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ぶこつでやさしいスープカレー屋さん KIBA 第3話「角煮カレー辛さ2番」約4000字/全17話/創作大賞恋愛小説部門

「おい。タイキ。お前、人のお店でナンパするなよ」

 マスターが奥から両手にお皿を持ってやってきた。

 ナンパ。そうか。私、今、ナンパされてたのか。

 いやいや。私が誰かにナンパされるなんて。そんなことあるのか?

「マスター、ごめんごめん、半分冗談だって。なんかさぁ、心細そうな顔してたから、和ませようと思って。この子ね、春から大学生になったから、こっちで一人暮らしなんだって」

 タイキと呼ばれた男性客は顔をくしゃくしゃにして無邪気に笑った。

 半分冗談。てことは半分本気だったのか?

 マスターはタイキさんを呆れた顔で見た後、こちらにぺこりと頭を下げた。

「すみません。こいつ、俺の悪友でして。いっつもへらへらふざけてるんです。何か言われたかもしれませんが、気にしないで下さい」

 なるほど。タイキさんとマスターは友達だったのか。タイキさんがリラックスして居座っていることに私は納得した。

「いえ、あの、大丈夫です」

 私はマスターに伝える。実際、返答には困っていたものの、どことなくタイキさんは悪い人ではなさそうに思えた。

「角煮カレー、辛さ二番、ライスSです」

 マスターは気を取り直してそう言うと、二つのお皿をテーブルに置いた。

 私は息を呑み、湯気が立ち上るお皿を覗き込んだ。

 二つとも私の手の平程の広いお皿だ。一方の平皿にはライスがのっている。ファミリーレストランでライスを頼んだ時のように平らに盛り付けられている。そしてもう一方のやや深い更にはカレーが入っている。

 濃い茶色のカレーは一般的なカレーとは違いさらさらとした液体状で、まさにスープだ。そこに鮮やかなオレンジや緑、黄色、紫……といった色鮮やかな具材が入っている。にんじん、ピーマン、じゃがいも、なす、かぼちゃ。どれも大きくカットされており一口では食べ切れなさそうだ。そして豚角煮。一辺五センチ程もありそうなそれは、とても艶やかで、見るからに柔らかそうだった。

 家庭で食べていたようなカレーとはまるで違う。

 が、具材がごろごろ入ったカレーだ。これは、私が欲していたものだ。

 見た目から美味しさが伝わってくるその様に、私は無意識のうちに声にならない声を漏らしてしまった。私は上目遣いでマスターの様子を伺った。

「ごゆっくりどうぞ」

 マスターはにっこりと微笑んだ。

「あ……いただきます……」

 私が小さく呟くと、マスターはまた奥へと下がろうとした。

 が、そこでタツキさんが両手を上げてマスターを引き止めた。

「マスター、スープカレーの食べ方、教えてあげたら?」

「あぁ」

 マスターは迷わず踵を返し、もう一度私の方へと歩み寄った。

 どうやら食べ方とやらを教えてくれるようだか、私は何だか申し訳なくなってきた。注文の時にもおすすめを聞いてしまったし、あまりにも私一人が時間を取ってしまっている気がした。

「あの……何だかすみません、色々と……」

 私がそう言うとマスターはちょっと困ったように笑った。
 すると、そのまま私の横を通り過ぎてお店の入り口まで行き、ドアを開け、そこに下げられていたプレートをひっくり返した。「OPEN」が「CLOSED」に変わるのが私にわかるように大袈裟な素振りで。

「もう他のお客さんも来ませんから……」

 マスターはこちらへ向かってくる、と思いきや、またも私の横を通り過ぎた。頭に巻いていたバンダナを外して「ふぅ」と一息付き、そしてカウンターの、タイキさんの隣の隣の椅子を引き、横向きに腰掛けた。

「何も気にしなくて大丈夫」

 あ、と思った。

 わざと砕けた雰囲気にしてくれたのだと思った。店員とお客という堅い関係性のままだとあまりにも私が気を使ってしまうから。「大丈夫です」でもなく「大丈夫だよ」でもなく、「大丈夫」という言い方に優しさを感じた。私のすぐ近くに座る訳でもなく、体を完全にこちらに向けるでもない、その絶妙な距離感が心地よかった。

「……あの……食べ方……何か作法があるんですか?」

 私は思い切って質問してみた。

「いえいえ」

 マスターは優しい笑顔を見せた。

「いえいえ。自由に食べてもらって構わないんです。ただ、初めての方は食べ方に戸惑うことも多いので。えっと……まず、具材が大きいんですが、スプーンで切って食べていただいて構いません。野菜もお肉も柔らかく調理してあるので簡単に切れるはずです。もしもナイフとフォークが必要だったら言って下さい。それから、カレーとライスをどう組み合わせて食べるかなんですが」

 マスターは一度タイキさんをちらりと見る。タイキさんは上機嫌でうんうんと頷く。

「ライスをスプーンで取って、カレーに浸して食べる方が多いかな。カレーをすくってライスに掛けて食べても構わないし、カレーとライスを別々に食べても構いません。あと、ライスに添えてあるレモンですが、正直食べない方も多いですね。でも、ライスに絞るとさわやかになります。途中で味変するのもいいかもしれないですね」

