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【経営を学び直し】自分のライフキャリアのパーパスとは?自分の過去を棚卸し~ヤヌスコーン分析♯108

子連れMBAというラーニングコミュニティで活動をしていますが、この夏から、会員向けのビジネススクール動画(やさしいビジネススクール)のキュレーションを仲間とやっています。

前回の記事では、「あるべき姿」についてふれてみました。

このラーニングコミュニティでお世話になっているYouTube登録者数5万人超の経営学者、中川功一先生が運営されている「やさしいビジネススクール」の記事で、ビジョンをつくるうえで、パーパース、バリュー、ミッションを考えていくということが書かれていました。
こちらの記事に掲載されていた「ヤヌスコーン分析」。
今日は、このヤヌスコーン分析を、自分のライフキャリアに応用しながら考えてみたいと思います。今日は、過去を振り返る~パーパス編。

やさしいビジネススクール  ビジョンとは【簡単まとめ】事例と作り方よりhttps://yasabi.co.jp/vision/



1.過去の分岐点

①就職活動
2000年代、私の学生時代はまさにテレビ全盛期の時代。
今から思えば、年収がいい、箔がつくという浅い理由で、TVの制作を志望。
「ハガキ職人をしていた」の一点張りで、キー局の6次審査(合宿審査)まで進むが(それもそれでビックリw)、そこで周りとの実力、情熱の違いが露わになり、不合格。その後、自己分析を重ね、ゼミやサークルでメンバーの持ち味を活かした、組織づくりに面白さを感じていたことから、組織風土、人材育成という点に関心を持つ。当時、組織風土の立て直しを社会から求められていた鉄道会社に入社を決める。

②鉄道会社時代
入社後、はじめは駅や車掌といった現業部門に配属。現場の先輩たちの安全に対するプロ意識や「会社をよくしないといけない」という意識に触れ、お客様と直接接点を持てる最前線の仕事に使命感、やりがいを感じる。その後、間接部門に進むも、はじめは商品や収入管理を担当。人ではなく、モノ、数字を扱う仕事が好きになれず、蕁麻疹が発症・・・。先輩の異動で、教育やCS推進の担当に。社員のマインドや組織風土に携われることが楽しく、また当時は支社の担当で現場に近かったので、自分の施策に対し、直接的な反応が得られることも喜びとなり、上司にも「ハマり役やな!」と言ってもらえるように。ただ本社に異動し、同じ担当業務を担うも、調整が多く、複数の組織を越えて、自分の仕事がお客様にどのように届いているのかが見えづらくなり、ただ忙しいだけの日々にしんどい時期が続くが、20代最後に全社的なビジョンや行動指針を策定するプロジェクトに入り、組織を俯瞰し、ダイナミックに動かすプロセスを学ぶ。当時、気を付けていたことは社員数3万人の組織だからこそ、伝えたいこと、依頼したいことは明瞭に。ただし、すべてを指示、コントロールするのではなく、自由度を残す(この匙加減が難しい)。また、社員の心を動かすために、無味乾燥な通達・事務連絡だけではなく、"場"の力を借りたり、動画をつくったり、手間暇を惜しまない。担当者同士の信頼関係を築く。自分がこだわっていたことは、官僚的な組織の中、一見非効率に見えたとしても、血が通ったコミュニケーションをとることだった。数年間担当し、社員の行動が少しずつ変わっていく姿が見れたこと、現場から社長まで一丸になって取り組むプロジェクトに参加できたことが会社員時代の何よりの喜びに。

