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生活習慣病では、健康と病気の境目は、意外とあいまいである

日本では「未病」という言葉をよく聞くようになりました。

色々な定義があるようですが、未病とは「発病には至らないものの健康な状態から離れつつある状態」を指しており、つまり「病気になる手間の状態」を表しているようです。

このコンセプトが成り立つ疾患もあります。

例えば、脳梗塞や心筋梗塞など、発病前は身体の機能に異常がないものの、発病すると「非連続性」に機能が低下する疾患です。脳梗塞であれば、発症前は何も問題ないものの、発症すると麻痺がでたりします。このような急性疾患では、発症を予防することが重要であり、つまり病気になる前にリスクが高い人を同定して、発病しないように介入することのメリットがあると考えられます。

しかし、糖尿病や高血圧などの生活習慣病の多くでは、この未病というコンセプトはそぐいません。これらの疾患では、病気がある状態とない状態がきれいに2つの別の状態に分類されないからです。つまり、病気と健康の境界線があいまいなのです。

例えば、糖尿病であればヘモグロビンA1c(HbA1c)という約1~2か月の血糖値を反映する指標を使って診断します。HbA1cが6.5%以上だと糖尿病(Diabetes)だと診断され、5.7~6.5%だと全糖尿病状態(Prediabetes)と診断されます(正確にはその他の細かい基準もありますが、ここではこの議論に必要な点にとどめてシンプルにしておきます)。

つまりHbA1cが6.5%だと「糖尿病あり」、6.4%だと「糖尿病なし」だと診断されることになります。

糖尿病を治療もしくは予防するのは、心筋梗塞、脳梗塞、腎不全、網膜症などの「動脈硬化によって血管が詰まる病気(=合併症)」が起こるリスクを下げたいからです。

しかし、実際にHbA1cと合併症のリスクとの関係性を見てみると、連続性かつ線形の変化を示し、HbA1cが6.5%で急激(非連続)にリスクが上がるという事象は認められません。つまり、HbA1cが6.5%の人たちと、6.4%の人たちで合併症のリスクはほとんど変わらないのに、片方のグループには糖尿病という病気の診断をつけ、もう片方のグループは健康であると診断しているということになります。

(出典:Goto et al. Medicine 2015

高血圧の診断でも同じ問題があり、血圧の値と合併症の関係性は連続性かつ線形であり、診断基準である収縮期血圧140mmHg、拡張期血圧90mmHgを境に、急激(非連続)に合併症のリスクが上昇するということはありません。

(出典:Flint et al. NEJM 2019

では、私たちはなぜ病気がある人とない人に、二分して「診断」しているのでしょうか?

それは、医療現場や公衆衛生の政策において、このようなラベリングをしないと、現実問題として対応策を講じることができない(現場が回らない)からです。「病気のある集団には介入して、病気のない集団には介入しない」というシンプルな制度設計をするためには、まず病気のあるなしをラベリングする必要があります。そうすれば「検査→診断→治療」という医療で一般的な一連の流れに乗せることができるようになります。

HbA1cのような連続変数を、糖尿病の有り無しのように0/1のデータに変換することや、多次元の情報をより少ない次元の情報にまとめることを、統計学で「次元削減(Dimensionality reduction)」と呼びます。情報量(次元)が多すぎて処理しにくいときに使われる手法です。

例えば、身長と体重という二次元の情報(2つの変数の情報)を、2つの指標を組み合わせてBMIという一次元の情報(1つの変数)に落とし込むことが、次元削減になります。

生活習慣病における「診断」とはこの次元削減の一種であり、情報量が多すぎると対応先を講じるのが難しくなってしまうため、その問題を解消するためにプラクティカル(実用的)な手段として使われていると考えられます。

私たち人間の脳のCPUの処理能力が限界があるから、このような実用的な解決策が必要なのですが、私達の研究チームは、AIを使うことでこの問題を解消できると考えています。

つまり、血圧の値を一度「高血圧」という病気のありなしで2つのグループに分類して(次元削減して)、そのあとに患者さんにあった適切な介入を検討するのではなく、血圧を連続変数のまま評価して、正常血圧の人も高血圧の人もまとめて「血圧を下げた場合に合併症のリスクの低下(=介入のメリット)」を計算し、この「介入のメリット」が大きい集団に介入するというアプローチです。

私達はこのアプローチを「高メリット・アプローチ」と呼んでます。英語ではメリットとは違う意味があるので、日本語のメリットに近い概念であるベネフィットという用語を使って、「高ベネフィット・アプローチ(High-benefit approach)」と名付けました。

(出典:Inoue, Athey, Tsugawa IJE 2023

この手法を使うためには、一人一人において「介入した場合のメリット」を高い精度で推定する必要がありますが、私達の研究ではそれが実現可能であることがわかってきています。

これらの研究は、個別化医療の一環の研究といったレベルの話ではなく、医療における「診断」の概念を変えるようなパラダイムシフトになる可能性がある、と私達は考えています。

私達がやっている研究に関しては、下記の記事をご覧ください。https://note.com/yusuke_tsugawa/n/n121d8c9e5465

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