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ロシア政府とノルディックの宇宙人の交流&撃墜されたUFOとリバースエンジニアリング技術 Part2

今回もかなり長い記事なんですが、内容は非常に、非常に重要です!なぜなら、ロシア政府とエイリアンとの間での交流や、技術提供についてや、アイゼンハワー大統領とエイリアンの間の条約のこと、

プーチン大統領がノルディックの宇宙人に教わっているテクノロジーや、撃ち落とされたUFOのテクノロジーについてなどの超重要情報が語られているからです。アントン博士のインタビュー第二弾を翻訳しました。

前回のPart1の記事はこちら

以下から動画の内容です。

アントン博士、サラ博士

エクソポリティクス・トゥデイの2回目のインタビューで、アントン・アンファロフ博士は、回収された異星人の宇宙船や地球外生命体を研究するためにソビエト連邦が使用した重要な軍事研究施設について説明しています。

これらの研究施設には、現在のジューコフスキー空港に隣接するM.M.グロモフ飛行研究所があり、多層地下施設、地球外生命体によって最初に建設された、ウラル山脈の巨大な洞窟システム内の極秘研究施設、東シベリアのノヴォシビルスク航空工場などが含まれます。

また、1954年までさかのぼる地球外生命体とソビエト/ロシア政府との秘密会談と合意についても言及。彼は、ノルディックの地球外生命体が、プーチン政権を先端技術で助けてきたと述べています。

アントン・アンファロフ博士は、1972年にソビエト連邦のスヴェルドロフスク市で生まれ、クリミアで数十年を過ごした後、ウクライナ紛争の激化によりカナダに移住しました。

1980年代半ば、ボリス・エリツィン大統領時代に、それまでの厳格な秘密政策が初めて緩和された後に、彼はUFO現象に関心を持つようになりました。

アンファロフ博士は、何百人ものロシアとウクライナの内部告発者にインタビューし、第二次世界大戦後のソ連時代初期にさかのぼるUFO現象に関する文書を入手しました。

彼は、ソビエト連邦とロシアにおけるUFO墜落回収作戦、クレムリンが地下深くの軍事基地に再利用した、地球外生命体によって建設された古代の地下トンネル、複数のUFO墜落回収事件、地球外文明との会合と協定、ロシアの秘密宇宙計画の存在などについて多くの知識を得ました。

ラトビアのリガ近郊で起きたUFO墜落事故

サラ博士:

さて、アントン・アンファロフ博士、エクソポリティックス・トゥデイにおかえりなさい。

アントン博士:

よろしくお願いします。

サラ博士:

さて、ロシアで現在起こっていること、そしてソビエト連邦で過去に起こったことについて、あなたが共有することは、本当にとても重要な情報です。

前回のインタビューでは、いくつかのUFOの墜落事故について少しお話しいただきましたが、今回はソ連の歴史において非常に重要なUFOの墜落事故についてお話ししたいと思います。

1968年にラトビアのリガ近郊で起きた墜落事故で、数体のETの遺体と生きたETが回収されました。では、その墜落事故について、また、なぜその事故がソ連のUFOの墜落事故での回収活動の歴史において重要なのかを教えてください。

ラトビアのリガの場所

アントン博士:

ええ、そこで捕獲されたUFOはかなり大きく、直径11、12メートルあり、かなり大きなものでした。地球外生命体を捕獲し、UFOを回収し、特にモスクワの南東にあるジュコフスキー空軍基地に移動させました。

この事件は、モスクワ近郊で研究され、複数の科学研究機関が集中している場所であったため、注目に値します。モスクワがこの研究に大きく関与していたからです。

このレーダーは、カザフスタンのサリーシャガンと呼ばれる場所に設置されていて、現在も設置されています。そのため、墜落のずっと前に、このUFOが地球の大気圏に降下してくるのを検知していたのです。

そして、西に向かって追跡を開始し、このUFOがソビエト社会主義共和国のラトビアに到達して、高度がかなり低くなったところで、地元の防空システム、地元のレーダーユニットによって、最終的にラトビアで撃墜されました。

ラトビアにはスクルンダ・レーダーがありますから。1968年、スクルンダ・レーダーの建設が進められており、リガの西、スクルンダ近郊での軍事活動は、まさにその年でした。

エイリアンは私たちの技術やレーダーシステム、軍事システム、さまざまな種類の兵器に非常に興味を持っています。私が理解する限り、それがエイリアンがその地域に興味を持った理由です。彼らは常に追跡しています。

私の理解では、S200によって宇宙船は撃墜されました。S200は地対空迎撃ミサイルで、航空機を撃墜するためのものです。このS200システムはアンガラと呼ばれ、後にベガシステムと呼ばれるようになりました。

S200

当時としては真新しく、いわゆるタリン・ラインで使用されました。タリン・ラインはソ連の防空境界線のようなものです。ソ連時代にはソ連の西側境界線を守っていて、ラトビアはその境界線の一部でした。私の知る限り、彼らはこのS200システムを起動させたようです。

しかし、このUFOには何か問題があったようです。通常、UFOは防護スクリーンで自分たちを守っています。受動的な保護システムと能動的な保護システムを持っています。能動的な防御システムは、レーザービームや指向性エネルギー兵器のようなもので、受動的な防御システムは、単なる防御フィールドです。

そして、多くの場合、ソビエトの防衛は無力であり、彼らはそれらを撃墜することができなかったのです。それは不可能でした。ソビエトは、UFOを攻撃しようとして、多くの航空機、多くの人、多くの部隊を失いました。しかし、この特定のケースでは成功しました。

ソビエトは、全く結果が出ないままUFOを攻撃しようとしましたが、この特定のケースだけでなく、いくつかの他のケースでは成功しました。なぜなら非常に洗練されたシステムでも何か問題が発生することがあるからです。

捉えられたグレイエイリアン

サラ博士:

では、捕らえられた地球外生命体についてお聞かせください。あなたは、それがグレイの地球外生命体で、アルタイル星系から来たもので、外交交渉があり、その地球外生命体の関係者が来たと説明しましたね。それで何があったのですか?

