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ブラックコーヒーが飲めるようになった理由

ブラックコーヒーが飲めるようになったのは、「めんどくさい」が理由だ。

社会人になると、アポイントの合間のカフェや先方への訪問、会社の人とのランチなど、多くの場面でコーヒーに出くわすようになる。カフェであればコーヒー以外にも好みの味を選べるものの、訪問では1種類の飲み物を提供されるのがほとんどだ。

コーヒーを出されると、顔には出さないけれど少し気分は落ちた。なぜなら、苦手だったとしてもブラックコーヒーを飲まないといけないからだ。

もちろん、砂糖やミルクが提供されないわけではない。コーヒーとともに、マナーとしてミルクやお砂糖が一緒に配られる。しかし、そう簡単に使えない。1人ひとつずつ配られるのならいいけれど、たいていはテーブルの中央に人数分まとめておかれる。人数が多い場合には2つ以上に分けて置かれるものの、だいたい下っ端の席からは手の届きにくい場所にある。偉い人の近くに置かれるけど、彼らが砂糖やミルクなんて入れるはずない。本当に必要な下っ端の近くにはおいてもらえないのだ。ただ苦手だからと言って、打ち合わせ中に手を伸ばして砂糖などとるわけにもいかない。そのためわたしは何も入れず、苦いブラックコーヒーのまま飲んでしまう。

苦いコーヒーのよさなんて全然分からない。ブラックなんてまずいし、美味しくない。でも周りと違う行動をして手間をかけるのがめんどくさいと感じるので、しぶしぶブラックのまま味わっていた。

すると、変化が起こった。今までは仕方なくミルクや砂糖なしで飲んでいたブラックコーヒーを、今ではプライベートの時間にも飲むようになった。苦手ではなくなった。もちろん今でも、ブラックコーヒーよりカフェラテとかコーヒー牛乳の甘い方が好きではある。でも苦いコーヒーを飲み続けるうちに、そのままでもゴクゴク飲めるようになった。

わたしがブラックコーヒーを飲めるようになったのは、大人になったからでも、コーヒーのうまみが分かったからでもない。周りにあわせず、自分の感情に沿って動くのがめんどくさいと感じたから、ブラックコーヒーを飲むようになった。「まあいっか」の積み重ねで、苦手なものをいつの間にか克服していた。

「周りにあわせる」ときくと自主性がなく、かっこ悪い行為のような気がする。もちろん無理してまで合わせる必要はない。ただ周りの流れに寄り添ってみるうちに、いつの間にか苦手を克服したり、できることを1つ増やすのにつながっている場合もある。いつでも個性を出そうとしなくても、たまには流れるプールに浮かびながら思わぬ発見に出会うのもいいと思う。

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