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旅行記 ヨーロッパ短期旅行第五話

私は電車のプラットフォームに向かって歩き始めた。途中駅員と思われる男にEチケットを見せプラットフォームの位置を聞くと、恐る恐る教えてくれた。あまり外国人に慣れていないのか、その姿はまるで日本の中高年の外国人に対する態度とまるで同じだった。ホームで待っていると10分程遅れて鮮やかな青色の夜行列車が滑りこんで来た。自分の列車番号と部屋番号を確認し列車に乗り込み、自分の寝台のある部屋に入った。部屋は四人部屋で、先客のイギリス人女性2人が2台ある二段ベッドのそれぞれの下段に陣取っていた。軽く挨拶をかわすと私はベッドの上段に登り、夜具を一通り取り出しいつでも寝れる状態にして本を読み始めた。列車は動きだし真っ暗な闇の中を進みだした。暫くすると鋭いノックと共にアラブ系の顔をした男が入ってきた。どうやら彼がコンダクターらしい、私は先ほどの駅での切符騒動を思いだし、急に憂鬱な気分になった。私の切符の検札の番になり切符がない理由と携帯で予約確認書を見せたが、どうやら私が切符を持っていない旨の情報は来ていないらしく、列車を降りろと言われてしまった。これではまずいと思い必死でイタリアの予約サイトを見せ、ウィーン中央駅のマネージャーには確認済みであることを必死で訴えた。コンダクターはイライラしながらボールペンをカチカチとしきりに鳴らしながらも彼の上司に連絡をとった。どうやら駅の金縁メガネの君子から連絡が来ていたらしく、なんとかそれで許可がおりた。コンダクターは次からは気をつけるようにといい、明日の朝食のオーダーを取ってくれた。このやり取りで30分かかり、旅の疲れもたたってか、読書をする元気はすっかり失ってしまった。コンダクターは隣の部屋の検札に向かっていたが、隣の部屋でも切符を巡るトラブルがあったのかドイツ系の乗客が部屋から出てきてコンダクターと言い争っていた。コンダクターは小さな背丈の男で3人に対して精一杯の正義を振りかざしていたが、頑強で背丈の高いドイツ系の3人の乗客は語気を荒らげ、大声でコンダクターを圧倒していた。結局10分ほどすると3人は部屋へ戻り、コンダクターも自分の仕事へ戻っていった。正直このコンダクターの態度も移民として他国で働いているからなのか異常に杓子定規な態度で私も少し困惑したのだが、3人のドイツ系の乗客の態度はより恐ろしい圧力を感じた。それが何によるものなのかは分からなかったが、私はコンダクターの杓子定規な態度よりそちらの方が恐ろしく感じた。
暫くすると私は寝落ちしていたようで、起きているのか夢を見ているのかも分からない状態になっていた。ここが今まだオーストリアなのか既にイタリアなのかも分からない、寝台列車の中で私は不安定な存在になっていた。すると突然部屋のドアがゆっくりと開き、丸い銀縁メガネをかけた長い髪をした中年くらいの女性が入ってきた。私はそれが現実なのなど認識すると、彼女の動きをそれとなく見ていた。下段のイギリス人に流暢な英語で挨拶すると私の反対側のベッドの上段に上がってきた。女性は私をじろりと暫く見つめて、こんばんわと言ってきた。私もこんばんわと返したが、それ以上会話を交わすこともなく、その夜はいよいよ本格的な眠りに私は入っていった。外の景色は暗黒の森と川を走りながら希に僅かな灯りがともる駅を通過しながら、文明と自然を交互に映していた。
次の日、私は目を覚ますと窓の景色は既に明るくなっていた。どうやらイタリアに既に入っているようで心なしか太陽の力がオーストリアより強く感じられた。コンダクターが朝食を部屋に運んできてくれたので私はそれにありつくことにした。チョコレートの飲み物、マフィン、チーズ、サラダとお菓子の質素なものだったが、列車での朝食に旅情を誘われた。向かいのベッドで寝ていた銀縁メガネの女性も朝食をたべ始めたようで、マフィンにナイフで器用に切れ込みを入れてチーズを挟んでいた。私と目が合うと私におはようと言ってきた。私が挨拶を返すと、「あなたは中国人ですか?」と聞いてきた。日本人ですと答えると、「宗教は?神道?それとも仏教ですか?」とさらに質問がきた。仏教はともかもく神道を知っていたのにびっくりしながら、両方信じており、両宗教を明確な区別をしないことを伝えると、「なるほど」と答えてきた。私からどこから来たのかと逆に質問すると、「イスラエルから来ました。」