アントン博士:

私はエイリアンが真実を言っているかどうかは確信が持てませんが、生き残った1体のエイリアンは、「自分はアルタイルから来た」と言っていました。アルタイルα星で16光年の位置にあります。とても明るく、とても若い星で、惑星や有機生命体が存在するかどうかは、かなり疑問です。

しかし、そこには2つの星系があります。ひとつはオミクロン・アクイラエで、こちらは主系列星のF8Vの恒星であり、惑星や有機生命体が存在する可能性が高い星系です。この星は二重星系で、私の知る限り、非常に怪しい電波源を検出しています。

アルタイルから上方向に見ると、そこでオミクロン・アクイラエを見つけることができます。 正確にはアルタイルではありませんが、それに近いです。 63光年、オミクロン・アクイラエは二重星系です。

そして、ウクライナの有名な電波天文学者、アレクセイ・アルキポフ博士が、非常に疑わしい電波源を検出しました。それは、2つ目の星の近くにある工業地帯のようで、母星の近くではなく、2つ目の星の近くです。工業地帯を配置するにはとてもいい場所です。

2つ目の星の近く、オミクロン・アクイラエ星の近くでは、本当に産業活動が行われているように見えるので、そうだと思います。シュメール人がテア(?)星座と呼んでいた、このわし座には有機生命体がいるはずで、爬虫類文明、レプティロイド、そしてグレイもいるはずです。ですから、可能性はゼロではありません。

とにかく、その話はこのエイリアンがKGBの人々に話したことです。彼を捕まえて尋問したのです。4人のエイリアンの乗組員がいました。彼らはおおよそ身長1メートル50センチから1メートル56センチほどでした。

灰色の肌に青みがかかっており、これらのエイリアンは4本の指を持ち、大きな頭部、斜めの黒い目を持っていました。一般的な典型的なグレイエイリアンの特徴を持っています。

グレイエイリアン

しかし、彼らは特殊な人たちで、実際、加速度から体を守るために液体で満たされた特別なカプセルの中にいました。それは特別な保護システムでしたが、私の理解では、あまり高度なものではありませんでした。

この円盤が傾いた状態で発見されたとき、扉が開いていたんです。円盤はものすごいスピードで地面の下に落下し、木々や草木をなぎ倒しました。円盤の下の部分のハッチを開きました。そしてチームは内部に侵入しました。もちろん、それは恐ろしい作業でした。

というのも、プスコフ近郊で化学部隊に所属していた知り合いがいて、彼らはすぐに出動させられたんです。アラームが鳴り、急いで移動し、そして、リガの西、スクルンダの近くの墜落地点に移送されました。

彼らはガスマスクをつけ、OZK防護服と呼ばれるゴム製の防護服を着ていました。彼らは通常、化学薬品や放射性物質に対して防護服を着用し、このような作戦のために特別な訓練を受けています。

というのも、この専門部隊は通常、R...BZと呼ばれていて、放射線や化学物質、生物学的防護のための部隊なんです。このような特殊部隊はソビエト連邦にもありましたが、今は別の名前になっています。とにかく、この人たちは間違いなく関与していて、最近インターネットでもこの情報をリークした人がいました。

彼が言うには、彼らはこのエイリアンの円盤を捕獲し、秘密裏に、何事もなかったかのように、撤去したそうです。しかし、この現場は外部の周辺にいた兵士によって封鎖されていました。外部の周囲にいた兵士たちは、自分たちが何を守っているのか、墜落した物体について何も知らないはずです。墜落現場に近づくことも許されていないからです。

モスクワ近郊とモスクワにある、科学研究機関に勤めている2人の人間を知っています。一人はこの分野の有機・非有機材料研究の専門家で、80年代にこの研究に携わっていました。実は彼は、この物体を移動させたジューコフスキー基地にいました......

しかし、この回収された円盤が最初に置かれたのはトゥクムス空軍基地でした。トゥクムス空軍基地は現在、ユールマラ国際空港と呼ばれていますが、この空軍基地はリガ市トゥクムスの西に位置しています。

当時、それは完全にソビエト軍の所有であり、爆撃部隊でした。そこではIl-28とYak航空機があり、彼らは特別な部隊で非常に秘密の条件でこれを護衛していました。実際、関与した軍のユニットの番号をお送りしましたので、これらのユニットは正確にわかっています。

私たちは、核兵器が保管されている場所を正確に把握しています。この土の厚い層の下に核弾頭や航空機を隠すために、丘の内側に通じる大きな巨大な扉があるのです。この特殊な構造物は、ずっと以前からトゥクムスの空軍基地に建てられていました。当初はこの円盤を隠すのに非常に適した良い場所でした。

予備調査はそこで行われました。最初に、すべてを分析し、宇宙船を保護しようとしました。なぜなら、それは爆発する可能性があるからです。そうしたものは危険で、何が起こるかを誰も予測できません。

化学物質や放射線、爆発の可能性、そういったものをとても恐れていました。しかし、とにかく、乗組員は非常に迅速に円盤の中から移動させられ、ヘリコプターに移され、すぐに連れ出されました。

UFO墜落現場のセキュリティ

サラ博士:

あなたのリガのUFOの墜落回収と、回収の説明で印象的だったことの1つは、通常の兵士が境界線のセキュリティを守っていたが、彼らはUFOに近づくことは許されておらず、近づいた場合、トラブルに巻き込まれる可能性があったということでした。

実際には、KGB、特殊部隊だけが実際にUFOのそばに行き、それを分析し、それを回収できたということでした。そう、それらのセキュリティのレイヤーは、米国のUFO墜落の回収作業で証言されたものと非常に類似しています。

外側のレイヤーがあり、彼らは何が起こっているかを知らず、地元の警察や民間人が干渉しないようにし、止める役割を果たします。

アントン博士:

その通りです。ソ連では、墜落現場の周囲にいくつもの境界線があったり、3つの境界線があったりすることもありましたから。また、場合によっては地元警察も関与していました。軍やKGBだけでなく、法執行部隊も関与していましたね。

サラ博士:

つまり、地元の法執行機関が一番外側の周囲を取り囲み、その内側に兵士が配置され、最後にKGBが内部で極秘のことをやっていたということですね。

それで、あなたが言ったリガのUFOは、まず、リガ近郊の軍事空軍基地のこの施設に運ばれ、予備調査された後、ジュコフスキー軍事施設に運ばれました。ジュコフスキー基地について教えてください。

ジュコフスキー基地とは

アントン博士:

オーケー。ジュコフスキー基地は、UFOを移動させたり回収したりした最初の場所ではありません。この写真にはジュコフスキー国際空港が写っていますが、この国際空港は、ソビエト連邦が崩壊して何年も経ってから、現代のロシアではるか後に建設されたものです。

ジュコフスキー国際空港
ジュコフスキー基地の場所

ソ連時代にはこのような写真を見ることはできませんでした。ソ連時代には、この空港は高度に制限され、厳重に警備された施設だったのです。ジュコフスキー基地が、ライト・パターソン基地と対をなしていたというのは、私の考えだけではありません。

実際、オハイオ州デイトンにあるライト・パターソン空軍基地とは、兄弟基地のような、姉妹基地のような関係にありました。誰でも知っていることですが......。自分で調べてみれば、私が正しいことがわかるでしょう。

