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130. なぜ、親や指導者が必要になるのか

今日はいきなり結論から話します。僕は、「一人で上達を目指す」ことは必ずどこかのタイミングで成長の限界点が訪れると思っています。今回のnoteでは、「そもそもなぜコーチングや指導者、親が必要になるのか」を、改めて考えていきたいと思います。

個人のアイデアの限界点

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そもそもなぜこのnoteを書くことになったかというと、日頃から自分が考えていた疑問にぴったりと当てはまるセオリーを、たまたま大学の授業で習ったからです。僕が以前から「一人で上達を目指すことには限界があるのではないか」と考えていた理由はとっても単純で、そのうち自分で出せるアイデアは尽きてしまうと思っていたからです。

どれだけクリエイティブな思考で溢れていたとしても、自分自身の力でたどり着ける情報には限りがあります。インターネットやスマートフォン、新たなソーシャルメディアプラットフォームが普及したことで、個人がアクセスできる情報数自体は漠然に増えたかと思いますが、そもそも自分を手助けしてくれる「検索ワード」を知らなければ、自分が永遠に触れることのできないインフォメーションが必ず出てきます。

自分が知ろうとするものは、仮にそれがどれだけ思い悩んだ末に思いついたアイデアであっても、結局自分の手の届くところに初めからあったものであり、それより先のまだ見ぬ景色を知るためには、自分以外の誰かからの助言が必要になる、と僕は思っています。「そういう考えがあったのか」とか「それは全く思いつきもしなかった」という新たな発見は、他人と関わることで生まれてくるものではないしょうか。

そんなことを考えていた中で、大学の授業中に出会った言葉が"Zone of Proximal Development" というものでした。まずはこの言葉について説明していきたいと思います。

Zone of Proximal Development (発達の最近接領域)とは

こちらのZone of Proximal Development (以下ZPD)とは、ロシアの心理学者であるLev Vygotsky(レフ・ヴィゴツキー/1896-1934)によって提唱された理論で、日本語では「発達の最近接領域」と言われたりします。ヴィゴツキーはこの言葉を以下のように説明しています。

The zone of proximal development is: "The distance between the actual development level as determined by independent problem-solving and the level of potential development as determined through problem-solving under adult guidance or in collaboration with more capable peers." (Vygotsky, 1935)

発達の最近接領域とは: 独立した(個人による)問題解決によって決定された実際の発達レベルと、成人の指導の下あるいはより有能な仲間と協力して問題解決することによって決定される、潜在的発達レベルの距離

つまり、わかりやすくまとめると、「発達の最近接領域」とは、一人ではできないけど、周りの助けがあればできる物事の領域のことです。元々この言葉は、子どもの発達や教育に関して使われている言葉です。

それを簡単に表した図がこちらです。(https://www.doodlemaths.com/zone-of-proximal-development/)

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内側の緑の円:自分で出来ること
真ん中のオレンジの円:誰かの助けがあればできること
外側の青い円:自分ではできないこと

自分一人で出来ることと、自分一人ではできないことの中間にある、「誰かの助けがあればできること」こそが、今回のテーマであるZone of Proximal Development (発達の最近接領域)ということです。

親や指導者の役割

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これを踏まえたうえで考えると、親や指導者の役割が今までよりもはっきり見えてくると思います。僕が今思いつくことで言うと、

1. 今、子どもや選手が一人で出来ることを見極める
2. 今、子どもや選手が一人で出来ないことを見極める
3. 一人で出来ないことを、自分がどんな協力することで出来るようになるか考える

などが挙げられるでしょうか。

つまり、子どもや面倒を見ている選手の成長を望むのであれば、彼ら彼女ら一人一人にとって、どこまでが緑の円でどこからが青い円なのかを、しっかりと親や指導者が見極める必要があるということです。そしてオレンジの円の大きさを少しずつでも広げていくことが、子供の成長につながる(今までできなかったことが出来るようになる)ということだと僕は思います。

ここでいう、誰かの助けがあればできることの「助け」の形は、その分野やレベル、コンテキストによって変わってくるものだと思うので、「明確にこれをやればいい」というものが存在しているわけではありません。

ここからは僕の持論になりますが、どのジャンルであれ、成長を促す(ZPDを広げる)ために必要なことは、「観察と対話」ではないかと思います。先ほども述べた通り、今子どもや選手がどの位置にいるのか、そしてどんなアドバイスが必要になるのかを見極めるには、しっかりと彼らを観察する必要があります。そして、その上で、自分が彼らに協力をする方法をコミュニケーションを取りながら決定していき、臨機応変に内容をレベルアップもしくはレベルダウンしていく。こういったアクションが、「何かを教える者」としては大切になるかと思っています。

自分の”領域”を広げてくれるものは何か考える

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今までは、教える側をメインにお話してきましたが、ここからは当事者(こどもや選手側)に焦点をあてて考えていきたいと思います。

僕は、自分の領域を正しく広げてくれる人を見つけることは、上達を目指す側にとって何よりも大切なことだと思っています。幼少期の年代では、自分でそういった人々を見つけることはなかなか難しいかもしれませんが、ある程度年齢を重ねたら、自分自身で、ZPDを広げてくれそうな人を探す必要が出てきます。これは人によってケースは違うと思いますが、例えば小さい頃からずっと自分を見てくれているコーチをこの先も信頼し続けるのもありだし、例えば毎年自分を見てくれる指導者を変えるなど、様々な方法があると思っています。