と返事があり、ではあなたはユダヤ人ですか?と聞くと「そうです」と目を大きく開きながら答えてきた。私がユダヤ人と話すのこれが2回目だが、このようにしっかりと話すのは初めてであった。女性は「ちょっと待ってくださいね」と言いながらカバンを漁ると一冊の本を私に見せてくれた。「トーラーです。」トーラーはユダヤ教の聖典で、旧約聖書でいえば最初のモーセ五書がおさめられている、律法そしてユダヤ人と神との契約が書かれた書物だ。私も読んだことがあったが、ヘブライ語で書かれたユダヤ教の聖典として見るのは初めてだった。恐る恐る開くとヘブライ語が隙間なく並べられ、私は自分が普段住む文化と圧倒的な距離を感じた。これを元にキリスト教が生まれ、そのキリスト教から近代化が始まったことを考えると、我々が普段暮らしている近代社会というのも随分と遠い文明の産物なのだと感じずにはいられなかった。女性は正統派ではないがユダヤ教徒らしく、他にも聖典をいくつか持っていた。女性は「あなたも何か持っていれば見せてください。」と言ってきた。わたしは論語を取り出して渡した。すると女性は先ほどの私と同じような遠い目をして学而篇の漢字の羅列を眺めていた。「これは縦から読むの?文字が意味を表すなんて信じられない。」とぶつぶつ呟いた。暫くこのような話をしながら、朝食を食べ終えると私は部屋を出て部屋の外のデッキで景色を眺めることにした。そこでは私の他に何人かの乗客が窓で目的もなくぼおっと景色を眺めていた。列車は丁度イタリアの小麦畑を走っていた。少し白んだ青空と黄金色の小麦畑が見事なコントラストを成していた。途中農夫がこちらに手を振っていたり家畜がノロノロと歩いていたりと長閑な光景が小麦畑には散りばめられていた。景色に見とれているとユダヤ人の女性も部屋から出てきた。またそこで少し話しこんでいたが、女性は以前ベネチアに住んでいたらしく、チケットの割り引き券の手に入れ方やフェリーの乗り方などを細かく教えてくれた。ベネチア意外もパリやロンドンにも住んでいたらしく、いまはテルアビブで腰を据えて暮らしているらしい。ムスリムとの血みどろの戦いにまみれた歴史を無視し私は「約束の地で暮らせてよかったですね」と無責任な言葉を吐いた。女性は「ええ本当に、あそこは私たちの契約の場所です」と言った。列車のアナウンスが鳴り始め、どうやらヴェネチアが近づいていることを知らしているようだった。英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語のアナウンスが流れ、それぞれの発音でベネチアの名が叫ばれた。列車は陸地から海を渡り始めた。アドリア海を進んでいく列車から見る景色はどこまでも美しく、またこの短い旅行も折り返し地点にもう来てしまっていることも同時に伝えていた。それは海がどこか遠い日本の景色を感じさせたからなのかもしれない。感傷的な気分に浸っていると列車はあっという間にベネチアのサンタルチアーノに到着した。同室のユダヤ人女性とは駅で別れた。最後に「あなたは建築家が向いているは」という謎めいた言葉を言って自分の旅路へ向かっていった。サンタルチアーノの駅を出るとそこはいきなりヴェネチアだった。運河沿いに建ち並ぶカトリックの教会やきらびやかな家屋はウィーンの厳めしい石造りの建物とは全く違った赴きだった。折角町に感動していたのだが到着した時間が朝の7時だった。チェックインの時間にはまだ程遠すぎる。おまけに慣れない寝台列車でぐっすりとは寝られていないためいからか疲労が蓄積されていた。私はダメ元で予約したホテルに向かうことにした。チップ目当てで群がってくるポーターを振り払いながら宿に向かう途中、朝からバールでブリオッシュをむさぼりカプチーノをすするイタリア人たちが見えた。アジアも同じだがヨーロッパも国が違えば全く違った景色が見えてくる。一般に言えば微細とも言えるその違いを大きな違いと思えれば旅行は格段に面白く思えるに違いない。
ホテルに着くとロビーに向かった。ロビーには茶色のセルフレームの眼鏡をかけ、ベージュのポロシャツを着た小綺麗な男が1人座っていた。なんとかチェックインできないかと話すと男は部屋割りを見た後、快く部屋の鍵を渡してくれた。部屋に入りシャワーを浴びると私はすぐに深い眠りに入ってしまった。

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