ここは、民間機も軍用機も、あらゆるソビエト航空機の飛行試験が行われた場所なのですから。ソビエト連邦の主要な飛行試験場のひとつだったんです。そして今ロシアでは、ジュコフスキーにいくつかの科学研究機関があります。

飛行試験場

その中でも最も有名なのが、ソビエトの有名なパイロット、グロモフの名前を冠した「L.I.I.」です。ここは飛行試験研究所で、軍用機、民間機、あらゆる航空機の試験飛行を実施しています。

そして数年後、ソ連のUFO回収の歴史の中で、回収したUFOを地下に保管するためにこの場所を使い始めました。ほとんどの人が知らないのは、地下に何層もの施設があるということです。地表に見える飛行場だけではありません。

彼らはそこに相当な、大規模な、広大な、地下複合施設を持っていて、何層もの階層を持つ小さな地下都市のようなものです。地下のトンネルに沿って、さまざまな物資や機材、人員を輸送するためのローカル地下鉄道のようなレールまであるのです。航空機をテストするための地下研究所も複数あります。

ロシアの有名な研究所である、中央流体力学研究所(TsAGI)もあります。ツポレフ、グレビッチ、MiG、イリューシンなど、ソ連の航空機製造会社の飛行試験機関もあります。巨大な施設で、ヨーロッパで最も長い滑走路があります。

滑走路の長さは5,000メートルで、本当に巨大で、広くて、耐久性のある硬いコンクリートでできています。そしてこれは巨大な設備です。その滑走路はライト・パターソン空軍基地よりも大きいんです。

5,000メートルの滑走路

この地下施設の一部は、ちょうど1986年から1991年まで、特別な研究所として使われていました。その期間、彼らは回収したUFOを保管していたことは確かです。私は確実に知っています。

この期間に、1968年のリガの墜落から回収されたUFOと、1979年または1980年ごろの、モスクワ北東部での別の回収からの2つのUFOがあったということです。さらに、プーチンが2000年に就任した際、モスクワ地域でのUFOの回収も行われました。

2000年5月26日、モスクワ南部のコルムナ近く、および同じ年の8月16日、ポクロフカの近く、モスクワ北西部の地域で行われました。これらの2つの回収されたエイリアンのUFOは、2000年にもジュコフスキー空軍基地に運ばれました。

この場所はこうしたものを保管し、そこで研究するのに適しているためです。そして、後に2つのUFOを、より安全な場所であるウラル山脈のチェリャビンスク州にある基本的な地下施設に移動させました。

とにかく、ジュコフスキーは広く知られているので、回収されたUFOを見つけることはもうできません。国際空港があり、交通量も多く、何千人もの人が住んでいます。しかし、ソ連時代にはかなり大きな場所でした。

モスクワの南東にあり、完全に安全で、機密を隠すには最高の場所でした。モスクワに近く、多くのトップ、つまり、情報の輪の中にいた重要人物がこのことを知っていて、そこに連れて行かれ、この地下研究所での研究に参加したのです。

そして、私の記憶によれば8つのレベルの地下の階層があります。8つのレベルの階層とエレベーターのシステム、異なる通路があり、そして、これらのUFOは最も安全なレベルの階層の下に保管されていました。現地の人々は、すべてのレベルの階層にはアクセスできませんでした。

私の連絡先の一人は、上のレベルの階層にのみ連れて行かれましたが、より深いレベルの階層には連れて行かれませんでした。より深い階層に行くには、常に特別な制限付きアクセスを持っている必要があります。

どこでも、パスカードを持っていないとダメなんです。たとえトップの軍人であってもコードの入ったカードを持っていない場合、アクセスできません。どうしようもありません、たとえあなたがCPSUのメンバーであってもダメなんです。

アメリカとソ連の秘密の合意について

サラ博士:

そうですね。アメリカと同様、地位は重要ではなく、最も重要なのは、許可証と、これらの区分けされたプログラムへのアクセス権です。

さて、この歴史の中での重要な発展の一つは、1972年にアメリカとソビエト連邦の間で秘密の合意が成立したことです。そして、あなたは、ヘンリー・キッシンジャーが実際にジュコフスキー軍事施設にアクセスを許可され、エイリアンの遺体を見たことを述べました。

したがって、それらの合意について、そして何が起こったのかについて話したいと思います。

アントン博士:

その通りです。ところで、このような協定の歴史全体を見てみると、1972年の協定が最初ではありません。最初の合意は、1955年にスイスのジュネーブで行われた、ソ連とアメリカ、フランスとイギリスの代表による会議でなされました。

というのも、この年、リチャード・ミルハウス・ニクソン米大統領とヘンリー・キッシンジャー米代表団をはじめとする米政府高官がモスクワを訪問し、モスクワだけでなくベラルーシの首都ミンスクも訪問したからです。

驚くべきことに、アメリカ大統領がソ連のツポレフ134型機を使用したのはその時が初めてでした。ソビエトの飛行機で飛ぶというのはすごいことで、驚くべきことでした。ご存知のように、ヘンリー・キッシンジャーはロシアとソ連の大親友であり、現在も大物交渉人です。

KGBではヘンリー・キッシンジャーのことを「キッサ」と呼んでいました。ヘンリー・キッシンジャーは、アメリカの陰謀組織やフリーメイソン、33階級、その他多くの組織でトップの人物の一人です。

彼は非常に影響力があります。そしてこの男は多くのことを知り尽くしており、まさにその通り、彼は適切な場所に適切なタイミングで連れて行かれ、糸を引いて完全に輪の中に入ることができたのです。

40年代から50年代にかけて、彼がどのように関与し、どのように主導してきたか、それは驚くべき話です。彼はその当時から、アメリカでの初期の復興から輪の中にいましたし、ソ連の復興についても同様に情報を得ていました。

そして1972年、彼はジューコフスキー空軍基地に連れて行かれ、エレベーターでソビエトの特別な極秘研究所の地下に案内されました。そこでは回収されたエイリアンのUFO、つまりエイリアンの宇宙船と、その乗組員の遺体が保管されていました。

特別な容器の中に入った3つの遺体で、これらの容器は保存用の液体で満たされ、生体組織や生物学的材料などを保存するための低温を維持するための冷凍装置も備えていました。とにかく、この研究室は存在しています。遺体はモスクワ近郊のさまざまな機関やモスクワでも研究されましたが、この研究所に集められました。

ヘンリー・キッシンジャーだけでなく、フィデル・カストロも関与していて、キューバの指導者である彼も、同じ1972年にジューコフスキーのこの研究所に行き、彼はこの円盤も見せられましたし、エイリアンの遺体も見せられました。

