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チーム・学び場・Orchestration

0. はじめに

オーケストラに関わる学生向けの『学術×芸術 Summer Camp Fukui 2019』の運営を無事に終えた。
(運営・講師の方・参加者の皆はもちろん、多くの方の応援のおかげで素晴らしい時間を過ごすことができました。本当にありがとうございました。)

"More social leaders from orchestras"がビジョンのこの合宿自体が、キャンパーが自分のオケに学びを持ち帰り、行動することに重きを置いた合宿であった。そこで自分が今回、学び場の設計担当として立ち上げに携わったこのキャンプ自体で、フライング的にどういう意図で場作りに挑戦し、結果がどうなったのか、振り返りとともに記録する。

というのも、今回の場作りにおいては、これまでスタディツアーやゼミなどの運営やコミュマネ、事業立案やハッカソンでのプロマネなど、"協働する集団"でいかに各々が豊かな学びを得るか、いかに結果の出るチームを作るか、の経験で大事だと感じたことを元に、かなり再現性を意識して設計した。
それらを改めて言語化することで、共通項を整理し、フィードバックを受けながらさらに洗練させたり応用の場を発見できたりするのでは、と思い、内部のキャンパーや運営向けに書き始めたものをnoteでも投稿するに至る。

もちろん、オーケストラも"協働する集団"である。
ビジネスも往々にして"協働する集団"である。
そしてまた、社会そのものも"協働する集団"であり、故に学校での学びの多くも、私という個人の幸せと、"協働する集団"である社会との良好な関係を志向していると、個人的には認識している(≒シティズンシップ教育)。

1. 意識したこと

①心理安全 ②自分ごと ③Desire

1-1みんながとてもなかよくなること =どれだけ早く、キャンパーが自分を安心してさらけ出せるようになるか=心理安全の確保

どこまでアホな雑談がたくさん生まれるかとか、温泉で恋話できるかとか、かなり大事だと思っていて、まずは「ほんまに楽しかった!」と言って終われて、その先に結果として豊かな学びが付いてきているのだろうと。

学びの面からだと、他人の視点の獲得を通じた、自分の価値観の破壊と再構築、といった話の周辺に濃い学びがあるなという実感が経験則的にあり、それは[テーゼ-アンチテーゼ-アウフヘーベン]みたいな話に近いのではと思っている。
ただ、自分の想い(テーゼ)を発信し、異なる意見(アンチテーゼ)をもらうのは痛みを伴うし、バカにされるのは怖い。
アンチテーゼを他人に投げかけるのは、基本人間関係を悪化させるリスクしかない。
それでもなお、信頼をもとに相手に働きかけてしまうような状況ができるか。


1-2 徹底的に自分ごとに引き寄せること。

この合宿がそもそも、「あなたにとって理想のオーケストラとは?」「そのためにあなたはオケの中でどんな奏者でありたいか」と、音楽のことを尋ねつつ、実はその先にある「あなたにとって理想のチームとは」「その中でどんな一員でありたい?」という自分自身や組織・社会のことにつながっている、という仕組みになっていた。だから、合宿中どのセッションの間も、常に自分自身のことを考えられるような環境を作ることが大事であった。

どれだけ立派な先生の充実したお話を聴いても、どれだけ何かの対象について熱く語り合っても、「私は〜だと思いました!(でも私の生活には直接関係ないです、おやすみなさい!ちゃんちゃん。)」となることは存外に多いし、勿体無い。一方、自分との関係が見え始めると、一気に楽しくなったり、盛り上がり始めたりする世界がある。
知識やモノの見方が増える以上にさらに、自分の価値観の破壊と再構築(からの行動の変容)の端緒とできるか。

1-3ほんとうの声(各人の”Desire=強く望むこと”)にたどり着くこと

自分ごとに引き寄せ続けると、「〜であるべき」といった規範から出る言葉ではなく、「〜でありたい」と望む気持ちからくる言葉も出るようになる。心理安全が担保されていれば、その欲望がたとえ綺麗じゃなくても、ある程度までは相手に言えるようになり、参加者同士で創発が生まれ出す。

