入院生活
足の激痛と高熱に突然襲われた。
以前も左手で経験したことのある蜂窩織炎だ。
以前も北海道に旅行に行って帰る日の前の晩に突然高熱と左手の違和感を感じ、帰る日の朝には左手だけでなく腕全体がパンパンに晴れ上がり、激痛と高熱でヘトヘトになりながら帰って来た記憶がある。
腕でも大変だったのに今度は両足に広がってきた。
これは早くしないとどんどん炎症部位が広がってくる!と危機感を感じ、主人に早く帰って来てもらい、夜間救急に連れて行ってもらった。
熱でフラフラで座っているのもしんどい中、診察まで結構待たされ、やっと診察してもらえたのだが、医者はここでは何もできないから、明日病院に行くようにとつき返そうとした。
早く抗生剤を投与しないと炎症が広がってしまうのに何もやってくれないなんてここまで来た意味ないじゃん!という気持ちだったがしんど過ぎて何も言えずにいたら、そこにいた看護師さんが、「敗血症になる可能性もあるので、他の病院の救急に回した方が良いのでは?」と言ってくれた。
この看護師さんがいてくれて本当に良かった。
あの医者は患者を助ける気が全くなさそうで、ただお金のためにやってるという感じでもう二度と会いたくないと思った。
その後、また総合病院の救急に回された。
診察台に乗るにも足が激痛で、もうこのまま動きたくないという感じだった。
意識も朦朧として、尿も勝手に漏れてきてしまう。
この時、トイレにしばらく行けないことを想定して、リハビリパンツを履いていて助かった。
そのことも医者に訴えていたのだが、この日の当直の医者がとても若い研修医のような医者で、蜂窩織炎も初めて診たようだった。
まず採血しようと何度も針を刺すのだがなかなか採血できない。
確かに私の血管は細くて大変なのだが、いい加減刺してくれよと言うくらい何度もやっていた。
私はもう意識朦朧としているので、ただされるがままになっていた。
ようやく採血ができたが、入院するほどの炎症値ではないという理由で結局帰されてしまった。
私は激痛の足と高熱のまま帰宅し、ベッドに倒れ込んだ。
翌日、近所の皮膚科に行き、点滴を受けたが、ちょうどお盆時期に重なり、皮膚科も休みに入ってしまうということで、また別の総合病院に紹介状を書いてもらった。
そしてやっと紹介状を持って総合病院の診察を受けたら、先生は私の足を見るなり、「あ〜、これはもう入院ですね」と言って、私はやっと入院する事ができた。
入院なんて通常であれば絶対にしたくないと思っているが、この時ばかりはもう本当に早く助けて欲しかったし、激痛の足をベッドから下ろす時に失神するほどだったので、ベッド上でしばらく生活したかった。
私の入院生活はこの日から始まった。
夫や姉妹たちと大好きなお寿司を食べに行く予定もあったのに、それも泣く泣くキャンセル。
とにかく早くこのしんどい状態から回復したい。
とりあえず入院中はずっと抗生剤を点滴。
私はベッドに寝たきりで、何をするにも誰かに頼まないと出来ない状態。
最初は高熱もあって寝たかったのでそれでも良かったが、徐々に回復してくると何もできない状態は本当に辛かった。
私は寝てしまうと手も全く動かせないので、スマホもいじれないし、テレビもチャンネルを変えることも電源をオン・オフするのもできない状態。
私は個室だったので、看護師さんの出入りも少なく、来たついでに頼むというのもなかなかできなかった。
こんな入院生活だったので、家族や従姉妹たちがお見舞いに来てくれた時はほっとした。
夫も私がいない家で過ごすのが寂しかったのか、お見舞いに来るとしばらく部屋でくつろいでいた。
私が寂しいと思ったのか、夫に似ているミニオンのマスコットを病室に飾ってくれた。
正直、寂しさはそこまで感じていなかったが(笑)、夫がいると安心感があった。
仕事を失ってから夫の存在の大きさを感じることが多かった。
入院中もずっとそれを感じていた。
結局最後に私を助けてくれるのはこの人だ。
この人が夫で良かったと心から感じていた。
夫への気持ちを再認識するきっかけとなったこの入院生活も10日でようやく終わり、私の足も大分良くなった。
それ以降は訪問看護師さんが週2回入り、蜂窩織炎が再発しないようチェックしてくれることになった。
入院で一時お休みしていた翻訳のオンライン講座も再開し、私はまたいつもの日常に戻った。
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