ところで、1972年はソ連とアメリカの間で、宇宙探査に関する協定が結ばれた年です。アポロ・ソユーズテスト計画(アポロ計画)についてのものでした。それが最初の国際的な米ソ共同宇宙飛行でした。

しかし、それが最初で最後ではありません。残りはすべて、一般には非公開で、知られていません。彼らは今でもこのことを完全に秘密にしていて、非常に洗練された、鏡の回廊のようなものに覆い隠されています。信じられないような話です。

1975年のアポロ計画は、ソ連とアメリカが一緒に飛んだ最初で最後の飛行ではなかったのです。当時は冷戦時代でしたから、想像するのも難しいでしょう。

彼らは宇宙人のことを知っていましたし、同じ年にフィデル・カストロがアメリカに連れて行かれたときにも、彼ら(アメリカ人)は、カストロにこう言いました。

「アメリカ人も同じような研究所を持っており、回収したUFOとエイリアンの遺体をアメリカで保管しています。そして、あなたはそのことを知っておくべきです。私たちは知っていますし、ソ連も知っています。」

サラ博士:

なるほど、それはとても参考になります。つまり、アメリカとソ連の両国は、互いが異なる場所からUFOを回収していることを認識していて、UFOを研究し、リバースエンジニアリングするための施設を建設していたということです。

そして、1955年に最初の協定が結ばれました。そして1972年、ニクソン政権とキッシンジャーのもとで、これらの協定はさらに深まりました。

キッシンジャーにジューコフスキーへの立ち入りを許可する代わりに、ロシア人あるいはソビエト人は「エリア51」のS4施設への立ち入りを許可されたと、あなたはおっしゃいましたね。そこで何が起こったかご存知ですか?

ロシア人が立ち入りを許可された「S4施設」

アントン博士:

実はS4は「エリア51」にはありません。トナパ空港の南、トナパ実験場にあります。そこに隠されています。そこがS4がある正確な場所です。

サラ博士:

正確に言うと、エリア51は一般的なエリアですね。そこに少なくとも2つの施設があり、グルーム湖が実験施設で、そこから20マイルほど離れたところにS4施設があります。

ではソビエト人は許可されていたのですか?つまり、ソビエトがS4施設に立ち入ることを許されていたことについて、何かご存知ですか?

アントン博士:

彼らには…この合意に従って、限られたアクセスが与えられました。彼らはS4施設のすべての5つのレベルにはアクセスできず、特に下のレベルにはアクセスできませんでした。

通常、レベル1とレベル2はリバースエンジニアリング用の2つのレベルの階層です。そしてS4のレベル3とレベル4、そして特別なレベル5は、より秘匿性が高い階層なのです。

そこでは生物学的エージェント、回収されたエイリアン、さまざまな高度な機器、生物学的保護を扱う、非常に危険な場所です。ですから、最も安全なレベルはS4のレベル1とレベル2の階層だけです。

1972年以降、ソ連の専門家たちはそこに連れて行かれました。S4はその前年、1971年に活動を開始したからです。その年だけではありません。ボブ・ラザールがS4でもソビエトについて話していたことは、あなたも覚えているでしょう。

その通り、1989年には、ソ連の専門家もS4に連れて行かれました。これはお互いの合意に基づいており、アメリカの専門家も、この情報交換と技術、UFOの回収物に関する合意に従って、ソビエトの基地に連れて行かれました。

それは、1つの国だけでは対処できない大きな問題であるからです。それが知恵ある人々の脳に浮かんだ認識です。アメリカとソビエト連邦では、それぞれが単独で対処できないことを完全に理解していました。なぜなら、これらの技術はあまりにも高度で、現代の地球科学と比較すると、完全に異なっています。

それがどのように機能するのかを理解し、最終的な結論と完全な理解に至るには、何十年もかかることがありますし、時には何百年もかかるかもしれません。リバースエンジニアリングは簡単ではありません。

それは難しいプロセスです。一部の人々はとても単純に考えていて、リバースエンジニアリングによってすぐに技術の大幅な飛躍につながると信じています。いいえ、皆さん、それはそんなに簡単ではありません。

サラ博士:

70年代から80年代にかけて、ジュコフスキー空軍基地とその施設では、研究用やリバースエンジニアリング用の墜落した円盤が保管されていました。そして1991年、彼らは円盤をジュコフスキー基地から移動させ、ウラル山脈にある新しい施設、つまりより極秘の安全な施設に移しました。

というのも、これらの工作機械がアメリカに売られることを恐れた人がいたからです。では、1991年に何があって、ジュコフスキーは二次的な役割に追いやられたのでしょうか?

秘密を守れないと判断したソ連

アントン博士:

1991年はソビエト連邦が崩壊した年です。1999年8月にモスクワで軍事クーデターが起きました。私はその時の恐怖をよく覚えています。戦車が出動し、多くの軍隊がモスクワの街中に展開され、非常に恐ろしい状況でした。

そして、それが終わった後、KGBの高位将校であるグルシュコ将軍、アガヴェ将軍、グリゴレンコ将軍などは、これ以上これらの最高機密を秘密に保つことはできないことを完全に理解していました。このプロジェクトの将来にとって非常に危険なのです。

そして、それは公開の時代であり、彼らはモスクワのKGB本部近くのジェルジンスキー広場にあるフェリックス・ジェルジンスキー記念碑(通称:アイアン・フェリックス)を取り壊しました。これらの人々は恐れていました。

彼らはこのプロジェクトの秘密をこれ以上守ることはできないと分かっており、何らかの手段でそれを隠そうとしました。そのため、彼らはジュコフスキー空軍基地から2つのUFOをより遠く、ウラル山脈のチェリャビンスク地域に移動しました。

なぜなら、そこには既にエイリアンによって建設された巨大な地下トンネルがあったからです。なので、それを使い始めたのです。これらの秘密や物事を保管し、リバースエンジニアリングを行うには非常に適した場所でした。

ジュコフスキーだけでなく、モスクワの南西にあるオジンツォボにも地下トンネルがあります。鉄道だけでなく、核戦争が起きたときに、政府高官が隠れるための特別なトンネルもあります。モスクワの南西にあるオジンツォボのトンネルには、UFOやUAPを隠すために改造されました。

オジンツォボのこのトンネルには、今でもUFOがあります。クレムリンの下から直接その地域に向かうための特別な列車も利用できます。モスクワの地下には、非常に長いトンネルシステムがありますから。そして、オジンツォボには、現在に至るまで、3機か4機の回収されたUFOがあります。