その状態に至るまでの時間、「口ではそう言っているけど、ぶっちゃけこう思ってるんちゃう?」と、アンチテーゼを率先して投げる役割を、自分が引き受けてみた。いかに早い段階から、強度の高い言葉が飛び交う環境をみんなで作っていけるか。もちろん決め打ちしないように、当たりが強くならないように注意しながら。

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2. 設計したこと


2-1 Slackの利用
初対面の参加者同士が互いに深入りして話ができるようになるのに、4日間はあまりに短いと思ったので、事前にコミュニケーションできる場所があることは必須だと考えた。

2-1-1. ゆるめの自己紹介と、硬めの志望動機。
ゆるい自己紹介だけだと、その人がなぜこの場に参加したのかや、自分のオケに対する想いとか関わり方がよく分からず、深いコミュニケーションをとるのに時間がかかる。志望動機などフォーマルな自己紹介だけだと、何か想いの強さや”すごさ”のようなもので序列ができて、萎縮したり背伸びしたりする。
結果、どちらもオープンなスラックチャンネルで事前に共有してもらった。

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(↑ちなみにこの「ゆるめの自己紹介タグ付け型」は、G1Collegeで出会い、以後参考にさせて頂いている)

2-1-2事前課題とコメント返し
事前課題は、参加者同士の共通言語作りの役割と、はじめに自分がどう考えていたのかを記録して、後で比べる材料にしてもらう意図で設計。
また事前課題も、スラックのオープンチャンネルで提出してもらった。事前にお互いにコメントし合えれば、アイスブレイクにもなり、何か新しい発見の機会にもなるかと思ったが、まだ場が温まっておらず、心理安全もなさそうだったので、まずはメンターという立場を利用し、一人一人に問いを持ち帰ってもらえるようなコメントを返した。

2-2. 夜のリフレクション
2-2-1振り返りシート
質問項目は、「自分が誇りに思った行動」「改善できたと思う行動」「なぜその行動をしたのか」「その時どんな気持ちだったか」「以上から、自分をどんなキャラクターだと思ったか」。そして「自分にとっての理想のオケ」「それに近づくために明日自分が何をするか」。

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(↑質問項目はリクルートのインターンを、Good-Bad-Nextは先輩の教えを参考にさせていただいた)

意識したことは、
・全ての質問を、自分に引きつけて考えられるようにした。また、感想ベースではなく、行動ベースでの振り返りにし、理想論ではなく、地に足のついた自分との折り合いのつけ方、挑戦に気持ちが向くように設計した。

・改善点を上げるだけでなく、良かったところも振り返る、Good-Bad-Next方式を取り入れた。良かったところを客観的に見ることも自己理解で大事なことなのと、良かった行動も言語化しておいたほうが、たまたまできてしまったことではなく、再現性を持たせやすくなると考えた。

・二日目以降も、シートで同じ問いを繰り返すことで、自分の変化を見えやすくした。


2-2-2.一時間のリフレクの形式。
ここでも心理安全の確保がキーだと思い、4-5人+メンターという少人数固定グループをキャンプ前に発表し、リフレクだけでなく、1日目の夜ご飯や、最終発表もそのメンバーで行うようにした。

形式は、一人10分強時間を持ち、グループ内で振り返りシートを中心に発表し、他のメンバーが自由にコメントする形。自分から見た自分の認識や行動と、他人から見た自分での違いが出た時に、共有しやすくなるよう意識した。

2日目は、1日目深夜の運営振り返りを反映して、形式を変更。各班メンターとのマンツーマンでの振り返りと、残りのチームメイトは最終発表について相談を始める、という形式にした。