僕の場合で言うと、スケーティングに関しては自分の師匠と呼べる方が二人いて(フィギュアスケーティングコーチの道上留美子先生、そしてアイスホッケーコーチの金入清高さんという方です)、この方々に指導をし続けていただけたからこそ、現在のレベルでもスケーティングに自信を持つことが出来ています。僕は今後も、このお二方に教わり続けたいと考えています。

一方で、例えばフィジカルトレーニングやスキル練習などにおいては、時期や出会いの形によって新たにコーチングをしてもらう人を付ける、という形を取ることも多いです。昨年の夏は、素晴らしいフィジカルコーチに新たに出会うことが出来ました。

自分の指導者を変えることで、自分の弱点や今まで指摘されることのなかった点を教えてもらえたり、逆に今まで他のコーチに言われていたこととリンクする内容を言ってもらえる等、「複数の客観的視点」を持つことが出来ると思っています。だから僕は、実現する前に自分に合う合わないを考えるのではなく、まずは新しい人たちに触れてみる(トライしてみる)ということを積極的に行っています。その上で、「この人に教えてもらおう」「この人はちょっとパスかな」と自分の中で判断をしていけばいいと思っています。

ちなみに、「この人はパス(自分に合わない)」と感じたときは、自分が悪いわけでも、コーチが悪いわけでもないと思っています。単純に、目指すゴールへのアプローチを考えたときに、他人が交わって何かを成し遂げようとするわけですから、すべてが最初からかみ合うことはなかなかないと思います。信条やポリシー、理想や理論などは人それぞれ違うものなので、「良い悪い」で判断するのではなく、「自分にフィットするか、自分のアイデアを広げてくれるか」の軸で考えるというのも一つの手でしょう。

ちなみに僕の場合、自分のことを受け入れてくれる人も否定してくれる人もどちらも大好きです。特に、当たり前にように「優希何してんだ」と僕が間違った行動をしたら咎めてくれたり、厳しい目線や愛のある批判的視点を僕にストレートでぶつけてくる人に出会ったときは、「おっ、これはチャンスかも」と思ったりします。自分の自己肯定感を高めてくれる人だけでなく、自分のことをガッツリ叱ってくれる人を持つというのも、大切なポイントでしょう。

また、コーチやメンターを付けることに関して、選手はしっかりと投資していく(お金や時間を払う)べきだと思います。そういったセッションほど、自分の発見できるものの数や質は高くなり、成長度合いは大きくなると僕は信じています。

ちなみに、今回のトークテーマにおいて、僕の思う特異な例としては、元陸上競技選手で400mハードル層の日本記録保持者の為末大さんが挙げられると思います。為末さんは、現役時代のほとんどをコーチを付けずに自分自身が試行錯誤を繰り返しながらトレーニングを続けていました。(凄すぎる)

僕がこのZPD理論を大学で聞いた時に真っ先に思ったことが、「為末さんは緑色の円(自分で出来ること)の幅が世界レベルで見ても圧倒的に大きい、もしくは、オレンジ色のZone of Proximal development(他人の力が必要とされるゾーン)にとても高次元な客観的視点を持って、自らその場所にアクセスする能力を身に着けられているのかなあ」という事でした。いつかお話を聞いてみたいです。

メンターは別に「人」でなくてもいい

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今までは指導者や親など、「人」を通してZPDを広げる話をしてきましたが、正直僕としては、常に相手が「人」である必要はないかなと思っています。僕の場合で言うと、自分のメンターの形として「本」というものがあります。言ってしまえば、本を読むことで筆者の考えに一瞬で触れる(新たなアイデアに出会う)ことが出来るのでとっても便利なツールだと思っています。別に本でなくても、アニメなり街の景色なりスポーツなり、とにかく自分が何らかのインスピレーションを受けそうなものに自らタッチしに行くというのは一つのいいアイデアだと思っています。新しい習い事をしてみるとか、ふと目に入ったお店でご飯を食べるとか、何でもよいと思うのですが、とにかく「非日常」を能動的に取り入れることで新たな発見が増えると信じています。

ただ、ここでも結局、「自分の手に取る本」や「自分が見にいこうとしている景色」自体にも、どこかで限界は来てしまうので、何とか他者目線を確保していく(おすすめの本を人に聞くことで自分が読みそうもない分野の本を手に取るとか)ことは重要になると思います。つまり、「人」と「物」を上手い具合にローテーションさせていければ良いということです。

最後に

大変長くなってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。途中からは(というかほぼ前半からか)、気づいたら自分の考えをひたすらに書いていました。この中には僕が勝手に思いついたことが多く書かれているので、全てが論理的に立証されているわけではないのですが、何か先人が見つけてくれた理論に対して己の考えを当てはめて自分なりに展開していくことは僕自身がよくやっていることなので多めに見ていただけたら幸いです。(ちなみにこれ、とっても楽しいですよ!)

成長と向き合うとき、自分にはどんな指導者が必要なのか。

この選手にはどんな指導が必要なのか。

そういったことを考えている選手の皆さんや指導者の皆さん、そして子を持つ親御さんたちにとって、少しでもこのnoteがヒントの一つとなれば幸いです。

最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。

三浦優希

p.s
僕のインスタグラムには今まで読んだ本をまとめた"books" という場所(ストーリまとめのところ)があります。僕の本棚のようなものなので、もし興味のある方は覗いてみてくださいね。

(最後の最後で文字化けすなっ!)

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