戦国最強武将は"詰将棋"が得意?:「三方ヶ原の戦い」を地形・地質的観点で見るpart16【合戦場の地形&地質vol.5-16】
歴史上の「合戦」を地形・地質の観点で考えるシリーズ。
「三方ヶ原(みかたがはら)の戦い」は、徳川家康が武田信玄に大敗した戦として有名です。
おそらく家康は「信玄が浜松城を兵糧攻めにする」と予想し、浜松城から打って出たと考えられます。
このとき信玄の目的地は3通り想定され、それがために「三方ヶ原の戦い」が発生したと考えられます。
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信玄の巧妙な詰将棋
これまでの考察から、武田軍が浜松城を素通りしたことで、目的地を3通り予想することができますが、いずれにしても地形的に徳川に有利になります。
しかし長篠城は既に武田領であることから、挟み撃ちの危険がないという点で「長篠城へ進軍する可能性が最も高い」と、家康が考えた可能性があります。
となれば通ることになるのが「祝田の坂」です。
そうであれば「坂を下りている武田軍の背後を突けば打撃を与えられる」という結論となり、出撃を決めたと考えられます。
ここで、武田軍の二正面作戦が絶妙に効いてくるんです。
武田軍が徳川領に侵攻する際、はじめに5000人の軍勢が伊那盆地経由で東三河に入りました。
これについては、後に進軍する本軍の目くらましとなる見事な陽動作戦だと言いましたが、実は三方ヶ原で決戦に持ち込むための布石とも捉えることができます。
どういうことでしょうか?
地形図を見ながら考えてみましょう。
徳川・武田の位置関係
上述の3通りの目的地を地形図で見てみましょう。
赤が徳川、青が武田。
黒点線が予想される3つの行軍ルートです。
青い太矢印は想定される武田軍の補給線です。
北から説明すると・・・
伊那盆地から武節城(ぶせつじょう)を経由するルート
青崩峠から二俣城を経由するルート
駿河からの海路
仮に武田軍が長篠城へ向かうとすると、二俣城からの補給線が絶たれても、長篠城からの補給線が残ります。
一方、堀江城へ向かう場合は、二俣城・長篠城ルートとも分断され、武田海賊衆が浜名湖を抑えるまでの間は補給が受けられません。
そのため安全性には欠きますが、可能な策ではあります。
残る野田城への進軍の場合、3つの補給線が絶たれます。
しかし長篠城が武田に抑えられているため、野田城の兵は迂闊に出られず、挟み撃ちはできません。
そのうち武田本軍が野田城に到着して包囲すれば、長篠城から補給を受けられることになります。
これも一時的に危険な状態にはなりますが、可能な策ではあるでしょう。
またもう1つの効果として、野田城が不安定な状態であるため、仮に吉田城に兵力があったとしても迂闊に動けず、吉田城が動けなければ、同様の理由で宇津山城も機能しにくくなりそうです。
もし武田別動隊の侵攻が無かったら
もし武田軍が本体だけで侵攻し、長篠城がまだ徳川領であったなら、どうなったでしょうか?
まず長篠城方面への進軍はないでしょう。
また野田城もフリーになり、挟み撃ちの危険があるため行けません。
そうなると武田軍の侵攻先は堀江城一択。
二俣城からの補給線が絶たれる前に、武田海賊衆も参戦して水陸両面から堀江城を落としにかかるでしょう。
この時の織田信長は、浅井長政と対峙中で援軍は不足していますが、それが終われば徳川への援軍を追加できます。
信玄はその前に徳川を壊滅させるべく、堀江城攻略を急ぐでしょう。
そうなれば家康は信玄の動きをかなり読みやすくなります。
おそらく家康は、浜松城の兵力をいくつかに分け、複雑な地形の各所に伏兵を置くなど、兵数の不利をカバーする戦いができたでしょう。
すぐに勝てないまでも時間を稼げれば、西の兵力を整えて堀江城の防衛に回せますし、織田の追加援軍が来ればなおベストです。
信玄は野戦で家康を倒したかった?
攻める側である信玄は、先の先まで展開を読んでいたと思われます。
以上のような堀江城一択の戦いには持ち込みたくなかったでしょうし、かと言って直接浜松城を包囲する作戦は時間がかかりすぎます。
つまり信玄としては、徳川の本軍を何としてでも三方ヶ原に引っ張り出したかったのではないでしょうか?
そのためには二俣城だけではなく、長篠城も落としておく必要があった。
長篠城からの補給線を確保することで、家康は信玄の侵攻先を1つに絞れず、兵を分散させる作戦ができなくなる。
信玄がそこまで読んでいたとすれば、まさに「戦国最強武将」だと感心してしまいます。
もちろんこれは私個人の想像にすぎませんが、地形を詳しく見ることで、このような考察をできるのは楽しいと思いませんか?
長かった「三方ヶ原の戦い」はこれで終わりです。
お読みいただき、ありがとうございました。
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