『Killer Frequency』感想:「ラジオDJとなって殺人鬼から住民を守る」という奇抜なコンセプトが生んだ、超良質ホラーアドベンチャー
舞台は1987年、アメリカ。ある深夜。とある町に殺人鬼が現れました。
殺人鬼は、町の保安官を襲い、殺します。
なんとか難を逃れ、一人残った保安官は、応援を呼びに別の街に向かうことに。片道、2時間以上かかる道のりです。
つまり、保安官が不在の間、殺人鬼のいる町は無防備に。
携帯電話も無い時代。広く、リアルタイムに、多くの人に情報を伝えられるのは「ラジオ」でした。
そして、電話回線を扱い、ラジオを聞いているリスナーに状況を聞く(インタビューする)能力があるのは、「ラジオDJ」でした。
現代に蘇った殺人鬼が、街のどこかに
ゲームのジャンルはホラーアドベンチャー。
主人公のフォレストは、ラジオDJ。
以前は、数百万人のリスナーがいたラジオDJであったフォレスト。
異動で今は人口1,000人、リスナー約35人の田舎町深夜ラジオのDJ。
本人もコンプレックスに思っています。
そんな彼が、渋々放送を始めるところから、ゲームが始まります。
フォレストがDJを務める「ザ・スクリーム」という名前のリスナー参加型ラジオ番組では、放送された叫び声に対して、それがどんな叫び声なのかを当てるという、なかなかに下らないコーナーを擁していました。
リスナーからの電話を募集するわけですが、その日かかってきたのは、「911のオペレーター」から。日本でいうところの、110番から電話がかかってきたのです。
話を聞くと、殺人鬼が保安官を殺し、街をうろついている。
この街にはもう保安官が自分一人しかいない。応援を呼ぶために、他の街まで車を走らせる……というもの。
そして、「自分が他の街まで応援を頼みに行っている間、この街には保安官が一人もいなくなる。そこで、911の番号にかかってきた電話はラジオ局にかかってくるようにしたから、対応してくれ」という無理難題を押し付けられます。
殺人鬼は「ホイッスリングマン」。
1950年代に、舞台となる町で存在した殺人鬼。
仮面を被り、口笛を吹きながら住民を殺していた殺人鬼です。
当時、警察に追い詰められたホイッスリングマンは川に飛び込んだのですが……、犯人の遺体は見つかりませんでした。
そのまま、時が経ち、1987年の今。ホイッスリングマンが再び現れたのです。
プロデューサーの後押しもあり、911オペレーターの保安官の依頼を渋々了承した主人公のフォレスト。
ここから、殺人鬼と住民、そしてフォレストを巡る、長い長い夜が始まるのです。
シンプルでコンパクトなラジオ局がゲームの舞台
ゲームは100%、ラジオ局にて完結します。
一人称視点での画面に映るのは小さなラジオのスタジオ。
いくつかの機材、マイク、レコード。音量を調節するミキサーや、効果音を出すボタン。
パッと見で何をすればいいか、わかりやすいものとなっています。
おそらく本物のラジオ局はもっと複雑だと思いますが、かなりシンプルに簡略化されたスタジオであると思います。時代が1987年ということもあるのでしょう。
プレイヤーは、電話を繋いだり、CM(の音声が入ったカセットテープ)を流したり、レコードを選び音楽をかけたり、効果音を鳴らしたりすることができます。番組を、思い思いに演出することが出来ます。
いや、どちらかというと「本来は出来るはずだった」というのが正しいと思います。
本来放送される番組が、殺人鬼の出現で一変してしまったからです。
ゲームシステムは謎解き
保安官から911オペレーターの代わりに(生放送の番組上で)住民と話すことになった主人公のフォレスト。
当然、警察にかけたと思った住民からは「なんでお前が電話に出てるの?」と困惑されます。このあたりは、このゲームが「ホラーアドベンチャー」だけではなく、ときに「コメディ」と称されるだけあるポイント。
大分類はホラーですが、しかしバイオハザード等のような恐怖は無いので、ホラーゲームが苦手な人でも十分楽しめると思います。なんせ、殺人鬼はいるものの主人公のフォレストはラジオ局に引きこもっているわけですから。
