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小説『北辺の守護』


序章


 - そろそろか、英吉利(イギリス)、亜米利加(アメリカ)の大使どもが参るのは。
 彼らは今は通商の自由と安全を求めるという体で下手に出てきてはいるものの、清国や印度、越南(ベトナム)の実情を見れば、いずれ我が国の国境とりわけ港湾を我が物とせんとの、その目論見は明らかよ。用心して参らねばな。

 しかし最大の難敵は、彼ら英米にあらず。それは露西亜(ロシア)ぞ。北辺に接するかの国は、兵力もさることながら、げに恐るべきはその宗旨。基督(キリスト)教の中でも最も古く、強大な呪力をも持つ正教なり。その守護があればこそ、露西亜皇帝はこの地上で最大の領土を持つに至った。そして今また、清国と我が神国仏土とに露骨に触手を伸ばしてきておる。

 その北の衛(まも)りのため、遥か亜米利加(アメリカ)より高値で雇い入れた教授どもを使い、西欧文明による殖産興業をして開拓、防衛にあたらせる、これはあくまで表の牽制。しかしていま一つ、より重要な事は、神国、仏国土たる我が国の、霊的な、いわば日の本の魂の護りじゃ。流行り言葉でいうなら和魂洋才、そのうち、見えぬものこそが肝要なのだ。
 これは生半可な者に任せるわけにはいかぬ。
 その魁(さきがけ)として、肥前佐賀藩の島を、蝦夷地改め北海道へ行かせた。健脚で頑固、また西欧理解とあわせ日本古来よりの修法にも通暁し、異能の者と名高いあの男なら、背負って行った開拓三神の御霊代を彼の地で無事に鎮座あらしめ、京の都や江戸にも見劣りせぬ城市の礎を定めてくれよう。また、ともすればこの北辺に築いた一府が、いずれは西欧列強に比肩する新しき世の都となるやもしれぬ。

 さてかように切迫たる北辺の守護、その拠点造りは、一先ず島と亜米利加教授どもに任せるとしても、まだそれでは十分とは言えぬ。誰ぞこの大任を担うに足る者が、この日の本にまだ人知れず居らぬものか。
 徳川が手に負えずに放り出した我が国の舵取りと衛りとを、我らは力ある者どもを用いて、しかと成し遂げねばならぬ。・・・

第1話


 ほとんど人の住まない、ただ広く開けているだけのこの地に、十月の今はもう雪交じりの寒風が薄い板張りの建物に吹き付けている。宮二郎はその中で、いずれ必要になるかもしれない英単語の綴りを、誰に見せるあてもなく帳面に記していた。

 Government (政府),  National Border (国境),
  Amity (修交),  Security (安全保障), ...

 島判官が、銭函に間もなく到着される。少なくとも予定ではそうなっている。かの人の書記官となる自分としては、当然出迎えに行かねばなるまい。しかし島判官がいったいどうやって来るのかも詳しくは知らされていないため、出迎える方としても、いつ行けばいいのかは迷うところだ。
 その一方で、人づてに部分的に伝わってきている幾つかの事の中には、すぐにはとても信じられないような事もある。曰く、「東京の天子様の思召しによって御鎮斎せられた神様」を、島判官は「自ら背負って」この北海道までやって来られる、ということだ。
 宮二郎には、天子様から託された神様というものがどんな御姿かもわからなかったし、その神様を背負って遥かこの北の地までお運びするなど、ひとりの人間におよそ可能なこととは思えなかった。それとも実際には、三社祭の御神輿のような大仰なものを大人数で粛々と、あるいはえっさえっさと賑やかに運んでくるのかもしれないな、などと思った。幼き日より目にした祭りの光景が、宮二郎が想像できる限界であった。