ただし、ジュコフスキーに保管されていたような大きな物体は移動および撤去されました。これらのUFOは彼らにとってあまりにも大きく、価値があるため、そこに置いておくには適していなかったからです。

90年代には、アメリカの代表団もジュコフスキーを訪れました。ボリス・エリツィン政権の時代に、彼らはロシア人と一緒にさまざまなプロジェクトに参加しました。しかし、そうした巨大な秘密を保管するのにはもはや適した場所ではなかったのです。

サラ博士:

さて、あなたは1968年にラトビアのリガ近郊に墜落したUFOが、ソ連のS200ミサイルによって墜落させられたと言いましたね。

また、2000年には、UFOの撃墜が2回あり、これはレーザー指向性エネルギー兵器を使用したものであったともおっしゃっています。では、ソビエトがどのようにUFOに対して指向性エネルギー兵器を使い始めたのか、2000年の2回の撃墜について教えてください。

指向性エネルギー兵器による2回のUFO撃墜作戦

アントン博士:

ええ、もうその時にはソビエト連邦ではありませんでした。今のロシア連邦です。最初の事件は2000年5月26日、コロムナ近くのシュチュロフスキー試験場で起こりました。試験場にはシュチュロヴォと呼ばれる小さな村があり、試験場はコロムナ近くの機械製造建設局(KBM)に属しています。

そして、彼らは待ち伏せて、エイリアン用の罠、トラップを用意しました。全ては黒い三角形のエイリアンのUFOから始まりました。彼らは、この巨大な黒い三角形のものが実験場の上空をホバリングしているのを何度も連続して観測していました。

彼らは、この黒い三角形のせいで恐怖を感じていたため、これを撃墜しようと考えたのです。そして、レーザー指向性エネルギーの移動ユニットを3つ、そこに持ち込みました。私が理解する限り、あるいは推測する限り、これらのユニットはトロイツク市にあるトリニティ研究所で製造されたものです。

トロイツク・イノベーション科学研究所は、プラズマ直接エネルギーと原子力の研究に携わっています。そこでこの移動式のレーザーユニットが製造されました。高度な装置と発電機を使用し、車輪のたくさんついた巨大なトラックを使って運びました。この装置はかなり重いのです。

そして、この三つのユニットを、三角形の3つの角に注意深く配置しました。そして、この黒い三角形のUFOがこの試験場の上に再び現れたら、それを標的に向けて照射できるようにしました。

そして、しばらく待って、この三角形のUFOが再び現れた時に、ターゲットに向けて光線を発射したのです。そして、最も驚くべきことが起こりました。三角形のUFOはまったく影響を受けず、まるでホログラムのようで、実在しないかのようだったからです。

そして、これらの人々の本当に驚いたのですが、彼らが撃墜したのは、巨大な三角形のUFOではなく、わずか6メートルの直径の小さなUFOだったのです。それが落下したのです。

私が理解する限りでは、この巨大な黒い三角形のUFOは、本当の物体を隠すためのホログラムに過ぎなかったのです。実際の小さな物体は、そこにホバリングしていて、実際の状況と実際の景色を偽装するために、このホログラムを投影していたのでしょう。

そして、このエイリアンにとっては不幸なことでした。ロシア軍はこの小さなUFOを撃墜する作戦ために、3日間を費やしました。彼らは衝突地点の土を掘削機で掘り出しました。土を掘り出して、UFOだけでなく、衝突地点の土も大きなトラックに載せて運びました。

ああ、それは驚くべきことで、ロシア軍はこの回収された6メートルのUFOをジュコフスキー空軍基地に運びました。それは2000年5月で、しばらくの間、そこに保管されました。

そして、2機目のUFOも、モスクワ北西部に墜落しました。2000年8月16日、時刻は午前4時40分でした。ここはUFO活動のホットスポットで、モスクワ北西部のポクロフカ地区です。

この場所がUFO活動のホットスポットであることを、以前からロシア軍は知っており、UFOを監視し、罠を仕掛け、待ち伏せを試みました。頻繁に出会える場所を知っており、それらを捕まえようと試みました。

そして、成功しました。それはかなり小さなUFOで、まるでロボットか無人の航空機のような...乗員のいないUFOでした。パイロットはおらず、ヒューマノイドも乗っていませんでした。

そして、衝突直後にこのUFOを回収しました。衝突から軍のトラックが到着するまでの時間は非常に短かったのです。午前4時40分、早朝です。驚くべきことに、目撃者の中にはこの驚くべき光景を見た人もいます。

2000年8月16日、ポクロフカ近くの衝突地点では、火と煙が上がっていました。高電圧の電気と草から発火したようなもので、モスクワ北西部のこの衝突地点でも、煙や火が出ていました。

両方のUFOをジュコフスキーに移動しました。そして、私はそれらのUFOの内部を見るために、超感覚能力を持つ人々、透視能力を持つ人々を連れて行ったことも知っています。

彼らは、超感覚的な能力を使用して、UFOの内部を見ることができました。驚くべきことに、通常の科学者だけでなく、超感覚的な能力を持つ、これらの驚くべき人々も関与していたのです。それは確かです。

サラ博士:

2000年のウラジーミル・プーチン政権下で、ロシアはこの指向性エネルギー兵器でUFOを狙い始め、今あなたが説明したように、2、3機を墜落させました。ドミートリー・メドベージェフが大統領になったとき、とても興味深い出来事がありました。

彼は2012年に、地球外生命体に関する秘密を守るために、映画『メン・イン・ブラック』のような極秘のグローバル機関について語りました。それで、2012年にメドベージェフがホットマイク事件でそれを公表しました。それについて、あなたは何を知っていますか?

それは事故のようなものですか、それともソフトな情報公開のようなものですか?何か知っていますか?

メドベージェフの暴露と、ロシア政府とエイリアンの交流

アントン博士:

確かに、それはソフトディスクロージャーのように見えます。メドベージェフはロシア連邦の大統領でした。最初にプーチンがやってきて、メドベージェフがわずかな期間プーチンに代わり、その後プーチンがまた大統領に就任しました。

したがって、メドベージェフも一時的に関与していたことは確かです。メドベージェフは、現在はロシア連邦の国家安全保障会議のメンバーですからね。

でも、今はウォッカをよく飲んでいます。彼はお酒を飲むようになりました。彼は今、以前と同じようではありません。ウクライナの危機に失望したのかもしれません。彼が話していたのは、国際機関ではなく、この件に関与している特定のロシア機関についてです。

私の知る限り、ロシア政府はロシアにやって来た異星人と何度も交流し、何度も接触していました。これは冗談ではないですよ。このことを深く考え、分析すれば......トップシークレットの情報を公表するのは、いつも冗談のように見えて、ソフトな情報開示なのです。