転勤妻時代
会社員生活は楽しかったが、実家が自営業をしていたこと、また始発から終電まで働き、すべてを会社に捧げるような働き方をしてしまっていたので、将来的に家庭と両立するのは難しいと考え、結婚を機に家業に転職。だが、私が転職した途端に、夫に転勤の辞令が下り、休職。その後、7年間で5回の転勤が始まる。悶々とした気持ちを抱えながら、会社を休職し、子育てがメインの生活に。会社員でもなくなり、周囲からも自分の名前ではなく「○○くん(子供の名前)ママ」と呼ばれることで、自分は何者かを問い直す時期になる。当時、東京都が主催した起業女子全力応援プログラムに参加し、マドレボニータを立ち上げた吉岡マコさんの話を聞く。「母親としての役割を生きるのではなく、自分自身を生きる」という言葉に感化され、そこから自分ができる小さな一歩を踏み出し、当時住んでいた家の近所のカフェで乳幼児のママのキャリアのモヤモヤを先輩ママに質問してみるといったワークショップを開催。ただし、東京での赴任期間8カ月で、その後、すぐに広島への転勤が決定。その後も京都、イギリスと転勤が続くも、転勤帯同先で、様々な団体や行政の担当者、友人と繋がりをつくり、「自分がしんどいと思っていることは、他の誰かもしんどいはず」という考えのもと、子育て中の女性のライフキャリアに向き合うイベントを開催。参加者とかかわるなかで、「考え方が変化した」「しんどかったけど、気持ちが整理できた」。また広島で活動していた当時の仲間から「ゆうこさんが作ってくれた場があったからこそ、私も救われた」という言葉が喜びに。

また夫の転勤で、会社を休職せざるをえなかったことに、納得がいかない部分も当初あったが、乳幼児だった子どもと向き合う時間をつくれたことで、心身のバランスがとれていた。今も子どもとのコミュニケーションの時間は最優先。家事・育児に関することも、自分がやらなくていいことはなるべくやらないようにしながら、1日の限られた時間で子どもと話したり、スキンシップをとる時間を意識的に作っている。この転勤妻時代、時間に比較的ゆとりがあるときに、自分が心地よいと思えるライフとワークのバランスとは、そして家事・育児の中でも自分は何に注力したいのかなどを見つめ、自分にちょうどいい働き方を模索できる期間に。

2.大切な考え方

・人と組織の"見えない力"を強くする=内部にもリソースを投入する
・モノ、情報より、人と向き合いたい(VPI職業興味検査でも、同様の結果が)
・自分がかかわった人の行動が変わっていく姿に喜びを感じる=人は変われる
・自分に余裕があるからこそ、人と真摯に、丁寧に向き合える。だから、なるべく忙しくしない。また、自分の心が満たされる要素である「子どもとのコミュニケーションの時間」は、死守する。

3.自分自身のヒット商品

鉄道会社時代…CSマインド研修、ビジョン・行動指針策定
転勤妻時代…自分時間見つけ方講座、スウェーデン人のワーキングマザーとの交流会 など

4.取り組んでみた気づき

3のヒット商品
自分の中で、これは、手応えがあったというものはいくつかあるが、小粒・・・

またヤヌスコーン分析の要素にもなっている
痛い教訓=小さな失敗は沢山あるけど、「痛い」とまで言える教訓ってすぐには思いつかないなー
なんて思うと、これまで、自分は大きなチャレンジをしてこなかったのではないだろうか?なんて思ってしまう。
例えば転勤妻時代に一から団体を立ち上げたことは、その時点では、自分の中で「挑戦的なこと」だったのかもしれない。特に会社をやめて以降、自分に裁量が持てるようになってからは、「スモールアクション」こそやってはいるが、「これ、実現不可能かもしれない」と思えることに自分がチャレンジできているかと言われると、ちょっと答えに戸惑ってしまう・・・
会社員時代、全社的なプロジェクトの担当になったとき、「絶対、無理!」と思った。またイギリスでコロナのα株が流行っていたまっさい中に夫にイギリス駐在の辞令がおり、転勤帯同の判断をしなければならなかったとき、「行ったら死ぬかも・・・」と思った。(結局、コロナ禍に乳児を連れてイギリス帯同したけども・・・)自分の中では、いずれも挑戦で、一皮むける経験だったようにも思える。そう思うと、自分の中では、予期せぬライフキャリアイベントこそ、自分を脱皮する機会として活用していたのかも・・・
自分は保守的な人間なのかもしれない。だからこそ、自分で選択するときは、より挑戦ができる選択肢を。そして、予期せぬ出来事に遭遇しやすい環境に自分の身を置いておくことが、自分の可能性を広げるうえで大切であるように思う。

長文を書いた割には、自分のパーパスを固めるまでたどり着けなかったけれど(汗)、棚卸してみて色々気づきが得られました!
今度は自分の現在地(バリュー)も棚卸してみます。


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