子安地蔵尊の地蔵堂(老ノ坂峠)と酒呑童子の首の伝承
山城国と丹波国の境界(現在の京都市と亀岡市の境界)にある老ノ坂峠(老坂)(大江の坂)には、子安地蔵尊を祀っている地蔵堂があります。
このお地蔵さん(地蔵尊)は、おなじ老ノ坂峠にある、首塚大明神にまつられた悪鬼・酒呑童子の首の祟りを鎮めるために建立されたものである、という伝承が残されています。
先日紹介した、『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』の本からの引用文のなかにも、この子安地蔵尊を祀った地蔵堂についての記述があります。
また、この下の『京都の伝説: 丹後を歩く』の本からの引用文は、先日、紹介した『大江山千丈ヶ嶽 酒呑童子由来』の本に書かれている記述を、現代語訳した文章です。この下の記述のなかにも、この子安地蔵尊を祀った地蔵堂についての記述があります。
「頃はよしと、六人の者たちは甲胄に身を固めた。頼光は酒顚童子の枕元に立って、名乗りをした後、名剣鬼切丸で胸板を突き通した。手下の鬼たちは、酒顚童子の苦しむ声に驚いて逃げ出したが、渡辺綱たちに残らず斬り殺された。酒顚童子は歯嚙みをして起き上がろうとするが、急所の傷と神酒の効き目で動くこともできず、頼光を睨みつけ、「たとえ命は尽きるとも、魂は首に留まって、宮中に飛び入り、恨みを晴らしてやる。思い知れ」と罵った。頼光がその首を打ち落としたところ、たちまち頼光の頭に食いついた。八枚重ねの兜は、神の守護する兜なので、七枚まではその歯が通ったが、頼光の体には何の障りもなかった。そして、鬼の首は火を吐きながら都に向かって空を飛んで行ったが、天皇の威勢を恐れたのか、丹波・山城国境の大江の坂に落ちた。子の頼国はその首を槍に貫き、父頼光とともに都に凱旋した。
さて、この首は七条河原に七日間さらされた後、大江の坂に葬られて首塚明神と名づけられた。そこには地蔵堂が建立され、悪鬼の崇りはやんだ。 (『酒呑童子由来』)」
(出典: 福田晃 (著), 真下厚 (著) (1994年) 「大江山の酒呑童子」, 『京都の伝説: 丹後を歩く』, 98~99ページ.)
ちなみに、そのほかの伝承では、このお地蔵さん(子安地蔵尊)が、「酒呑童子の首のような不浄なものを京の都に持ち込んではいけないので、ここ(老ノ坂峠)に置いていきなさい」というようなことを言った、という話もあります。
この子安地蔵尊の地蔵堂や、その周辺の老ノ坂峠の写真を記事に追加しました。
「これ好奇のかけらなり、となむ語り伝へたるとや。」
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■画像の出典
・子安地蔵尊(地蔵堂)と、その周辺の老ノ坂峠の写真, (筆者が2017年3月に撮影した写真です).