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私の足跡『たびらのたび』

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ノンフィクション小説形式でお届け! 大学時代に核問題を学んでから、被爆体験を継承した「次世代の語り部」としての旅の足跡を書いています。 語り部をやっている若者や仕事と両立しながら…
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#原爆

第6章 命日 ③「第二次世界大戦の裏側」

第6章 命日 ③「第二次世界大戦の裏側」

 二つ目の質問は、第二次世界大戦の裏側に直結する良い質問だった。

 「世界で最初に核兵器を作ったのはアメリカです。戦争末期、ドイツが原爆を開発する可能性があるといわれたから、アメリカでも早急に開発しようという話になりました」。子供達がメモを取る。

 「原爆を作ったのは科学者ですが、その裏にはアインシュタインと、当時の大統領だったルーズベルトがいました。アインシュタインって知ってるよね?」

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第4章 出発 ②「初めて見た”栗”きんとん」

第4章 出発 ②「初めて見た”栗”きんとん」

 さて、講話のことを書いていこうと思うが、数十回にのぼる講話エピソードを一つ一つ書き連ねることは難しい。だから、自分の印象に残っていることを中心にしようと思う。

 まず講話をしていて一番良かったと思うのは、普段なかなか足を運べないところへ行かせていただくことと、講話後にたくさんの生徒から感想文をいただけることだ。
 県外講話は基本的に1泊2日、行き先と講話開始時間によっては2泊3日になる。私はせ

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第4章 出発 ①「講話依頼でわかっちゃう”やる気”」

第4章 出発 ①「講話依頼でわかっちゃう”やる気”」

 講話デビューを終え、年明けの2019年1月21日、最初の県外講話をお引き受けした。
 場所は滋賀県米原市、全国の自治体職員向けの平和・非核に関する研修会で、その一部に被爆体験講話が入った形だった。対象は平和行政を担当する公務員および地元・米原市民の皆さんで、聴衆は100名。
 この時の様子をYouTubeでシェアしておきたい(0:00~3:15)。

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 私達証言者は、国立長崎原爆追悼平

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第3章 始動 ⑫「あの時買った本は、運命だった」

第3章 始動 ⑫「あの時買った本は、運命だった」

 後日、講話のアンケート結果が担当者から送られてきた。聴講者(出入り含む)25人のうち、11人が回答してくださっていた。

 講話内容は「とても良かった」「良かった」が100%であり、聴衆から見た改善点やダメ出しは皆無に等しかった。初めての講話だということを考えると出だしは成功と言えるだろう。
 ただ、個人的にはもう少し写真や絵を入れた方がよかったのではないか、このセリフをもっと自然に言えるように

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第3章 始動 ⑩「根拠、根拠って何?」

第3章 始動 ⑩「根拠、根拠って何?」

 私はいたずらに放射線の危険性や怖さを強調したいわけではないし、大変敏感なトピックだから根拠やデータをきちんと踏まえるべきだと思っている。
 それでも「根拠」ということが何を意味するのか分からずに悩み続けた。
 当該部分の書き方をめぐり、原稿作成がなかなか先に進まないことへのいら立ちも相まって担当者とは相当やり合ってしまった。

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 このままでは埒が明かないと思った私は「ナガサキノート」を

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第3章 始動 ⑨「勲さんの苦しみ」

第3章 始動 ⑨「勲さんの苦しみ」

「―被爆後の症状っちゅうのはすぐ出ました。それはなぜかって言うと、白血球減少という症状があります。
 私の場合は、ちょっとしたできものとか切り傷がすぐ化膿して膿になってやがてかさぶたになるっていう。こういうかさぶたがいっぱいできてたの。  
 頭も強く掻くと痛いし、掻かないとかゆいというか、かさぶたがいっぱい…2年くらい続いたと思う。
 
 だからその間には、小学校に入学するときも来ます…仁田(に

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第3章 始動 ⑧「一人で集めるパズルのピース」

第3章 始動 ⑧「一人で集めるパズルのピース」

 年が明けて講話原稿の作成に着手したのだが、これがなかなか難しい。なぜなら自分ではなく他人の人生を語らせていただく上に、その主役であるご本人が亡くなっているからだ。
 仮に原稿を書いている途中で、聞き取りでは十分に語られなかった、あるいはもっと深くお聞きしたいことがあることに気づいたとする。被爆者がご存命であるならばすぐにご回答をいただけるだろう。しかし「二度と」聞けないとしたら…?
 自分で勝手

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第3章 始動 ⑤「叶わぬ約束」

第3章 始動 ⑤「叶わぬ約束」

 この日の聞き取りは2時間だった。
 勲さんは、本当にたくさんのことをお話してくださるのだ。そして何より、知識の多さに驚いた。ご自身の被爆体験や平和への思いだけではなく、核兵器そのものや核問題を論じながら縦横無尽に話を広げる。
 「これは自分も相当勉強しなければいけないな」と私はますますやる気になった。

 聞き取りを終え、次回の約束をする時間になった。
 「今度は、10月下旬にしようか。次は聞き

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第3章 始動 ③「聞き取りが始まるよ」

第3章 始動 ③「聞き取りが始まるよ」

 勲さんを受け継ぐことになったのは、私のほかに女子大生(大3)と女子高生(高3)だった。
 8月20日、勲さんと私達継承者の計4名がそろって原爆資料館にて1回目の聞き取りを行った。この日はちょうど4日後に勲さんが77歳のお誕生日を迎える時だった。
 
 勲さんは私達に様々なことを語ってくださった。
 幼い頃父と兄を相次いで亡くし母とも別れたこと、原爆によって自宅が被害を受け、自身の身体にも放射線が

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第3章 始動 ②「吉田勲さんのご生涯」

第3章 始動 ②「吉田勲さんのご生涯」

 2週間ほど経っただろうか、受け継がせていただく被爆者が決まった。被爆当時4歳11か月だった吉田勲(よしだ・いさお)さんだ。
 私は、勲さんの明るくフレンドリーなお人柄と、被爆体験講話や核兵器廃絶活動を国内外で活発に行っておられるところに惹かれた。私の第一希望は勲さんだったので、希望が叶ってとても嬉しかった。

 ここで、勲さんについてご紹介したい。
 1940年8月24日に長崎市で生まれた。父は

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第1章 原点 ②「学生最後の四苦八苦」

第1章 原点 ②「学生最後の四苦八苦」

 こうして核問題のイベント準備と勉強に取り組む日々が始まった。この間に「ナガサキ・ユース代表団」の存在を知り、自分もその一員になりたいと思った。
 真っ先に両親に相談すると、快く背中を押してくれた。公務員試験があるのに行っていいのか、ということは正直悩んだ。だが、1年に一度必ず受けられる試験より、一生に一度の大チャンスである国連を選んだ。
 結果的にこれは正解だった。倍率の高い公務員試験には不合格

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