防衛をして、今夜も満たされないままのわたし、見ていられない。わたし、正直、みんなから好きだと言われたかった。いい子でいようとしたのは、わたしの弱さを見せたのは、好きで居てほしかったから。それだけでした。ねえ、素直になったわたしのこと、あなたはきらいですか。

恋される一番の方法は、自分自身が誰かに恋をすることだと思った。気づけば、わたしはたくさんの人に恋をしていた。恋をすると誰かに恋をしているわたしのことを好きになれて、空っぽだった心が満たされた。わたしがあなたに恋をすることで、わたしはわたしを愛することができた。

不定期に届くラブレター。わたしはとても嬉しい。好きという一言で、勘違いをする、もう、あなたのことは忘れない。

恋されたい。わたしの許せない感情を、不特定多数の中のあなたと分け合いたかった。今日、こちらは雨です。またね。




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