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【教育】道草から学びの面白さ、自分の「好き」を取り戻す~高校生とのフィールドワークを通じて♯063

新たな年度に入り、今月から高校の教員の仕事がスタートした。

私が勤務する高校では、多様な学びを後押しするため
全日制普通科に単位制のコースが新設された。
選択科目の割合が多く、生徒自らの興味にそって時間割を組むことが可能になった。そして定期テストは無い。ちなみに既存の学校に馴染みにくい生徒を対象にしている。このコースで非常勤講師として高校で週1コマ「女性学」の授業を担当することに。

フリーアドレスの座席、教室内にはハンモックやバランスボールも置いてあり、広い教室内には琉球畳が敷かれているスペースもある。制服はあるけれど、私服登校も可。染髪もOK。

授業自体は今週から始まるが、コースの雰囲気を知りたくて、先週末、生徒とのフィールドワークに参加してきた。

スマホのカメラ片手に学校の周辺を時間をかけて歩いてみるというもので、「おもしろい」「これ何?」と心が動いた対象を、とにかくスマホのカメラにどんどん撮りためていく。
若葉の柔らかさ、地面に人知れず咲いてる小さな花、道路の模様、普段気づかなかったものにイチイチ感動しながら高校生と一緒にスマホを構えた。

足元をよく見ないと気づかないとっても小さな花だったけど
力強く、凛と咲いていた

そんな驚きを同じグループの生徒たちと共有していると、初対面の私にも沢山自分の好きなこと、興味があることを話してくれた。

そして授業の最後、この日印象に残ったものをシェアしあった。
同じエリアを散策したにもかかわらず一人一人見事に違った。

話は変わって、楠木建先生の『好き嫌いと経営』の本が好きだ。

前書きには、このように書かれている。

「良し悪しの基準で人間の思考や行動を形式的に切り取ってしまえば、話があまりにも浅くなる。経営という仕事はその最たるものだろう。当たり前の話だが、好き嫌いだけでは経営できない。しかし、好き嫌いを抜きにして経営を語れないのもまた事実」

楠木建『好き嫌いと経営』

社長になりたい人はたくさんいる。
しかし、そのポジションにつくまでに、厳しい競争を勝ち抜いたにもかかわらず、「こういう商売!」「これで稼いで行くぞ!」というダイナミズムがないために、宝の持ち腐れになっているのだそうだ。
せっかく経営資源を動員する力を手に入れたのにー。

どの年代、どの属性においても、組織や社会に自分を適応させていくうちに自分は何が好きで、何をしている時が楽しいのか、それらを感じられなくなる人が少なからずいる。

私も会社を辞めて間も無くは、実家の跡を継ぐと言いつつ、事業を通じて何がしたいのかわからなかった。
それは、会社はどういう方針なのか、幹部、上司はどういう意向か、与えられた仕事を前に進めるため、そのようなことばかりに気を取られ、残念ながら自分の思いや考えを通していくといった仕事をしてこなかったからだ。
ただ、そんな私も当時はブランクとしか思えなかった転勤妻期間に、たくさんの面白い友人と出会い、自分が抱く社会に対する違和感を、自分が企画したイベントにぶつけていった。
そう、「誰かの意向に合わせた働き方」ではなく、「自分が心が動いたもの」に従って進むうちに、だんだん自分を取り戻していった。

そんなことを重ねながら、このフィールドワークは

道草って大事やわ・・・

と気付かされた時間だった。

高校生にも
うれしさ、たのしさ、おもしろさ、怒り、悲しみ
行動の原動力になるような感情を呼び起こせるような授業ができたら、と思う。
そもそも、勉強は、
テストのため、自分がいいポジションにつくため
基準から落ちこぼれないためといった「良し悪し」で学ぶためのものではない。
生徒が卒業する際、高校での学びを通じて
自分がこの先の人生で取り組みたいこと
の芽が見えている状態になるよう、サポートがしたい。

そんな決意ができた1日。

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