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「多様な働き方」は「なんでもやるマン」じゃない

「まず朝に顔を合わせるのが大事。だから直行はダメ」と課長が言った。

同じグループに所属する先輩が、10時に五反田駅でアポイントがあるので直行したいと話していた。会社の始業は9時で、会社から五反田まで約45分かかる。一度会社に寄るより、直接現地に向かった方がはるかに効率がいい。わたしが先輩でも、直行を申し出ただろう。しかし課長は”No"をつきつけた。

「10時アポで五反田でしょ?9時の朝礼に間に合うだろ。まず朝に顔を合わせるのが大事なんだから、一回出勤しな。」

会社に寄れる時間が10分でもあるなら、一度会社に出向くべきだというのだ。たしかに朝顔を合わせて、連絡事項を伝えたり、その日の様子を確認できるのは大切かもしれない。ただ朝礼は毎日やっているので、1日くらい朝に顔を合わせなくたって支障はない。しかも一度会社に立ち寄ることで、余計な移動時間がかかってしまう。結局先輩は1度出勤してきたものの、9時15分には会社を出ていった。直行していれば、ういた移動時間でもっと別の作業ができたのではないか?と思ってしまう。

そういえば昔、その直行NG課長に「毎日通勤が大変なので、在宅ワークを導入してほしい」と申し伝えたところ、「確かに通勤って無駄だよな。部長に相談してみるわ」と話していた。あの時は物分かりのいい大人だと思っていたけど、「顔を合わせるのが大事」理論に従えば、課長が在宅ワークを推進してくれるとも思えなかった。課長の寛容は幻だったようだ……わたしはマ委員電車での通勤を続けるしかないらしい。

「役割にとらわれない」は「何でもやる」ではない

「1つの会社にとらわれない」「役割にとらわれない働き方」といった言葉をときどき耳にする。終身雇用や年功序列が残っていた時代、会社からのお願いは受け入れるしかなかったし、断れば地方に飛ばされるなんて事例もあったときく。転職する人は今より少なく、サラリーマンは会社に頼るしかなかった。

今では転職や副業も珍しくはなくなり、1つの会社にとらわれない働き方が認められつつある。もちろん「働き方の多様化」と呼ぶには及ばない気がしているけれど、周りを見ていると選択肢は1つではないとひしひしと感じられるようになった。

その時代の変化に伴って、上層部が「1つの役割にとらわれるな」と言い始めた。営業は営業、システムはシステムなどと縦割りになってしまうと情報連携がうまくされない。敵対関係になりやすい。そのため上層部は、自分の職種にとらわれず、あらゆる角度から知識を付けるようアドバイスし始めたのだ。対応力を高める意味では、間違ってはいないと思う。

ただ「1つの役割にとらわれない」のは、「何でもやる」とは違う。複数ジャンルの仕事を取り組めば自分の力になっていくけど、自分の役割から完全に外れた仕事、給料や立場に見合ってない業務、就業規則に合わない仕事は断ったっていいのだ。「それも経験だ」「成長のためだ」なんて言うかもしれないけど、自分が納得いかないのなら本当は断ったっていいのだ。

下の記事「ミスを許さない日本社会が超非効率なわけ」を読むと、海外では自分の給与や立場に合わない仕事はアルバイトであっても断るのが普通らしい。日本では(というか少なくとも弊社では)、「役割にとらわれない」「多様性」といったカッコいい言葉たちが、「何でもやる」と言った便利な言葉に置き換えられている気がしてならない。

朝礼は義務ではない、権利だ

朝礼も同じではないだろうか?上司が「顔を合わせるのが大事だ!」と言っていたって、部下が「直行の方が効率がいいので朝礼には出ません」といったっていいのではないか。

もちろん自己主張するからには結果が求められるだろう。でも朝礼は業務とは違う(始業5分前から始まる…)ので、わたしたち平社員に断る権利はあるはずだ。

とはいえ、権利を主張するのにも意志を貫く体力や勇気がいる。正直ちょっと面倒だな……。多様な働き方を叶えるためには、まずわたしたちが意志を貫く気力と勇気を付けるところから始めるべきなのかもしれない。

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