私は確かにそれがソフトディスクロージャーであると強く信じています。なぜなら、私はロシア政府と実際のエイリアンとの交流について知っているからです。それは定期的に行われています。

メドベージェフ

私はエイリアンのコンサルタントについて知っています。これらのエイリアンのヒューマノイドの人々は、いくつかのプロモーション、いくつかの技術的なアドバイス、いくつかの助けを持参して、ロシアの施設を訪れます。

また、プレアデス星団からのノルディックエイリアンについても知っています。M45おうし座、アルデバランの近くにあるプレアデス星団から来たのかもしれません。

そこには3つの星系があります。 39タウリ、グリーゼ171.2、グリーゼ154、この3つの星がプレアデス座の近くに三角形の形で配置されています。地球から55光年、58光年、47光年の距離にあります。

この3つの星系がメインなんですよ。他の星系もあります。しかし、この3つが主要なものです。彼らはロシア当局と交流があり、私も知っています。

イムドゥグート星人との交流もあります。イムドゥグート星人はシュメール人の呼び方なのですが、いわゆる「背の高いトールホワイト」の宇宙人です。アンズ星人、シャハミ星人、ザーハミ星人などの名前で呼ぶ人もいます。

トールホワイトの宇宙人、彼らはネバダに基地を置いていますし、オーストラリア近くのタスマニア島にも基地を構えています。そして、彼らはアメリカ合衆国ともロシア連邦とも対話を行っています。

また、生きているグレイ、昆虫型の宇宙人、爬虫類型の宇宙人と接触があったとされており、シローニン将軍は孫に話したところによれば、これらの宇宙人の写真が存在し、彼はかつてそれを持っていたと言います。

そして、彼はこれらの写真を見せ、この人はグレイ、ノルディック宇宙人、そして爬虫類型の宇宙人を見せていました。ソビエト連邦時代でも、ソビエト連邦はこれらの異星人種と交流していたとされています。

ソ連もエイリアンと協定を結んでいましたし、アメリカも協定を結んでいて、ソ連の極秘宇宙計画の歴史は1951年か1952年から始まっています。特にスターリンの死後です。スターリンが亡くなり、ニキータ・フルシチョフがソビエトの指導者になったとき、ソビエトの極秘宇宙計画が始まったのです。

サラ博士:

なるほど、1954年と1955年に米国でアイゼンハワー政権と地球外生命体の間で極秘会議が開かれたことは、多くの内部告発者からわかっています。同じ頃、ソ連でもニキータ・フルシチョフが同じような会合を開き、ソ連と地球外生命体のさまざまなグループとの間で合意が成立していたということですね?

アイゼンハワー大統領とエイリアンとの間での条約

アントン博士:

そうですね。私の知る限りでは、宇宙人はアイゼンハワーに、「もしあなたが同意しないのであれば、私たちはロシア人、ソビエト人に連絡します。あなたは核兵器を諦めなければいけません。」と言いました。

そしてアイゼンハワーは言った。「ソビエトの脅威、それは挑発です。彼らはどうですか?ソビエトはどうですか?」と言いました。そして、宇宙人の答えは「私たちは彼ら(ソビエト)にも対応します」ということでした。

1つの国だけと取引することは不可能であり、それは1950年代には核軍縮に取り組むためのものでした。そして、アイゼンハワーが1954年にこのエイリアンの提案を拒否したため、

(※正確には、銀河連合の宇宙人の申し出を断ったのは、MJ-12です。アイゼンハワー大統領ではないです。)

最終的にエイリアン(グレイ)が再び上陸した1955年2月11日に、ニューメキシコ州のホロマン空軍基地での、最終合意につながり、エイリアンとの間で「タウIX条約」が署名されたのです。

(※これは実際には、グレイとアメリカ政府との条約のことであり、この条約には米国政府が人々が定期的にエイリアンに誘拐されることを許可することが明記されており、その代わりに、政府は高度なエイリアン技術を手に入れました。)

そして、同時に、エイリアンたちはソビエト連邦にも興味を持っていました。ソビエト連邦は世界全体の六分の一に相当する広大な領土を持っていました。

ソビエト連邦は多くの生物リソース、血液、さまざまな生体医学的な観点から必要なすべてを持っていました。そして、多くの人間リソースもあり、それがエイリアンの必要とするものでした。

しかしもちろん、アメリカは全世界をリードする国でしたから、彼らはまずアメリカから始めました。そして彼らは、ニキータ・フルシチョフを始めとするソ連の指導者たちを厳しくコントロールし、管理しました。彼らは非常に高度なレベルで交流することができますから。

エイリアンの代表の何人かは、どんな制限された施設のどんな制限された部屋にも、壁を突き破って侵入することができます。

彼らはいつでもどこにでも現れ、どんなリーダーにも影響を与えることができます。それはどこででも、トップのボスたちにも、トップの政府指導者にも当然のことのように起こります。

それが物事起こる仕組みであり、この巨大な国、ソビエト連邦がエイリアンの支配から逃れていたと考えるのは甘い考えです。そんなことはありえません。実際に起こったことであり、非常に明白です。

例えば、ミハイル・ゴルバチョフ(マイケル・ゴルバチョフ)は、1985年3月17日に宇宙人と直接会っています。2機のUFOがモスクワの北東、マイティシチの近くのピロゴフスキー自然森林保護区に着陸した時です。

そして、ゴルバチョフらは、そこに移動し、そこで宇宙人と直接対面したのです。ロナルド・レーガン大統領とジョージ・ブッシュ副大統領が彼に多くのことを話したので、マイケル・ゴルバチョフは宇宙人問題について非常によく知っていました。

ミハイル・ゴルバチョフはこのエイリアンの問題について聞かされたすべてに、本当に驚かされました。さらに、彼の妻であるライサ・マクシモヴナ・ゴルバチョフもよく理解していました。彼は彼女に秘密を隠すことはできませんでした。

彼女は彼の上司であり、愛する妻であり、それが当時の状況でした。そして、現在のプーチンも同様に情報を持っています。彼は多くを知っていますが、すべてではありません。地球外生命体は、プーチンにさえ一部の秘密を隠しています。それは確かです。

サラ博士:

なるほど、ソビエトと地球外生命体との間で結ばれた合意について説明されましたが、それはメドベージェフから、プーチンの時代にも続いていたのですね。それでソ連とロシアは、地球外生命体によって、リバースエンジニアリングされたUFOを作る手助けをされたのですか?

