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「親として!」を手放す

どんなに最善を尽くしても
こどもの安心安全を創り出そうと頑張っても
いい親でいようとしても
そして、たとえ本当にいい親であったとしても

必ずこどもは何かしらの痛みを持つし
壁にぶつかるし
葛藤するし
悩むし
抗うし
苦しみは訪れる

だってそれが生きることだから

こどもが幸せを掴むことと
あなたやわたしが親として◯だったか×だったかということは
本当の意味では関係ないんだよね

わたしは両親が大好きで
愛していたし愛されてきたし
それはゆらがない事実だけれども

だからといってわたしの人生が
常にハッピーで埋め尽くされていたかといえば
全くそんなことはなく

むしろ、なぜ何不自由ない環境が与えられているのに
こんなにも苦しいのかと
逆に混乱をするほどだった

そこに関連性を求めていたから混乱をしたわけだけど
そこに関連性はなかった

というか、
何不自由ない環境がある=常にハッピー
という方程式なんて存在しない、ということ

わたしが今満たされていることと
わたしの過去の痛みや苦しみの間には
間違いなく関連性があって
つながっているのだけれど

◯◯だから幸せ
××だから不幸せ

みたいな方程式はないのです

何が言いたいかっていうと
だからこそ、世界中の親たちは
自由にじぶんを生きたらいいんだよね、てこと

親なんだから!と肩肘張っても
親としてこうあるべき!とがんばっても
何を我慢してもしなくても
こどもは苦しさを体験するし
そこから自らの手で光をつかむこともする
そしてじぶん自身で
生きる意味を探し、見つける

要するに、人生の舵取りをするのはこども自身

ならば親にできることは
親自身も自らの人生の舵取りをひたすらやり続け
その姿をこどもに見せることなんじゃないか

こどもが親の生き様から何を受け取るか
それもこどもに任せて手放す

わたしがこどもに願っていることは
世の中の正しさという枠にハマって
いい子で正しく生きてもらうことではない

自分の人生を自らの手で切り拓いて
自分が願った幸せをその手でつかみとれるひとになってほしいんだ

だからわたしは、わたしを生きる
ただひたすらに

現在、息子は中学2年生。
幼い頃は、毎日のようにママ大好き!と言って
幼稚園では、ママに会いたくなっちゃった、と泣いていた息子
現在は、毎朝ドライヤーで必死にセンター分けを作り
ママはウザくて、頭の中は友達との世界でいっぱい

どんな息子も、たまらなく愛おしい

一方、娘は4歳になったばかり
幼い頃の息子のように、ママが大好き!を連発し
お迎えに行くと、ママ!と飛びついてくる
そんな娘も10年後には
息子と同じように外の世界で頭がいっぱいになるだろう

どんな娘も、たまらなく愛おしい

ふたりは疑いようもなく、わたしの宝物だ

だからこそわたしは
あなたたちの親として頑張る!
を手放し
わたしを生きていく
ただひたすらに

迷ったり悩んだり壁にぶつかりながらも
わたしが願った世界をこの手で創り出すために
何度でも転び
何歳になっても挑戦する

わたしがこの世を去った後

ママって何者でもなかったけど
ひたすらじぶんを生きた人だったよね
何を残したのかはわからないけど
きっと天国で「生きたぞー!」て叫んでるよね

そんな風に笑ってもらえたら本望なんだ



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