見出し画像

決戦前の軍議の行方:「三方ヶ原の戦い」を地形・地質的観点で見るpart14【合戦場の地形&地質vol.5-14】

歴史上の「合戦」を地形・地質の観点で考えるシリーズ。

「三方ヶ原(みかたがはら)の戦い」は、徳川家康が武田信玄に大敗した戦として有名です。
迫る武田軍に対し、籠城戦を覚悟した家康。
しかし武田軍は家康の本拠地である浜松城を素通りするようなルートで行軍します。舞台は「三方ヶ原」と呼ばれる広くて平坦な段丘面
数で勝り、戦国最強の騎馬軍団を擁する武田軍にとっては、まさに「地の利」を活かせる絶好の地形です。

なぜ家康は出撃したのでしょうか?
前回は代表的な5つの説のうち、3つまで検証しました。
前回記事はコチラ👇

いよいよ、残りの2つの説について考察します。


武田さん、素通りしてどこへ行く?

浜松城では、家康と家臣たちが「武田はどこへ向かうつもりか?」と、大いに議論していたことでしょう。
"決戦前の軍議"のつもりで考察してみましょう。

ここでもう1度、地形図を確認します。

浜松城・岡崎城周辺の地形図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

岡崎城まで含む広い範囲を図示しました。
これを見て分かるように、浜松城の西には、まだまだ徳川の城があります。

東は犬居城、只来城、二俣城が落とされたため、浜松城と連携できる城は西の城のみとなりました。
しかし西の城では長篠城も武田の手に落ちています。

実際、浜松城への補給物資の運搬は浜名湖の水運が担っていたそうで、沿岸の宇津山城→堀江城→浜松城という補給線になっていたようです。

各城の位置関係から、浜松城を素通りして次に向かう土地として、次の3パターンが考えられます。

  1. 三方ヶ原台地北縁沿いに南西へ向かい、堀江城へ

  2. 浜名湖の北を通って野田城へ

  3. 北北西へ進軍し長篠城へ。長篠城で軍勢を整え、野田城へ

野田城→吉田城→田原城と落とされれば、堀江城・宇津山城をも含む広い範囲で包囲され、どのみち補給線は断たれます。

なお前回までで、まだ考察に至っていなかった仮説は以下の2つでした。

・「祝田の坂」の地形を利用すれば勝算があったから
・浜松城が兵糧攻めされるのを避けたかったから

これまでの考察から、浜松城の兵糧攻めはまず確実でしょう。
その時に武田軍が「祝田(ほうだ)の坂」を通る可能性があるかどうか?について検証してみましょう。

祝田の坂はどこにある?

そこで問題になるのが、祝田の坂の場所です。
見つけられるか不安でしたが、グーグルマップで検索したら、あっさり出てきました(笑)
ちなみにグーグルマップでは"祝田の旧坂"と記載されていました。どうやら2通りの呼び名があるようです。
ここでは引き続き「祝田の坂」とします。
さっそく地形図を見てみましょう。

祝田の坂位置図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

祝田の坂は上図の赤丸の場所。浜松城から北北西へ約10kmの地点で、三方ヶ原台地の縁辺部です。
現在は国道257号線が通っています。
堀江城は南西に位置するので、祝田の坂を下りると言うことは、堀江城攻略の選択肢はなくなりそうです。

祝田の坂周辺の地形図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

祝田の坂の拡大図です。
狭い谷の縁を通っており、急な坂になっていますね。
確かにここを下っている時に背後を突かれれば、大きな痛手になりそうです。
ちなみに、この地形図で地形をイメージしにくい場合は、トップの3D画像を見てみてください。真ん中よりやや右が祝田の坂です。

祝田の坂のその先は?

現在の国道は、かつての街道沿いを通っている事例が多いです。
今回もそうだと仮定して、国道257号線の先を見ると、長篠城へ至ります。

国道257号線(祝田の坂-長篠区間):スーパー地形画像に筆者一部加筆

次に、古地図を見てみましょう。

祝田の坂付近の街道:遠江国絵図(国立公文書館デジタルアーカイブより)に筆者一部加筆

浜松城(赤四角)から北へのびる街道(上図赤線)があり、地名を辿ってみると現在の国道257号線と概ね同じルートを通っています。
この街道沿いには祝田の坂の記載はありませんでしたが、「祝田村」(上図黄丸)はありました。
現在でも祝田の坂を下りた先に「祝田」と言う地名があるので、その位置関係から推定すると、祝田の坂は黒丸のあたりです。

なお青線でなぞった街道もあり、こちらは吉田城や野田城へ至る街道です。つまり「祝田の坂の地形を利用すれば勝てる」と考えて出陣したのであれば、「武田軍が長篠城へ向かう」の一択に賭けたと考えられます。

ただし、これは単なる当てずっぽうではなく、様々な要素で考察すると、一番高そうな可能性だったのかも知れません。

そしてここに至るまでの経緯から逆算して考えてみると、武田信玄ははじめから、この罠に嵌めるために伏線を張っていたように思えてきます。
まさに"詰将棋"のように。

次回はその詳細についてお話しします。
長かった「三方ヶ原の戦い」シリーズもいよいよ終わりが近づいています。

お読みいただき、ありがとうございました。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?