見出し画像

どんな高さでどこまで飛ぶか?そしてそこからどうなるか

 おはようございます!朝が来ました。今日の関東は、快晴で風が強くて、ハイになりやすい日です。鬱の人には刺激が多くてつらいかもしれません。

 昨夜は、双極性障害って情緒とかハートとかの出来事じゃないよね?っていうことを考えていました。頭の中でもっと明確になったらnoteにしたいです。

 さて、小中学校の体力テストで、立ち幅跳びをやったひとは多いと思います。ぼくはやったことを覚えています。ただ飛ぶだけだけど、むずかしいですよね。

腕を振って、足を曲げて、遠くに飛ぶ!

 イメージできるでしょうか。腕をたくさん振ってみると、体が前に持っていける。合わせて膝を曲げ伸ばしして、上と前にエネルギーをつくって、背筋を使うのか、それでなるべく遠くの砂に着地するイメージでした。あくまでイメージです。

 躁鬱でもそんな感じのことがあるような気がします。症状が不安定な時や、躁の後の鬱では、なかなかそう思えないかもしれませんが、回復していく過程では、"よくなったり、悪くなったり"する。よくなるのはわかりますが、悪くなったりすると、嫌な気持ちになりますよね。もう治らないみたいな絶望感も味わってしまいます。そういう時、いま自分は腕を振って膝を使って目標を定めて、飛ぶ準備をしてるんだ!って思ったら、どうでしょうか?
今気づいたんですが、この例え、ちょっとわかりにくいでしょうか。動作凸っぽいって笑いますか?

ただ飛ぶだけでは、その場にしかいられません。
前に飛ぶには、どうしても、頭と体の準備が必要です。
軽躁と回復の違いは、そこにあるかもしれないとぼくは思うんです。
軽躁はその場でジャンプしてるだけで、疲れたらへたり込んでしまうんですよね。

でも、どんな風にどこまで飛ぶか計画したなら、ある日、ずっとそうしたかったようにできる時がくるんです。
回復を信じられなくても、自分がいまの状態からどんなふうに回復するのか、想像できなくても、たまにぼんやり思索を巡らせてみませんか。

 前に進みたい気持ちになったときに、待ってましたと万全の心で勇気を出せたなら、次のマスに進んでもきっとまた"悪くなったり"しても、次のマスに進んでいけたなら、それは時間の問題で、寛解すると思いませんか。

 途中で怪我をしないように、たくさんお勉強して、冒険の戦略を立てて、トラブルに備えられるなら、病期になる以前のことはもう、脅威じゃなくなります。練習や訓練も、それに必要な道具を揃えるのも、備えのうちです。必要に応じて、毎日ひまわりを飛び越えるやつをやって行こう。タネを植えて水をあげるところから、飛び越し甲斐があるほど芽が延びるまでは、毎日水をあげるだけですが、案外それも必要な準備なんですよね。ぼくは、そういうひとつひとつ気長にやっていくのが苦手なタイプだから、そう考えます。

近況

最近、コンサータを飲んでいます。ずっと飲んでいなかったんですが、最近はなんとなく、飲んで過ごしたいと思ったので、飲んでいます。
コンサータを飲んでいると、それはそれでコンサータを飲んでいない時とは違う学習ができます。

新しい学習をしようと思うのは、今より良くなりたいからです。今より良くなりたいのは、今より良くなれるからです。ぼくはそう思います。
今より良くなれると思えるとき、今はもどかしくて、いやなものですよね。それでも今の景色で見えるものを全部学ばないと、先には行けないような気がします。

そんなふうに感じて暮らしてる人は、他にもいるでしょうか。
いなくても構いませんが、ぼくはそんな感じです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?