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パリこでかけモロッコ編④ モザイク・アラベスク・ゼッリージュ

パリこでかけモロッコ編、第1弾(砂漠とピンクとコバルトブルー)第2弾(市場と驢馬と香辛料)第3弾(ラムとクスクスとフライドポテト)、に続く今回は最終回、第4弾はモザイク・アラベスク・ゼッリージュ編をお送りします。この街はモザイクの様で、その文化はアラベスクの様で、人々はゼッリージュの様であり、その模様の織りなす様が、この街全体の蠱惑的な魅力を生み出している様でした。

◆芸術としてのモザイク

モロッコではモザイクはアラベスク(イスラム美術様式の幾何学模様)を表す為に用いられてきました。イスラム教スンニ派では偶像崇拝禁止なので、その世界観を表現する為に模様としてのアラベスクが進化してきたそうです。特に、中国からもたらされた釉薬タイルを用いた手法はゼッリージュ(zillij)と呼ばれるとのこと。と言うわけで、今回のタイトル“モザイク・アラベスク・ゼッリージュ”は同じ事を表しているようで、概念の広さや視点の切り取り方の違いによって色々な言葉が存在すると言う事を表してみました。

写真はマラケシュの観光名所バヒア宮殿、19世紀末の宮廷高官の邸宅で、スペインのアルハンブラ宮殿と比較される程のイスラム建築の傑作だそうです。広い廊下・部屋の天井・中庭の全てが精巧なアラベスクで彩られ、実面積以上の壮大な広がりを感じる事ができます。

こちらの窓上の装飾は、第1弾で紹介したコバルトブルーを活かした息を飲む美しさ。この様に宮殿自体が丸ごと芸術作品でしたが、それは同時に、欧州の美術ともまた異なり、保存が大変難しいという事です。芸術作品であるモザイクは、同時に通路の床であり壁であり、観光客が多く訪れるほど痛みも激しくなります。硬い素材でできているはずのモザイクは生活に密着した芸術が故に痛みやすく、それはあたかも為政者が変わる度に過去の建築や芸術を破壊してきたこの地の歴史にも重なり感慨深く感じると共に、この素晴らしい芸術を短期的に消費するのではなく、観光資源として維持して欲しいと心から願うのでした。(実際修復作業は行われていて、修復中で見られなかったと言う話も散見されるので、アラベスク美術や建築を見に行かれる際は事前に確認したほうがいいと思います。)

◆文化としてのアラベスク

第3弾でご紹介したように、モロッコは交易の要衝であると共に、度々為政者が変わり、フランス統治時代も長かった事から、文化は非常に多様です。食文化を見ても、昔から住んでいたベルベル人の食文化を基礎に、アラブ・アンダルシア・地中海地方の食文化を取り入れながら、イスラム今日の浸透と共にハラールに順応し、かつ交易を通じて手に入るようになったスパイスをふんだんに使用しています。

写真は第3弾でも紹介した市場で地元の皆さん向けに売られているパン、フランス宗主国時代も長かった為、パン食も定着しています。逆に、クスクス等の食材やタジン等の調理法は広く海外に浸透していき、クスクスはフランスやイタリアではすでに生活になくてはならない存在になっています。

食文化だけでなく、あらゆる分野に関して(当初は抵抗があったにせよ)貪欲に飲み込んで咀嚼して自分たちの文化に取り入れる、そして自分たちの生活や商売にしてしまう、そんな“強かさ”をマラケシュではあらゆる面で感じました。新しい文化を取り入れて彩りを増し、新たな模様を描いていく様子は、まさにこの街の文化のアラベスク的側面だと思うのです。ちなみに、モロッコ最大都市のカサブランカでは加工貿易や金融の税優遇特区が設けられていて、アフリカビジネスの拠点になりつつあるそうです。新しい文化を貪欲に取り込んでいくこの国のアラベスク的素地が、今後更なる経済発展に寄与していくかもしれません。

◆人々のゼッリージュ

最後は、マラケシュが誇る無形文化遺産ジャマ・エル・フナ広場の一角にある、奥に“クトゥービヤ・モスクのミナレット”を望む地元食堂で、コーラを啜りながら休息していた時に見たこの街の日常の姿についてお伝えしたいと思います。
通り沿いに座っていた観光客が食事を終えて立ち去ったのですが、皿の上には大量のフライドポテトが残されていました(あの第3弾で紹介したフライドポテトがここにも!)。そこに現れたホームレス風のおじ様がポテトを素手でガシッと掴み、かじりながら持ち去って行ったのです。店の前には食堂の客引きのお兄さんたちが何人もいまいたが、そのホームレス風おじ様を咎める事なくスルーしていました。更にその後、別のカップルが食事をしている最中、外から足の不自由な方が車椅子で店内に入ってきて喜捨を求めると、カップルのお兄さんがパンに自分の皿にあったペーストを挟んで渡していました。車椅子のお兄さんはお礼を言って立ち去りましたが、この時も食堂の店員さんは特に気にする様子もなくスルーしていました。
この出来事は短時間の事で、この背景を分析できるほど私は歴史や文化に詳しい訳ではないのですが、一つ感じた事は、この広場を無形文化遺産たらしめる要因は、この広場自体が放つ魅力のみならず、そこに集った人々の多様性にあるという事です。第2弾でもお伝えした通り、フエ広場と周辺の市場には、店を構えて商売する人もいれば、手持ちで商売する人・自分の技能で稼ぐ人・人から盗む事を生業にする人・喜捨を生業にする人…本当に多様な人々が存在します。これらの人々が相互に排斥する事なく、お互いに存在を受け入れあう事こそ、此処に集う人々のゼッリージュであり、この広場を無形文化遺産にした文化・歴史的な背景だと感じまいた。

マラケシュは、交易の要所であり為政者が変わる旅に宗教や文化が入り混じってきた背景から多様性に満ちあふれていている街でした。そしてその多様性を受け入れ、咀嚼し、新たな多様性を生み出す事が、街の魅力に繋がっていました。そんな街の魅力を生み出すのは其処に集う人々であり、時代は移れど人々の営みは続き、アラビアンナイトの時代から変わる事のない、大変蠱惑的な街のモザイクを形作り、アラベスクを彩り、ゼッリージュを描き出しているのでした。

マラケシュ編は今回で最終回です。次回からは多様性の著しく低い、地味な、地に足着いたパリ節約自炊生活に戻りますが、今後ともお付き合いよろしくお願いいたします♪


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