 また上役から聞いたところでは、ここに着任される島義勇という人は、自らの才能にも仕える主君にも、およそこの時代において最も恵まれてきた人のようだ。薩長土肥四藩の中で最も早くから西欧文明を進取し海軍力でも名高い肥前佐賀藩の鍋島直正公、その御信任厚く、藩主付き外小姓から御蔵方、同組頭から香焼島守備隊長、その後は軍艦の艦長、海軍司令官へと出世。そしてこの度は、新政府で初代北海道開拓使長官となった主君鍋島公のたっての希望で、主席開拓判官に就任したという。
 かたや自分はと言うと、期待されているのか、あるいは大して期待されていないのか、そもそも自分にはここで何ができるのかもよくわからない。
 東北小藩の江戸屋敷住み会計役人の次男坊で、和文読み書きに加えて横浜で覚えた英吉利(いぎりす)語が多少できるということ、あとは品川の町道場で多少鍛えて身体は丈夫、風邪など一度もひいたことがない。たったそれだけの理由から始まって、いま自分はこの北の地にいる。
 いくら通詞官の分野が人材不足とはいえ、このような若輩者が、新政府の、これまた新しい開拓使という組織で、一官吏の職を奉ずることとなった。しかも旧幕府軍艦奉行の勝安房様のご推薦まで得て、だ。
 それも勝様には上役に連れられてただ一度お会いして、一言二言ご挨拶しただけである。その時、勝様が口を開いて、
 「まあ若けぇが、いい面構えじゃねえか!素直そうで芯があるよ。で、英吉利語ができるって?そりゃあいいや。もうやっとう(剣術)ばかり得意な奴らの出番じゃねえ。お前さんみたいな、西欧人とだってちゃんと話のできる人間が要るんだよ。よし決まりだ!」 
 そんな勝様の鶴の一声で、新政府の御歴々はえらく納得して、「此度の御一新で北方に開かれる本府の官吏には相応しかろう」と、そういうことに落ち着いたらしく、宮二郎の北方派遣の人事はとんとん拍子で進められたのだった。

 宮二郎自身はというと、勝に褒められた自分の面構えにも、能力にも、この新しい政府での自分の役割にも、とにかく自信というものがまるで無かった。
 自分など、この北辺の地でからからと風に吹かれて、かろうじて飛んだり折れたりはしないものの、ただただ軒先にぶら下がっているだけの役所の看板のような、そんな薄っぺらい自分に自信など、あるはずもなかった。
 ただ宮二郎には、今の自分がどうあろうと、島判官という大人物にも、そして未だ我が国の領土としてはあやふやな感のあるこの北の地を、自分が仕えることになる彼の人はどうしていくのかということには、興味はあった。

 自分が英吉利語を通じて知り得た情報では、国境では露西亜の軍が住民に銃火を向け、また他の欧米列強も外交を隠れ蓑にしながら領土的な野心をも保持し、そこかしこで利権獲得を狙っている。ただ、そんな危機的状況が確かにある一方で、ここに来てから不思議と宮二郎には、考える、というより、強く感じられることがある。
 それは、何かこの北の地を外敵から護る「確かな流れ」があって、それはこの地に必要な人間を送り出してくるようだ、ということだった。自分も、間もなくここへお連れすることになる島判官も、またおそらくはそれに続くであろう人々も、まさにその「流れ」が導くように、奔流ともいうべき強さでここへ運んでくるのである。何故だかそのような思いが時折、胸にこみ上げてくる。
 そういえば、勝様もお会いした時には言葉を続けて、「いや心配するこたァ無いさ。何も、全部自分で考えて勝負しなくったっていい。ちゃーんとお前さんみたいなのを、うまく使ってくれるヤツを寄越すから、な。」とおっしゃっていた。もしかしたらその予言めいた勝のひと言が、宮二郎の心の奥底で支えになっていたのかもしれない。
 ただ宮二郎はそのようなことをぼんやりと感じる時があり、自分の、またこの北の地の未来も、何かそれほど悲観することもないような、そんな気がするのだった。大して根拠はないのだが、とにかくも自分がこの物寂しい荒野の中でいつまでも独りではいることにはならないように思えた。

 宮二郎は、隙間風のひどい仮官舎の片隅にある自席で、あくまで自分で、そろそろ頃合いかなと考えて筆を置き、遠出をする身支度を始めた。ここから島判官が最初に逗留される銭函まで、平坦とはいえ大して整備された道も無く、既に外は雪交じりの風が吹く中、それなりに時間もかかる。
 上役に声をかけ、また自分と一緒に出迎えに行く者の住まいに寄るべく、戸を開けてまだ明るい空の下に踏み出した。雪はさくさくと軽く、足の下で音を立てた。



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