Yumi

24歳で進行性の筋疾患を発症。徐々に身体の自由を奪われながら、42歳で失業、43歳で最…

Yumi

24歳で進行性の筋疾患を発症。徐々に身体の自由を奪われながら、42歳で失業、43歳で最愛の夫との死別を経験。人生の絶望を味わいながらも、ここで終わりたくないと再び立ち上がり、重度障害者でありながらパラグライダーで空を飛ぶという夢を叶えようとしているYumiの物語です。

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夢を叶えます

プロフィールにもあるように、私のこれまでの人生はかなりハードなものだった。 24歳に遠位型ミオパチーという進行性の筋肉の病気を患ってからは、諦めることの連続だった。 定年まで仕事を続けるという目標も、夫と老後を楽しむという目標も、もう達成することはできなくなってしまった。 何の希望もなく、失うことばかりの人生を私は選んでしまったのかと絶望しかない日々を過ごしていた。 でも私の中で、こんな人生で終わってたまるかという、怒りと悔しさもあった。 亡くなった主人はいつも楽し

    • 協力してくれる人たち

      2024年のはじめ、ヘルパーさんと他愛もない話をしていた時に私はパラグライダーで空を飛んでみたいという思いを初めて伝えた。 最初は言ってもどうせ叶わない事だろうと思っていた。 私は日常生活も介助がないと生活できず、自宅での移乗はリフトに頼っているので、リフトのない場所での移乗が大きな問題となる。 外でのトイレもリフトを持って行かないと厳しいし、リフトが使える広さのトイレも必要になる。 そんなことから、遠出することがまず難しいと思っていた。 私がパラグライダーをやりたいと言

      • パラグライダーの下見

        私のこれまでの経歴を書き終え、やっとタイムリーな記事を書けるようになった。 9月末にようやく私の夢であるパラグライダー飛行が叶う。 パラグライダーはとーっても楽しみだが、ほぼ身体を動かせない私のような障害者が本当に飛べる環境なのかがやはり気がかりで、一度下見に行く事にした。 ナビで見ると片道2時間40分程度の距離。 でもその時間は、渋滞も何もない単純に 距離から計算された時間だった事に行ってみて気づく😅 実際は渋滞もあり、行きは4時間程度、帰りは渋滞+ガス欠+ゲリラ雷雨

        • 新しい働き方

          私は今、「障害平等研修」という障害を入り口にに参加者と共にインクルーシブな社会づくりを考えるワークショップを開催している。 障害者がファシリテーターとなり、健常者と共に学べる場を作れるというのは私にとって非常にやりがいを感じられる事で、自分が障害者であることを誇りに思えることでもある。 外で杖や車椅子を使うことが恥ずかしかったし、イヤだった私が、今では人前に出て堂々と話している。 自分でもビックリするほど私は変わったと思う。 若い頃、今の自分くらいの方を見て、「強いな~」

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        夢を叶えます

          本当の自分との出逢い直し

          夫や義母との死別を経験してから、私は人生について考えることが多くなった。 そして、私たちの命は有限だと言うことも改めて感じた。 ぼーっと過ごしていると、あっという間に命の期限が切れてしまうかもしれない。 命の期限がいつ切れるかなんて誰にもわからない。 でもそもそもなぜ私たちはこの世に生まれてきたのだろう。 数秘術の学びで、私たちの魂はこの世に生まれる前にどう生きたいかを決めてくるということを知った。 仏教でも輪廻転生という考えもあるように、私たちは今世のテーマを決めてから

          本当の自分との出逢い直し

          再び大切な人を失う

          夫と死別してから、私は哀しみを抱えながらも、相続手続きや新しい介護体制の構築、自己基盤を整えるための講座参加など、わりと忙しい日々を過ごしていた。 そうでもしていないと、自分が壊れそうで怖かったのかもしれない。 そんな日々を通して、新たな出会いがあったり、気づきや学びを得たことで、自分に起こった悲劇にも大分納得できるようになったし、人生を楽しめるようにもなっていた。 一時は絶望という暗い、果てしなく続くトンネルから抜け出せない状態に陥っていたが、少しづつ光を見つけ、その方

          再び大切な人を失う

          私もファシリテーターになりたい!

          ファッションショーで出逢った車椅子の女性が開催されている「障害平等研修」に参加した。 オンラインでの学びには、数秘術やグリーフケアの講座で大分慣れていたが、まったく知らない方々と参加する研修は少し緊張していた。 研修が始まると、車椅子の女性がファシリテーターとして軽快に話し始めた。 笑いも混ぜながら明るくテンポよく進行する彼女はとてもかっこよかった。 障害者でもこんな場を作ることができるんだ! 彼女の言葉にハッとすることもあった。 自分も障害者になって大分経っているのに

          私もファシリテーターになりたい!

