なぜnoteを書くの?「考えたいから、書きたい」 #生後85日目
この記事はお蔵入りといいますか、下書きになって2週間放置されていました。笑
なんとなく、うまく書けないなと思ったのです。
でも、今読み返して、修正せず、そのときの気持ちをそのまま公開してみようと思いました。
今日は、私の一番好きな作家が、小説や物語を「書くことについて」書いた本を紹介したいと思います。
私は物語を普段書いているわけではありませんが、今はnoteで「書くこと」を日々続けています。
どうして小説を — 物語を書きたいのか。
それには、もうひとつ理由があり、「考えたいから書きたい」のだと思う。
さかさまに言うと、書くという行為が、そのまま考えることになっていて、あらかじめ考えていたことを書くのではなく、とにかく手を動かして書き始め、書いていくそのアクションが考えを生んでいくのを見守っている。
何もなかったところに、自分の考えが文字になって刻まれていき、その、刻まれた文字に触発されて、次の言葉やイメージが生まれてくる。
その連続が「書いていく」ことで、それが面白いから、書きつづけたいのだと思う。
今までにそう思ったことはなかったけれど、私は元々、考えることが好きな方かもしれません。
他の人がどのくらい「考えること」をしているかわからないのですが。
ぐるぐると何かを考えては、自問自答し、それを誰に話すでもなく、ただただ、じぶんのなかで思考を巡らせていました。
noteを書くことは、私の想像以上に楽しいことでした。
こうして書き続けていることが、その結果だと思います。
書くことが面白くなければ、続かないはずです。
もちろん忙しかったり、気分がのらなくて更新が途絶える時もありますが、ふらりとまた戻ってきます。
「つまりさ — まぁ、これが今夜の俺の結論だけど — アンタは何も分かってないってことだ。
分かってなくて当たり前だし、分かってないアンタが、分かんないけどすごくいいものを — すごくいいってことだけは分かってるものを、どうにかして、つかみ取ろうとしてる。
その悪戦苦闘ぶりを書けばいい。
アンタが懸命に苦闘すれば、かならず読者が読んでくれる。
読んでくれるっていうのは、アンタの苦闘をたすけてくれるってことだ。
そう信じていい。
それが今夜の結論で、明日は明日で、明日の結論がある。
だから、明日も生きよう。
アンタは書け。俺は読む。
書く奴がいれば、きっと読む奴がいる。
そう信じていい」
これは、私の心の中で、形にならなかった気持ちがことばになったような感覚でした。
自分のなかで、何かすごくいいと思っているものを、どうにかこうにかしながら、ことばを使って日々伝えようとしているのだと思います。
物語のあるところ ――月舟町ダイアローグ (吉田篤弘)
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