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2-3. 翻訳セッション
1日目深夜の運営振り返りでもう一つ、自分ごとにするにはまだ消化不良を起こしているのでは、と話が上がる。ゲストである浦久さんの講義は「何かすごい話をされた」という雰囲気のまま終わり、芸術監督の木許さんのオケの練習も、普通の練習を受けている感じになっていた。
そこで昨日の第一回演奏練習を例に、その指揮者がどういう意図を持って場作りや学び場を作っていたのかを、勝手に運営陣の学生が解釈して対談する、という橋渡し企画を即席で作ることになった。

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(↑表は左列から、実際に起きたこと→抽象化(翻訳)→それを自分に使える形に落とすこと、の3つを、マトリックスを作り整理)

“具体と抽象の行き来”と呼ばれるが、その能力は「セッションの内容を(抽象)、自分のことや自分のオケのこと(具体)に引きつけてね!意識して!」と喧伝されることによってではなく、その行き来の具体例をひたすら知識や経験として溜め込んでいくことで、できるようになっていくものだと感じた。

2-4その他、全般的な時間について
1日目は休憩時間に色んな人に声をかけ、緊張をほぐしつつ、参加者の雰囲気を掴む。
2日目の練習からの帰り際、みんなの気持ちが張っているような雰囲気を感じ、「夜、手持ち花火しませんか」とボスに提案して、花火を購入。結果的に、メリハリが付いて良かった。

3 振り返り


3-1 Slackの利用
Good: やはり自由なコミュニケーションが生まれることで、早い段階でお互いに距離を縮めやすい環境ができたように思う。
みんながどんなことを考えているのかが事前にある程度わかると、当日顔と名前が一致するのも早くなり、またお互いに話したい話題をある程度持った状態で会場に行ける。また合宿中にも、各々の提出物や自己紹介を読み直せるのが、良いコミュニケーションの媒介になっていた。

Bad: 事前課題については、運営が呼びかけをしても、コメントのやり取りは生まれていなかった。流石にいきなり初対面の人にコメントするのはハードルが高かった。また、slackというツールに慣れていなくて、返し方がよくわからないという話もあった。

Next: 一期生が事前オンラインコミュニケーションの2ndペンギンになること。あるいは2ndペンギンの背中を押す役割を誰かが担うこと。


3-2. 夜のリフレクション
Good: 少数グループだったので、日を重ねるごとに、最初言えなかったことなども言えるようになってきた。深夜まで自然に延長戦ができるような場があることはかなり大事だと思った。

Bad: 1日目のリフレクション前の自分のガイダンスが、何をさせようとしているのか全然伝えられていなかった。「アンチテーゼを投げ合う場所」「自分の目標の解像度を上げていく場所」という認識ができず、井戸端会議のようにゆるっとふわっと終わってしまった。

Next: 具体的なイメージを運営でまず持ち、それを伝え、その上でその場に応じた自由な拡散に皆で乗ること。


3-3. 翻訳セッション
Good: いいタイミングで、これまでの内容を消化しつつ、これからの学び方を参考にできる、良い時間となった。参加者からも運営からも、一気に分かりやすくなったと、高い評価を頂けたアクティビティとなった。

Bad: もうちょっと聴いている側を巻き込みながら、一緒に謎解きしていくような感じにできたはず。場の反応が予想と違った時の自分の即興力が低かった。

Next: 今回はたまたま夜の運営の振り返りで消化不良に気づき、翌日朝の時間に突貫プログラムを差し込むことができたが、偶然の産物でもある。 「どれくらいプログラムの内容が腹落ちしているのか」を確認する場を意識的に作っておき、もし参加者との間にギャップがあれば、咀嚼できるようなバッファを設けておく。

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4. 参加者目線からのフィードバック抜粋

・カナダ人の参加者から、1日目の夜に、「海外のメンターは、困っているキャンパーがいたら普通もっと気にする」と言われ、言語の壁以上の心の壁を自分で作っていたことを痛感し、深く反省した。

・「二日目のリフレクションを、全体フィードバックから個人フィードバックに切り替えた際、諦められたな、というような感じを受けてしまった。自分たちのグループで話し合う時間のチャンスをもう一度欲しかった。」とのコメントを頂く。自分たちの決定が、どう捉えられるかへの配慮に気をつけたい。