          ファッションショーに参加

          ヘルパーさん達との生活も最初は色々と大変なこともあったが、徐々に落ち着いてきた。 数秘術やグリーフケアの学びも終えて、私も大分落ち着きを取り戻した。 数秘術に興味を持ってくれた友人たちが私のことを宣伝してくれ、イベントを開催してくれて、数秘術に興味を持ってくれる人が増えた。 その人たちが私の数秘術セッションに申し込んでくれたりして、私も徐々に自信をつけ、自分もまだまだ人の役に立てることを知った。 ある日、イベントを開催してくれた友人たちから、障害者がモデルになるファッショ

          ファッションショーに参加

          ヘルパーさん達との生活

          夫が倒れてから私は自分の生活のことも考えなければならなかった。 私はほぼ全ての動作に介助が必要。 手も手先が少し動かせるが、腕を上げることができないので、髪をとかすことも出来ない。 親も高齢だし、持病があったりで頼ることはできない。 夫が倒れてから、義母や父が泊ったりもしてくれていたが、ずっと頼るわけにもいかない。 以前から同じ病気仲間で一人暮らしを実現している友人がいたので、介護を受けながら一人で暮らすことが可能なのは知っていた。 父はよく知らないので、私は施設に入

          ヘルパーさん達との生活

          グリーフケアと数秘術

          夫も仕事も失って絶望しかなかった私は、自分の人生を恨んでいた。 なぜ私ばかりこんな目に遭うのか 私は呪われているのではないか 私は何の為に生きているのか この疑問が頭から離れなかった。 この先もずっと苦労しかないのなら私は早く夫の場所へ行きたい。 こんな人生はもうイヤだ。 そう思いながら、色々な占いを見ていた。 どの占いを見ても、あまり響いてこなかった。 内容も今の状況とまったく離れているものだったり、なんとなくはわかるけど、なぜかしっくりこない。 ネット上で名前や生

          グリーフケアと数秘術

          悲しみの中での手続き

          夫が亡くなった途端に私は遺族代表として、葬儀の手配やら遺産相続やら関係各所への連絡に追われた。 仕事も失った上に最愛の夫も失い、私には生きる希望などなかった。 でも夫の後片付けを私が最後までやってあげたい。 これまでずっと私を助けてくれた夫への恩返しがしたかった。 手続きは山ほどあった。 役所や年金事務所での手続きだったり、各銀行での解約手続きだったり、車や家の相続、クレジットカードの解約、そして現役社員だった夫の退職手続きもあった。 その手続きにも必要なのが死亡診断書

          悲しみの中での手続き

          悲しい現実

          夫は救急車で病院に運ばれ、色々な検査を受けたようだった。 「ようだった」というのも、私は救急車に乗ることができず、トイレも外ではできないので、長時間の外出が難しい。 本当は夫のそばにずっと寄り添ってあげたかったが、妹に託すしかなかったので、夫の様子も妹が報告してくれるのを待つしか出来なかった。 夫は身体を痙攣させ、意識はもうないようだった。 「CTをとるみたい」と連絡が来て、その後また「このまま入院になる」との連絡。 容体はどうなのか、何が原因なのか、私は一刻も早く全てを

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          悪夢のはじまり

          退院してから私は再び翻訳のオンライン講座に集中していた。 退院後から始まった訪問看護も週2回私のスケジュールに加わった。 看護師さんとも気が合って、足をマッサージしてもらいながらお話する時間が癒しだった。 夫は仕事が忙しく、海外出張なども頻繁に行くようになっていた。 英語でプレゼンする機会も増えてきて、私も英語の部分はできるだけ協力した。 日々の業務に追われながら、出張の準備もしなければならなかったりしている様子を見ると、私がもっと手伝えたら良いのにと思った。 夫が私を助け

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          入院生活

          足の激痛と高熱に突然襲われた。 以前も左手で経験したことのある蜂窩織炎だ。 以前も北海道に旅行に行って帰る日の前の晩に突然高熱と左手の違和感を感じ、帰る日の朝には左手だけでなく腕全体がパンパンに晴れ上がり、激痛と高熱でヘトヘトになりながら帰って来た記憶がある。 腕でも大変だったのに今度は両足に広がってきた。 これは早くしないとどんどん炎症部位が広がってくる!と危機感を感じ、主人に早く帰って来てもらい、夜間救急に連れて行ってもらった。 熱でフラフラで座っているのもしんどい

          入院生活

          自分に何ができるのか

          仕事を失うことになり、今後の不安と家族たちに対する申し訳なさが強まった。 私は生活しているだけで人よりお金がかかる。 福祉用具も補助があっても元値が高いし、ヘルパーや訪問看護、訪問リハビリなどのサービスも必要だ。 それを考えると、私が仕事をせず生きるのは家族の負担でしかないのではないか。 仕事を失って、自尊心が傷ついた私の思考ではそういう風にしか思えなかった。 自分にできることは何か。 それまでやってきた仕事は専門職でもなんでもなく、一般の事務。 さらに米軍基地という特

          自分に何ができるのか

          職場側が下した結論

          自宅待機中も職場側に産業医との面接を設定されたり、進捗状況を伝えられるためのミーティングに呼び出される度に、夫や妹に職場に送迎してもらった。 当時の私にとって、仕事をして経済的に自立していることが唯一家族に対してできる恩返しだと思っていたので、仕事は絶対に失えないと焦っていた。 何とかして復帰する方法はないかと考え、以下のことを職場に求めた。 ・在宅勤務にしてもらえないか。 ・外部からヘルパーを雇ってもらえないか・または私がヘルパーを雇い、その人に職場での介助を頼めないか

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          職場側が下した結論

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