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夢を叶えます

プロフィールにもあるように、私のこれまでの人生はかなりハードなものだった。

24歳に遠位型ミオパチーという進行性の筋肉の病気を患ってからは、諦めることの連続だった。

定年まで仕事を続けるという目標も、夫と老後を楽しむという目標も、もう達成することはできなくなってしまった。

何の希望もなく、失うことばかりの人生を私は選んでしまったのかと絶望しかない日々を過ごしていた。

でも私の中で、こんな人生で終わってたまるかという、怒りと悔しさもあった。

亡くなった主人はいつも楽しそうだった。
そして私にも、もっと楽しんだ方が良いと言ってくれていた。
主人は私が笑顔でいることを望んでいたのだと思う。

この言葉を思い出し、私の人生をもっと楽しいものに変えようと決意した。
私は不幸な人生を送るために生まれてきたのではない。もっとやりたい事があったはずだと思った。

そんな中、ヘルパーさんと話していた時に私から「パラグライダーで空を飛んでみたい」という言葉がふと出てきた。

そう言えば私は、鳥のように空を飛んでみたいという願望を幼い頃から持っていた。

幼少期に家のベランダでハンググライダーのような物を工作し、飛ばせるか何度も実験したりした事もあった。

実験が成功したことはなく、残念ながら飛ぶことはできなかったが、いつか飛びたいという想いは残っていた。

何年か前に、「最強のふたり」というフランス映画を観て、重度の障害を持つ車椅子ユーザーがパラグライダーで空を飛んでいるシーンを見た。

それを見て、「これだ!」と思った。

調べてみたら、日本にも車椅子ユーザーがパラグライダーで飛べる場所がいくつかあった。

夫が亡くなる前にこの話をして、連れて行ってくれることになっていたのだが、夫が他界してしまい、もうこの夢を叶える事はできないと、私は封印してしまっていた。

私は外出するのに介助が必要。
なのでどこかへ行きたくても協力者がいないとできない。

近所であれば、ヘルパーさんや妹に頼んで外出できるが、パラグライダーができる場所は遠い場所ばかりで、そこまで連れて行ってくれる人が夫以外いないと思っていた。

夫が亡くなってからは、もう遠出はできないと諦めかけていたのだが、ヘルパーさんの「行こうよ」という言葉で、私の頭の中はバラ色になった。

何をするにも介助が必要な私をわざわざ遠くまで連れて行ってくれる人なんていないと思っていたので、力強く「行こうよ」と言ってくれた事が本当に嬉しかった。

ヘルパーさんとのたわいも無い会話から、私の諦めかけていた「パラグライダーで空を飛ぶ」計画が始動した。

人生は諦めてはいけない。
本当に今そう思っている。

私がパラグライダーで空を飛ぶ夢を叶えるまでの記録を、私の生い立ちなどから書き綴っていきたいと思う。

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