住民からかかってくる電話は、殺人鬼に関するものばかり。と言っても、殺人鬼を装ったいたずら電話や、電話がラジオに流れているのをいいことに自分の店を宣伝する人も。
そんな中で、本当に殺人鬼に、今まさに狙われている人からラジオ局へと電話がかかってきます。当然です。なぜならその人は、警察に助けを求めるつもりでかけているから。
第三者的なポジションでいたラジオDJが、本当に殺人鬼に追われている住民の相手をする。そこから、このゲームの本質が始まります。
命を脅かされている住民からの電話に応える
警察に電話をかけてきた住民、彼ら・彼女らは殺人鬼から逃げたいのに、逃げられない。困っている。だからこそ911に電話をかけているのです。
例えば、車が故障して動かないという電話がかかってきます。
殺人鬼はすぐそばに。早く車を修理して逃げたいが、どうやって修理したらいいかわからない。殺人鬼がもうすぐ近くまで来ている……そんな、切羽詰まった電話です。
電話を受けたフォレストは別の部屋にいる女性プロデューサーと相談し、ラジオ局内に何か手助けになるヒントがあるかもしれないことに気づき、局内を探索します。
そして見つけたヒントから、適切な答えを住民に伝えることで、その住民は無事に車の修理を完遂。殺人鬼から逃れることが出来ました。
そのような、遠隔での間接的な人助けを行っていくのがこのゲームのメインシステムです。
それは単純に特定のアイテムを見つければ解決するものから、じっくり推理が必要な謎解きまで、多種多様で飽きないものでした。バリエーション豊かな謎解きでありつつ、しかしどれもギリギリラジオ局内の情報や工夫で解決できるものであるところがまた、フォレストの一般人感と臨場感を増していました。
「現場」にいないからこそ感じるドキドキ感と無力感
謎解きはするものの、その結果……つまり、自分の選択が正しかったかどうかは、目で見えません。ただ、電話口からの反応を待つだけです。
そこがまた良い。このゲームの、シンプルな世界だからこそうまく作用した部分であったと思います。
自分がこう動けとアドバイスした結果が、吉と出るか凶と出るか。それをただただ待つだけの時間。永遠にも思えるその時間は、ただ祈ることしかできない時間でした。
何より、うまく住民を助けられなかったときの無力感。このゲームは、プレイヤーの答えが間違っており、住民を助けられなかった(住民が殺人鬼に襲われた)場合でも、物語は進んでいきます。
過ぎ去っていく時間の中、その後悔だけがずっと尾を引いていきます。
電話の向こうで、殺人鬼による凄惨な行為が行われているのを、ただただ聞くだけの時間。この、現場にいないからこそ感じるもどかしさは、素晴らしい演出でした。
まるで番組の1コーナーのようなメリハリと、それを生んだ「ラジオ番組で曲をかける」行為
このゲームは基本的に、リスナーから電話がかかってきて、その問題に対応し、殺人鬼からその人を守る(または、守れない)ことで、物語が進んでいきます。
これはある意味でステージ制に似たようなプレイ感でした。
一人、また一人とリスナーから電話がかかってきては、対応し、終了。
そしてまた電話がかかってくる。これが、なんだかラジオ番組のコーナーがどんどん進行していっているように感じ、ステージをクリアする感覚を覚えたのです。
特に、それを感じた理由が「音楽」。
スタジオ内左手には、いわゆるレコ箱、レコードの入った箱が用意されています。ここから、プレイヤーは好きなレコードを選び、右手にあるレコードプレーヤーにて再生。それがそのまま、ラジオとして生放送で流れるのです。
この「音楽を流す」という、ラジオでは極めて当たり前の行為が、ノンストップで進む物語の良いアクセントになっていました。
住民の対応を1つ終わらせる度に、まるでドラマが1話終わってエンディングテーマが流れるように音楽が流れることで、ゲームとしてのメリハリを生むのです。
これがなければ、延々と対応するだけのコールセンター感が強いゲームになっていたと思います。選曲し、曲をかけるという行為が、グッとゲームを引き締めていました。