ノルディックから提供された高度な知識と、リバースエンジニアリングテクノロジー

アントン博士:

ノヴォシビルスクは「新シベリア」と呼ばれています。新しいシベリアの都市です。西シベリアにある巨大な都市で、回収されたUFOが何機も移された場所です。私の知る限り、1954年と1955年からです。1957年にソ連科学アカデミーのシベリア支部がノヴォシビルスクにできました。

また、この巨大な航空工場はずっと以前からありましたし、チャプリギンにちなんで名づけられたチャプリギン・シブニア(シベリア科学研究所)という大きな研究所も、エルツォフカ空軍基地と呼ばれる地域にあります。

エルツォフカ基地は試験飛行専用の飛行場です。そこには地下作業場があり、その近くには特定の地下格納庫があります。ノヴォシビルスクのエルツォフカ飛行場です。巨大都市ノヴォシビルスクの北東部にあります。

ここは立入禁止区域で、新品の航空機がたくさんあり、航空機の製造や試験飛行が行われています。シベリアのジュコフスキーの支部のように考えると正しいかもしれません。シブニア、チャプリギン・シブニアと呼ばれるこの研究所は、ツァギの支部であり、ツァギはジューコフスキー基地にあります。

そして、回収したエイリアンの乗り物、UFOやUAPを地下に保管しています。それほど深くなく、地表にかなり近い場所に保管しています。私の知る限り、彼らは大規模な地下施設を持っていません。それでも、ノヴォシビルスクには地下施設があります。そこには、回収されたUFOも保管されています。

少なくとも、回収されたUFOが1つか2つ、円筒形のものが1つあります。UFOは直径12メートル、シリンダー型は長さ13、14、15メートルで、損傷していて、レーザー光線かプラズマ兵器であいたような穴が2つ開いています。

明らかに異星人が撃ち落としたもので、異星人のグループ間のドッグファイト(争い)が原因で、1979年に円筒形のUFOが墜落し、ノヴォシビルスクに移されたのです。

1987年に回収された円盤型のものも、ゴルバチョフの時代にノヴォシビルスクに移されました。地上にハンガーがあり、その下に大きな地下室があります。

そして、そこでこれらのUFOを保管し、何十年にもわたってリバースエンジニアリングを行ってきました。この研究は非常に深く、重要であり、多くの専門家や技術スペシャリスト、科学者が関与していました。

ノヴォシビルスクは非常に大きな科学的な中心地で、ソビエト連邦の1957年から存在し、現代のロシアでも存在しています。それは大きな科学的研究センターです。

そこで彼らは回収したUFOも保管しており、リバースエンジニアリングは長い歴史を持っています。ロシア軍はこの技術を現代の航空機に使用するだけでなく、自分たちのUFOにも使用し始めました。円盤型で、ジョイスティックで制御されるものです。

1人のパイロット用に小型版があり、より多くのパイロット、より多くのクルー向けの大型版もあります。上部に半球状のドームがあり、電磁推進が行われています。

1996年にロシアのエリツィン大統領がノボシビルスクを訪問した際、このUFOを見せられました。ハンガーの中でホバリングしていました。大きな金属製の鎖でこの円盤が上に飛ばないようにしていたのです。これは反重力技術で、反重力制御です。

この円盤の上に透明なドームがあって、一人のパイロットがそこに座っているのを、ボリス・イェツィンは見ていました。そして、私の最大の驚きは、これをテレビで放送したことです。

ロシアのテレビ、ノヴォシビルスクのローカルテレビで、一度だけ放送されました。その後、彼らは気づきました。「これは削除しなければならない 」と。それ以来、二度と公開されることはありませんでした。

1996年にボリス・エリツィンと、この格納庫内のUFOがリークされたのは一度だけです。私はこのリークを偶然見つけたのですが、あっという間に削除されてしまいました。この情報はもうインターネットでは見つけることができません。インターネットでの流通量はかなり少なかったのです。

そして、ソ連時代にリバースエンジニアリングを始め、材料研究、推進装置、機器、装置をバラバラに分解し、すべての部品、すべての構造、すべての装置を分析し、リバースエンジニアリングを試みました。

そして、ある程度はできたのですが、正確なコピーではありませんでした。円盤状の乗り物や、円筒や筒状の乗り物も試しました。ソビエト連邦の時代、70年代から80年代にかけてのことです。ソビエト時代にはすでに、円盤や円筒のUFOをリバースエンジニアリングしていました。

ノヴォシビルスクは巨大な航空機生産工場で、チカロフNAPO、いわゆるノヴォシビルスク航空機生産協会工場と呼ばれる部隊です。巨大な工場で、多くの作業場があり、非常に長く、多くの人が関わっています。

Su-34、ロシアの新型爆撃機、Su-24もここで製造されていますし、S70、いわゆるハンター無人飛行機もここで製造されています。それは、米国のステルス技術のロシア版です。ノヴォシビルスクで製造しており、ロシアのステルス技術には、回収したUFOの技術も使われています。

しかし、すべての原理を理解するのは非常に困難です。彼らは、レーダーからの検出を防ぐための特殊材料や対策を使用しています。リバースエンジニアリングと、エイリアンの援助から得た知識も利用しています。

私の知る限り、ノルディックのエイリアンはプーチンを支援してロシア政府に助言し、電磁技術やレーダー技術における極めて高度な対抗策を提供しました。

ダイレクトエネルギー兵器も持っていますが、大量には持っていません。しかし、それらを持っており、残念ながらアメリカのようにすべてのこのデバイスと技術に投資するためのお金が足りません。

しかし、対抗策に関しては、ロシアは世界のトップリーダーの一つです。彼らは本当に非常に高度な電子戦対策システムを持っており、電子戦の分野では世界でもトップの存在です。

これは、リバースエンジニアリングやエイリアンからの援助によるものであり、基本的にはノルディックエイリアンからの援助によるものです。

サラ博士:

TR3Bについてお聞きしたいのですが、これは米国で開発されたリバースエンジニアリング技術のひとつです。エドガー・フーシュという内部告発者がいて、彼が最初にその情報を公表しました。

1999年の大きな会議だったと思いますが、彼はTR3Bについて、ねじれ場を使って機体全体の質量を減らし、80%だったと思いますが、87%の質量を減らして飛ぶことができると説明しました。

では、ロシアは独自のTR3Bや三角のUFOを開発し、自国の計画に使用しているのでしょうか?

TR3B

ロシア版TR3B?!

