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ことば

思いっきり吐き出してしまった言葉は、帰ってこないからさ。わたしの手元に留めておけばよかった、どうか忘れてくれ、って思っても、もう無理なんだよ。慎重に言葉を選べば選ぶほどわたしは薄くなっていくし、正直に伝えようとすると言葉の棘を隠すことができない。伝え方が悪いって言われても、これ以外の表現を持ち合わせていないのです。悪気がないから本音なの。言葉の一つひとつに敏感すぎるの、あなたもわたしも。

伝えれば伝えるほど報われたらいいけれど。そうもいかなくて。痛みを乗り越えたとき、その形は見えづらいから幸せはずっとなんとなくで、痛みだけがただ、はっきりと残っていて。

社会の当たり前、普通に染まれないんです、あなたは普通に生きてきたかもしれないけれど。と、一方的な「自由」を永遠に突きつけられた。自分の思い通りになってほしい、と思って世の中を疑い、世の中を非難し、そんな自分を受け入れてくれる場所を正とする。これは、ただの我儘なんです。結局、受け入れてほしい、自分を正当化してほしい、という欲望の塊なんです。わたしはずっと普通に苦しんできました。どうして普通になれないのだろうと何度も何度も思考してきました。そうして行き着いたのは、わたしらしく生きるということ。わたしらしく生きることが、わたしにとって幸せであってほしいと願うこと。周りになにかしてほしいという気持ちはありません。わたしの幸せはわたしが作るから。だから誰かを非難することもありません。あなたの正しさは、あなたの幸せのために必要だから。だから、わたしの幸せや他人の幸せをあなたの幸せの基準で非難することは、あなたが自分自身を正としたいのならば、絶対に行ってはいけないことなのです。
と、吐き出しそうになった言葉を飲み込んだ。
独りよがりな言葉は、あなたのことをとっても大好きな人にしか響かないのです。そういう言葉を、認めてほしいと思って、ただの他人であるわたしに伝えることは、間違っていると思うのでした。

言葉の自由が、
誰かが必死に吐き出した正しさが、
無関係な幸せと混じって否定されてしまう、
わたしが愛している言葉は、そういうものではありません。

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