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前回の記事で、念が刺さった事を書いたのですが・・。
忘れちゃうから続けて投稿!

『念を飛ばすって、どういうこっちゃ!!!
 あんた・・誰に刺してんの?誰を刺してんの??
 どうなっても知らんよ~。私は怒らんかもしれんけど
 怒らせたらややこしい人が後ろにいるんよ~。』
と、いつも思っています。

私に何か害があったら、私に故意に害を与えた人
事故る、ケガする、入院する。
ということが昔、立て続けにあった。
私はだいぶ後で知ることになるのだけれど、故意に私に何かをした直後に
全員そういうことになっている。(私の後ろの人を怒らさん方がいい。)

学生の頃は、私に大きな害を与えようとして、警察をにぎわすような相当な大大大問題を起こした人達がいて、因果応報というのかもしれませんが・・そのメンバー全員が子宮の病気を持ち出産することはなかった。

それに気づいたのも、何十年も後。
すっかり50になろうとした頃だった。もう今からだと40年ぐらい前のことになる。因果応報ということは、その人達は全員気づいてないだろう・・。
気づかない事も恐ろしいが、気づいた私は鳥肌が立った。
因果応報というのを目の当りにしたから恐ろしくなった。


こんなことがあるから、人に念を飛ばす事は極力やめた方がいいと思う。
デービッドさんにしても、いくらマイナスな事を考えていても他人に害を及ぼす人ではない。他人に意味なく冷たい人ではない。むしろ、反対にいい人であって、周りの人はそれが気に障るのだと思う。

例え、解雇されようとも今までお世話になってきただろう。
それを忘れてしまうほど、心が荒んでいるならそっちが問題。そんな人だから解雇されるのだ。
感謝する気持ちを持っている人なら、すぐに次の仕事は見つかるはずである。そんな事は当たり前であって、キリスト教の信者さんでしょう?
厚い信仰心はどこへ行った?神を信じ、心を正せば仕事は与えられる。


デービッドさんのようなキリスト教の方は、神様を他人とは思っていないのです。日本人の神頼みと、キリスト教信者の神頼みでは、まったく心の持ち方と意味が違うと私は解釈しましたし、神様にそう教えてもらいました。

私はサイババ様に出会って以来、ずっと心の中にサイババ様がいます。
その前から、寝る前には必ず「マリア様、ご先祖様」に感謝の言葉を言ってから眠っている。それは子どもの頃から言っていたので、誰に教えられたことでもないし、いつから言っていたのかも覚えていない。
もちろん私はキリスト教信者でもない。ゴリゴリの仏教の日本人である。

小さい頃から今も、困った時は「神様助けて!!」と言っている。
通常は「お母さん!お父さん!」と呼ぶと思うのだけど、うちの両親は子どもを助けてくれるような親ではなかったし、常に仕事で家にいなかったので、助けてくれるのは神様か近所の人だった。

一番信頼できるのは、やはり神様しかいない。と、今でも思っている。
だから、神様は他人ではないのです。

これが信仰心というならば、デービッドさんも同じで厚い信仰心を持ち
常に神様を思い、信頼し、守ってくれていると思っているのではないかな。
だから日本人のように「困った時だけ神頼みしよう。」「願いがある時に神社でお願いしよう。」というのとは、まったく違う感覚なのです。

ですから、他力本願とか、他人任せという観念がまったく合わないのです。

神様を信頼できなくて誰を信頼できるのか!
という、日本人にはあまりない信仰心なのです。

以上のことから、【念が刺さらなくなる方法】を、らんみか先生からデービッドさんに伝えてもらうことにしました。


そして、同時にやってもらうことは、【笑顔】でいつもいること。
笑顔は最強の鎧となるのです。

しばらくは用心して鎧も必要です。
でも、しばらくすると鎧は必要なくなる。
笑顔が最強の鎧となります。

それができたら、もう刺さらないです。
神様は、デービッドさんの祈りを愛に変えてくれますし、それがデービッドさん自身を変える事になる。
それは偉大な神様の恩寵です。

恩寵を受けるためには愛を持って祈ることしかないんです。
それを伝えてもらいました。(言葉は違うけれど・・)


他国の人と日本人の神様のあり方は、まったく違います。
世界共通だったら、戦争は起きません。戦争は宗教観の違いから起こることが多い。ということは信仰心も宗教観もまったく違うのです。

その国の文化と宗教観を知ることは大切ですね。

祈りには愛を!

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