アントン博士:

そう聞いています。本当に三角のUFOを持っているという情報が漏れているのです。

なぜなら、彼らはアメリカが三角形(TR3B)を持っていることを知っているからです。ロシアでは非常によく知られた情報ですし、彼らもこのために何かを始めたと私は強く信じています。

冷戦が戻ってきたからです。冷戦の再来です。私はロシアで、地元の2人組がロシアのある施設に侵入しようとした事件を知っています。彼らはビデオカメラを持って行き、最終的に、この三角形の一つを撮影することに成功しました。とても印象的でした。私もこのビデオを見ました。

私はまだこの事件を調査中で、この事件のすべての詳細を確実に知っているわけではありませんが、私はこれが本当に起こっていると強く信じています。

なぜなら、彼らには巨大な地下エリアがあり、そこに人や資材、建設機械などを移動させることができるからです。ロシア連邦には複数の航空工場があり、ほとんどすべての工場に地下作業場があります。ソ連がアメリカとの核戦争に備えていたため、地下に作業所や施設を隠そうとしたのです。

ソビエト時代から、生産、再建、リバース・エンジニアリングができるような施設を、いくつかの場所に持っているのです。私の知る限り、彼らは水銀を燃料とするエンジンを使っています。大きな圧力、大きな温度、そして水銀燃料の回転。それが大きなパワーと推進力、そして大きな垂直速度を生み出すんです。

弾丸のようなスピードで、どんなジェット迎撃ミサイルよりもはるかに速く、上空に急上昇することができるのです。瞬きする間にこの高度に到達するために使うんですよ。とても速い、とても速い。最速の航空機と比較してもね。

この水銀ベースの燃料が、推進力に絶大な能力を発揮するからです。水銀だけでなく、水銀は古代のヴィマナ(ヒンドゥー教に記載されている空飛ぶ宮殿や戦車)にも使われていましたし、ナチスのUFOにも使われていました。

でも今は違います。水銀エンジンよりもさらに先進的な推進技術とエンジンを持っているのです。エドガー・フーシュがこの推進装置をMFD、磁場または電磁場ディスラプターと呼んでいました。

この電磁場は巨大なトロイダル状の磁場です。これは非常に危険です。エンジンに影響を及ぼします。自動車はこのエンジンの影響を受けますし、人間の体も影響を受けます。人体にとって危険です。

サラ博士:

エドガー・フーシュが1980年代にTR3Bの2つのモデルが作られたと話していたのは知っています。私は何人かの内部告発者と仕事をしているのですが、最新の三角形のUFOはもっと小型で、もっと進化しているそうです。

では、ソ連...ロシアのものは、あなたが知っている限りでは、同じような大きさの三角形のUFOなのでしょうか?

アントン博士:

私の知る限り、三角形だけでなく、長方形のUFO、反重力UFOもあります。また、アメリカではTR6、テロスを忘れてはいけません。彼らはTR3Bだけでなく、TR6や他のモデルも持っています。そんな単純な話ではありません。それに、TR3AはTR3Bに比べれば、かなり性能が劣っています。ロシアにも、似たようなモデルがいくつかあります。

例えば、ヴォルゴグラードとサラトフの間にある、メドヴェディツカヤ山脈の近くに大規模な地下トンネルがあります。驚いたことに、私はつい最近、この地下通路があることを知りました。地元の人たちが定期的に三角形のUFOを見る場所です。

そこはロシアの大きな川、ヴォルガ川があり、サラトフとヴォルゴグラードの近くです。そして、そこには非常に古く、非常に長いトンネルシステムがあり、これらのトンネルのいくつかは間違いなくソ連軍と現在のロシア軍によって使用されています。

そして、この地域では三角形のUFOが何度も目撃されています。私はこのことを調査していますが、毎年これを研究していると、毎回これらの目撃情報に出くわします。

アメリカとソ連の国際協力

サラ博士:

お聞きしたいのですが...ウィリアム・トンプキンスという内部告発者がいたのですが、彼が言うには、このようなリバースエンジニアリング技術を使って作られた最初の葉巻型宇宙船は、

1970年代のノーチラス級の原子力潜水艦で、反重力推進システムを使って宇宙へ飛び出せるように改造されたものだったそうです。そしてその後、本格的な葉巻型宇宙船を開発しました。では、ソ連やロシアも同じようなことをしたのでしょうか?

アントン博士:

私の知る限り、それはソ連とアメリカの国際協力によるものです。70年代から、そして80年代にも、アメリカとソ連の国際協力はすでに確立されていました。さらに、ソ連で製造されたいくつかの装置が、これらのUFOに使用されました。

また、単なる後付けではなく、これらの設計原理に基づいて特別に設計されたものです。というのも、これらの経験や技術をすべてこのプロジェクトに転用する方が簡単だったからです。

原子力潜水艦の建造ですでに培われた経験を利用する方が、はるかに簡単だったのです。ところで、潜水艦の数で言えば、ソ連は世界一でした。質はもっと悪かったですが、量では世界一でした。

なんということでしょう。このテーマを勉強すれば、ソ連がどれだけ多くのプロジェクトを持っていたか、そして今も持っているかに驚きます。原子力潜水艦について言えば、アメリカよりもはるかに多くのプロジェクトがありました。

私は、1972年にアメリカとソ連が宇宙に関する条約を締結して以来、宇宙における国際協力をしてきたことについては確信を持っています。アメリカのアポロ・ソユーズテスト計画は、アメリカとソ連の宇宙飛行士による最初の共同飛行だったのです。

ソ連の秘密宇宙計画の宇宙管制センターも知っています。モスクワの近くではありません。東シベリアのイルクーツク市の近く、ウソリエ・シビルスコエという場所です。そこには軍事レーダー施設があり、ミサイルの脅威に対する大型レーダー、長距離戦略レーダーが設置されています。

ウソリエ・シビルスコエのミシェレフカという地下施設もあります。この地下複合施設と、ヒューストンのコロリョフ宇宙管制センターのような宇宙管制センターを供給しているのが、マルチレベル複合施設と原子炉です。

この宇宙管制センターは完全に地下にあって、大きなスクリーンがあり、秘密宇宙プログラムの乗り物の映像が映し出されています。

サラ博士:

さて、あなたは私たち視聴者に、ロシアにおける墜落回収プログラムの秘密の歴史、リバースエンジニアリングについて実によく紹介してくれたと思います。またあなたに3回目のインタビューをお願いしたいと思います。では、このインタビューを終える前に、最後に一言お願いします。

アントン博士:

人々は、自分たちが隠している途方もない秘密に目覚めます!それは本当に驚くべきことで、はっとさせられることもあります。私自身も驚きました。自分の耳と目を疑ったこともありましたが、それを確かめようとして最善を尽くしました。本当に驚きです。目を覚まして!

サラ博士:

さて、アントン・アンファロフ博士には、ソビエト宇宙計画、リバースエンジニアリング、墜落したUFOの回収に関する非常に豊かで詳細な歴史について話してくれたことに、お礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

アントン博士:

こちらこそありがとうございました。

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