"地質構造"が山のカタチをつくる:「長篠の戦い」を地形・地質的観点で見るpart6【合戦場の地形&地質vol.6-6】
日本の歴史上の「戦い」を地形・地質的観点で見るシリーズ「合戦上の地形&地質」。
長篠の戦いは日本の歴史上、初めて鉄砲を組織的に運用した戦(いくさ)としても有名です。
武田の砦を奇襲する際に行軍したルートは地形が複雑であり、それは断層などの地質的要素が原因でした。
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今回も引き続き、複雑な地形の要因についてお話しします。
もう1つの断層
山地には2条の断層がありますので、まだ詳しく見ていない南側の断層沿いの地形を確認しましょう。
黄色線が断層です。
左の2つの赤丸は侵食による谷地形ですね。
断層方向にほぼ平行な東北東-西南西方向でY字型の谷地形ができています。
右端の赤丸範囲は、断層沿いの侵食で崖ができ、断層に隣接した硬い岩が細長く残って尾根になっています。
以上のような谷地形と細長い尾根がまっすぐ並ぶことで、リニアメントに見えているのでしょうね。
谷地形を詳しく
リニアメントの一角を担っている谷地形。
これらの侵食がかなり進んでおり、場所によっては尾根にまで達しているため、複雑な地形をつくる一因になっているようです。
赤線で囲った範囲が侵食範囲で、青線が主要な沢・谷です。
かなり広い範囲で侵食が進んでいるのが分かりますよね。
またこの山地は、上図の赤線でなぞった稜線を挟んだ南北で傾斜が著しく違います。
西側の谷沿いに切った断面図です。
左が北向き斜面、右が南向き斜面です。
北向き斜面の方が明らかに緩やかですよね。
実は、北向き斜面の侵食が進んでいることと、傾斜が緩やかになっているのは地質的な原因が同じです。
地質構造を見る
地形が地質的な影響を受ける場合、地層・岩石の硬い軟らかいだけではなく、地層の傾きや各種の面の向きも原因になっています。
そのような「地層の傾きや各種の面の向き」などを地質構造と言います。
シームレス地質図は地質構造を示す記号が図示されていないので、5万分の1地質図を確認します。
上の図は山地全体を見るために縮尺が小さいため、記号が見えにくいですが、見えるでしょうか?
ーに▲をくっつけたような記号があちこちにあるのですが・・。
上図の赤丸です。
これは低温高圧型の変成岩の片理面の傾きを表す記号です。
▲の先端方向が傾斜方向です。
低温高圧型の変成岩とは、ある岩石が地下深くで圧力を受けることで岩石内部の鉱物が変わってしまった岩石のことです。
上の地質図の緑は緑色片岩(塩基性片岩または苦鉄質片岩とも言う)で、もとは玄武岩(マグマが浅い地下もしくは地上で冷えて固まった岩石)。
茶色は黒色片岩(泥質片岩とも言う)で、もとは泥岩(海底などに溜まった泥が固まった岩石)。
これら片岩は平板状や棒状の鉱物の向きが揃うことで、まるで紙を束ねたように「面」が発達しており、これを片理面と言います。
上の地質図の記号を見ると、この地域の片理面は北北西方向に20~50度傾いているようです。
この断面図は奇襲ルートの山地ではなく、やや北東ですが、地質・地形の傾向が同じ場所の断面図です。
これを見ると想像しやすいかと思いますが、面が傾いている方向の斜面が緩やかで、逆側が急斜面になりやすいという傾向にあります。
侵食はどのように進んだか?
北向き斜面は広く侵食されていますが、具体的にどのように侵食が進んだのか?考察してみましょう。
Y字侵食の谷の模式図です。
左が北、右が南、太線が断層で斜め模様が片理面です。
上図のように断層沿いの侵食が進みます。
こうして形成された谷は、Y字の上の部分・・つまり東北東ー西南西方向の谷です。
このように凹地ができると、当然、上図赤矢印のように片理面に沿って滑り落ちやすくなりますよね。
つまり北側斜面は片理面に沿って崩れやすいため、緩やかな地形になりました。逆に南側斜面は崩れにくく、急斜面のまま残ります。
また北側斜面は上図のような侵食と土砂崩れを何度も繰り返すことで、広い谷が形成され、尾根付近にまで侵食が進み、複雑な地形の一因になったのでしょう。
今回はここまで。
お読みいただき、ありがとうございました。
引用・参考文献
齊藤正次(1955)5萬分の1地質図幅説明書「三河大野」(5 万分の 1 地質図幅),地質調査所,36p.
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