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断層の侵食でできる地形:「長篠の戦い」を地形・地質的観点で見るpart5【合戦場の地形&地質vol.6-5】
日本の歴史上の「戦い」を地形・地質的観点で見るシリーズ「合戦上の地形&地質」。
長篠の戦いは日本の歴史上、初めて鉄砲を組織的に運用した戦(いくさ)としても有名です。
前回は決戦の直前に決行された砦への奇襲攻撃に注目。
砦がある山体は広く、大きく迂回する道程は複雑であり、地理・地形への精通がカギを握る作戦でした。
今回は奇襲ルートとなった山地の複雑な地形がどのようにして形成されたのか?探っていきましょう。
複雑な地形を深堀りする②
まっすぐ地形はどうなってる?
では「まっすぐ地形」を拡大して詳しく見てみましょう。
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拡大した場所をおおまかに図示しました。
順番に見てみましょう。
拡大図①
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まずは「①」です。黄色線が断層です。
ここでは赤丸で示した「鞍部」が断層による地形だと考えられます。
鞍部とは、尾根線(稜線)の途中の凹みのことです。
断層は岩が破砕されて周囲より弱くなっているため侵食されやすく、凹地形になりやすいため、尾根に凹みができます。
ここでは断層によって形成されたと思われる鞍部は4カ所で、一番東は断層の南北に2カ所。
地質図では1本の線として描かれていますが、細かく見れば枝分かれしていてもおかしくはないので、恐らくここはそういう場所なのだろうと思います。
そもそもこの地域一帯の中央構造線そのものが幅を持っていて、3条の断層が並んでいると話しましたよね。
そう考えれば、枝分かれがあっても不思議ではないと理解していただけると思います。
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さらに拡大しました。
上の図と見比べて、鞍部の場所を探してみてください。
真ん中の標高172mのすぐ南に鞍部がありますよね。これは上図の真ん中の赤丸です。
鞍部は周囲の尾根より低いため、山地を越えるための道として使われることが多くなります。ここもその典型例ですね。
拡大図②
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次に拡大図の「②」です。
左から数えて1番目と3番目はさきほどと同じく鞍部です。
そして2番目の広く囲った範囲は違うパターンで、「断層面がそのまま露出している」というパターンだと考えられます。
正確には「断層に隣接した岩盤面」で、つまり断層は周囲より軟らかく侵食されたため、断層と岩盤との境界面が残ったと言うことです。
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想像してみて下さい。
丸い果物を真っ2つに切るとします。
包丁を縦にして、垂直にして切り、それを真上から見たら、切断部は「1」の字のような縦方向の直線になりますよね。
一方、同じく縦方向でも、包丁の刃を左斜め下に向けて斜めに切れば、切断部は真上から見て。左方向に開いた半円になりますよね。
地質図を描く場合、地質の境界線を地形図に図示しますが、考え方はこれと同じです。
つまり上図の赤線は切断部であり、要は断層面と地表面の交線になります。
そして薄赤色で塗った範囲が断層面です。
左半分は右半分よりも侵食が進んでいないため、まだ断層面は露出しておらず、地表付近にだけうっすら見えているという状態です。
地形図だけのものと図示したものを並べますので、見比べてみて下さい。
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どうでしょう?
断層面が見えましたか?
ちなみに地形図から読み取ったところ、面は多少歪んでいますが、ほぼ平滑で、概ね南東方向に約45度傾斜している面です。
(※原理は簡単で三角関数を使うのですが、説明に時間がかかるので、ここでは省きます)
ところで、この場所の左を迂回するような形で道が通っていますが、これは奇襲の際に通ったとされる道です。
本当は北北東方向に行きたいのを、断層による急斜面が邪魔をしているため、左を迂回する道になったのでしょうね。
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最後に、1番右の箇所です。
これは断層の侵食によって形成された広い谷地形と考えられます。
断層は「栗衣」という集落がある幅の広い谷の南端あたりを通っていると想定されます。
断層そのものに一定以上の幅があるのはもちろんですが、周囲の岩石も断層運動の影響で割れ目が多くなったりと、弱くなっている部分があります。
栗衣の広い谷地形は、いずれかの要因で幅広く侵食が進んで形成されたのでしょう。
以上のように、2条の「リニアメント」のうち、北の方は断層の侵食によって形成された「鞍部」「断層面の露出」「広い谷地形」が直線状に並ぶことで、線状に見えるものだと分かりました。
南のリニアメントについては、「北向き斜面は侵食が進んでいる」と一緒に説明したいと思います。
今回はここまで。
お読みいただき、ありがとうございました。