ラジオ番組という構成を使ったゲームだからこそ実現できた、上手い演出であったと思います。
練られたシナリオ
ラジオ局のDJが、リスナーからの電話で殺人鬼に対応する。
このコンセプトは非常に面白いものでした。
一方で、コンセプトはいいものの肝心の物語が破綻しているゲームもちらほら見つかるものです。
そんな中、このゲームはそのシナリオも非常に良く出来ていました。
殺人鬼”ホイッスリングマン”とは何者なのか。なぜ現代に蘇ったのか。
なぜ殺すのか。誰を殺すのか。
その謎が、ゲームを進めていくごとに少しずつ明らかに、少しずつ線で繋がっていきます。
多少強引なところはあれど、しかしコンパクトな作品でも風呂敷が広げっぱなしにならない、良いまとめ方でした。
ラジオ局から外に出ることなく真相が解明されるのは見事であり、プレイヤーが想像する殺人鬼の恐怖と、想像ではない具体的な数々の真相に繋がるヒントの分けかたが、非常に計算されているなと思いました。
というのも、物語というプレイヤーが具体的に知りたい部分はそれに応えるように具体的に理解できますし、一方であえてホイッスリングマンの恐ろしさは抽象的になっていました。それこそ、真相が見えてくることで生まれる恐怖と、現場が見えないからこそのホイッスリングマンの恐怖。これらが、このゲームの魅力として確立されていました。
終わりに
時折ラジオに出演させていただいているので特に興味を持ったゲームだったのですが、遊んでみれば非常に細部まで丁寧に作られた、本当に面白いゲームでした。
もちろんゲームの舞台が1987年ということで、現代とは違います。
しかし、やはり確実にあったであろう、レコードを選んでかけていた時代。このゲームにおけるラジオのスタジオ、その手作り感は、仕事現場というよりは遊び場というような印象でした。
コンセプトがそもそも魅力的なのもありますが、インディーならではのコンパクトさを生かしているのも非常にうまいところ。やはり現場にいないということが、想像の余白を大きく生んでいたのはさすがでした。これは「A Space for the Unbound」のドット絵描写でも感じたのですが、プレイヤーの想像できる余白があることが、ゲームの物語に対してポジティブな影響を与えることも十分あると思います。ラジオ局から出ていないのに、非常に壮大なミステリアドベンチャーを楽しむことが出来ました。
翻訳も問題なく、英語ですがフルボイスなのは臨場感を掻き立てます。
フルボイスでセリフが飛ばせないので、ただ話を待つだけのやや冗長な部分もありますが、明らかにその暇つぶしを狙っているであろう、ミニゲームも存在。この辺りの抜け目の無さ、しっかりプレイヤーのことを考えて開発されたことがひしひしと伝わります。
また、線の太いビジュアルや、多くの物にインタラクトできるシステムは、キャッチーでありながらも好奇心を掻き立てるもので、コンパクトなラジオ局を広く見せるには十分な効果でした。
この、ホラーゲームっぽくないビジュアルがまた、ラジオ局の外で行われている凄惨な事件とミスマッチしており、安全な場所(ラジオ局)と安全ではない場所(目に見えない、殺人鬼のいる町)の対比を強くする効果を生んでいました。
ラジオ局でリスナーからの電話に応え、殺人鬼に対応する……。
面白いコンセプトであるのは間違いありません。
ですが、このゲームを終えて思うのは、そのコンセプトの面白さを最後まで維持するには、ゲームプレイ自体のクオリティが高くないといけない、ということ。
物語、謎解き、ビジュアル、システム、それらが全て高水準だからこそ、突飛なコンセプトでも成立する。飽きずに最後までプレイできる。
それを強く感じたゲームでした。
アドベンチャーゲーム好きな人、謎解き好きな人、そして何よりラジオが好きな人には間違いなくお勧めできるゲームです。
インディーのコンパクトさをうまく利用した本作。SteamやSwitch、PS4/5、XBOXなど色々なプラットフォームで遊べますので、ぜひ遊んでみてください。
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