 マスターは再度タイキさんを見る。タイキさんは私に向かって親指を立てた。

 私は小さく頭を下げ、スプーンを手に取った。

 何から食べよう。

 迷ったが、まずはカレーを少しだけすくってみる。

 一度息を吹きかけて冷まし、そしてゆっくりと口に入れた。

 その瞬間、幸福感が口の中一杯に広がった。

 美味しい。

「美味しい……」

 思わず口に出ていた。

 マスターをちらりと見ると、ほっとした様子だった。

 私は嬉しくなって食べ進めた。

 カレーは家庭で食べるものよりもスパイシーだ。しかし、スパイシーだとは感じるが、辛過ぎる訳ではない。また、複雑な味という訳でもない。たくさんのスパイスが入っているのがわかるが、きれいにまとまりするりと入ってくる感覚。そしてなおかつ懐かしい。初めて食べたのに、どうしてだろう。

 マスターが言った通り、野菜はどれもとても柔らかい。にんじんは野菜の甘みがたっぷり感じられる。ピーマンもなすもどうやらスープで煮煮込んだのではなく、香ばしく調理されたものを後から入れているらしい。じゃがいもは皮が付いていて、まるで家で食べていたじゃがバターのようで嬉しい。かぼちゃは今までに食べたことがないくらいにほくほくとした食感で驚いた。

 そして豚角煮。この上ない程にとろとろに煮込んであり、噛めば旨味が溢れてきて、口の中で溶けていくような感覚がした。角煮自体に味がしっかりと付けられているようで、丁寧に作られていることがわかる。メニュー表に書かれていた「店長こだわり」の文字を思い出して、納得した。

 食べ終えるのがもったいないくらいの美味しさだった。好きなものを最後に食べたい私は具材を少し残した状態で、ライスにレモンを絞って食べ、スープを味わった。そしてラストに取っておいたかぼちゃと角煮を堪能した。ライスを少なめにしていたのに十分にボリュームがあり、満腹感が体を支配した。先程まで春の夜風のせいで冷えていた体は、もうすっかり温まっていた。

 マスターはその間、タイキさんとぽつりぽつり言葉を交わしながら、こちらを気に掛けてくれていた。店員の視線を感じながら食べるなんて緊張しそうなものだが、何故だか親が見守ってくれているかのような安心感だった。

 私は「はぁ」と息を付いた。

「どうだった? 初めてのスープカレー」

 タイキさんがニヤニヤしながら尋ねてくる。

「……すごく、美味しかったです」

「よかった」

 マスターはにっこりと笑みを見せる。

「こいつのカレーは人を元気にする魔法のカレーなんだよ」

 タイキさんは自分のことのように誇らしげに言った。

 私は小さく頷いた。

「……こんなに美味しい食べ物があるなんて知りませんでした」

「スープカレーは」

 どこか空を見つめながらマスターは話し始めた。

「世界や日本の歴史の中ではまだまだ新しい食べ物かもしれません。でも、北海道開拓からの歴史の中では十分に伝統的で代表的な食文化だと思うんです。知ってもらえてよかった」

「また始まった。ごめんね、こいつ、スープカレーが大好き過ぎるんだよ」

 きらきらした目で語るマスターに、横からタイキさんが茶々を入れる。

「いえ、本当に美味しかったので……でも、初めて食べたのに何だか懐かしい感じもしたんですよね」

 マスターが声のトーンを一段上げて「本当ですか?」と言うので、タイキさんは「話が長くなるぞ」と言いたげな顔で肩をすくめた。

「地元の食材の味を舌が覚えていたのかもしれないですね。それに、うちのカレー、和風の出汁も使っているんです。だから懐かしさを感じたのかもしれないですね」

「和風の出汁が入ってたんですか。それは気付かなかったです。あと……うちのお父さんが作ってくれるカレーもいっつも具がごろごろ入っていて……実家を思い出しちゃいました」

「へぇ。お父さんが作ってくれていたんですね」

 マスターは目を見開いた。

「カレーだけは、父の担当だったんです。あ、料理素人のカレーに似ているなんて、失礼でしたね」

「いえいえ、そんなことないですよ。大きなお皿に、大きな具材。それも、スープカレーに対して北海道らしさを感じられる要素だと思うんです。一つのメニューの中に、野菜やお肉、この土地の美味しいものが山程入っていて……でも、カレーは食材と喧嘩することなく何でも受け入れてくれる。まるで懐の広い北海道みたいじゃないですか? だからこそ北海道へ訪れた人にも、北海道に住んでいる人にも、愛されるんだと思います」

 得意気な笑みを浮かべてマスターが私を見る。そんなマスターを見ていると私もどんどん嬉しくなってきた。

「本当はもっともっと多くの方に僕のスープカレーを食べてもらいたいんだけど……」

 マスターはまた、まっすぐな瞳でどこかを見つめていた。

 頭のうしろでポニーテールならぬ犬のしっぽがふわふわ揺れていた。きっと彼が本当に犬だったなら、しっぽをぶんぶんと振っていることだろう。

 私は満腹感でぼーっとしながら、彼のことを見ていた。

 好きなものを、好きだと言う。

 そんな彼が、とてつもなく眩しかった。
 
「……いいですね」

 私はぼんやりした頭で呟いた。

「ありがとうございます。すみません。つい語り過ぎちゃいました」

「いえ……本当にスープカレーがお好きなんだなって、伝わってきました。羨ましいです」

「え……羨ましい?」

 聞き返しながら、マスターは不思議そうに私の顔を見た。










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