・「オープンに鋭い疑問をぶつけつつ、それを前向きに捉えさせてくれるメンターの存在も大きかった。欲を言えば、もっとアンチテーゼが渦巻くような場であったならば更に深い関係づくりができたのではないか。あえて反対意見を述べるような場を作るなど?」

・「(良かったことは) メンターさんがいてくれたこと。翻訳セッションしかり、グループワークしかり、教えすぎず、けれど気づくきっかけ、自分たちで考えるきっかけ、他の人の意見も大切にするきっかけを絶妙なバランスで引き出してもらえた気がする。同時に、自分たちがしっかり意識していないと、学びにおいてメンターさんに頼りきりになる危険性が十分あるとも感じた。」

5. まとめに代えて

客観的な文章が続いたが、そうして皆で作り上げた合宿は、自分にとってエモさの極みだった。
普段の学び場が、脳で考える”意味”とか”価値”とかを人と交換し続けて成り立つ一方、この場は始まってしまえば「音を人と合わせる」というprimitiveな営みで進んでいくからこそ、人と人が協働する、という本質の多くに触れやすい場所だったのではないかと終わってから感じた。

以下は直後に書いた自分の感想の抜粋であり、この合宿のハイライトである。

花火とオーケストラの違いは何か。三日目の三国花火大会を見てから、ずっと考えていた。

花火は県外からも人が波となって会場に集っていく。オケの客席は、接待でチケットをもらった人も来ていて、長期的にも観客は減っていくとされている。
花火はその美しさで、赤ちゃんからお年寄りまでを魅了する。オケは、時として、その美しさを理解するのに教養が必要だと壁をはる。
花火は消えた後も、次打ち上がるまでを今か今かと皆が待ち望む。オケに旋律はあれど、ここまでの次を待ち望む気持ちをもたらすことは少ない。また時として人は寝る。

結局権威とか意味とかで難しくして、純粋な美しさにおいてオケは花火に完敗ではないかと、そんなことを思ってしまった。

だが、四日目の最終日、ああそういうことかと分かった。

アクティビティの中で、皆がホールに散らばって好きなように弾き、そして我慢できなくなるまで中心に近づいていく、というものがあった(「互いに無関心な”自由”の行使」)。そして最後に、言葉を使わずにハーモニーを生み出すよう各自作戦を練ってくださいと(「創発と調和」)。
その時、予定調和でないハーモニーが生まれた瞬間に、その音があまりに綺麗で、肌がゾワっとするような感覚を覚えた。
最終日にしてAmasiaの皆は、そんな瞬間を、何度も生み出した。


つまりオケの花火との違いは、「人と人が何かをする」というところにあった。
人間はどうしようもなく面倒くさく、基本分かり合えない。菅と弦は対立する。目指す理想のオケは各々違う。でもそんな人間同士だからこそ、人と人がハモった時は本当に奇跡的で、美しいのだ。
それは風景やモノがどれだけ美しくても、重ならない次元にある特別な美しさだと感じ、涙が溢れた。
いつまでも「人間は美しい」と、ロマンを語るわけにはいかなくなっていくけれど、「それでもなお…!」と、人が生きる意味や人間そのものに対する希望、安堵から出た涙だったのかもしれない。
とにかくそれは、この先一生忘れないだろうなと確信を持てる、貴重な経験だった。

思えば八年前の東京合宿時代から、先生のいない学び場で、皆とウンウン悩んでワイワイ議論するのが好きだった。

心震える瞬間には、いつも自分ではない誰かが関わっていた。

その場にいる人のおかげで、別の人が自身の想像をはるかに超えて遠くまで跳べること。そんなオケのような場を、再現性を持って作り続ける技術を磨いていきたい。
この文章もあくまで叩き台として、経験と議論を通した推敲を重ねていければ本望である。


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