紛争 それぞれの立場で何を思う
最近、ニュースをみるのがまた嫌になってきた。
ここ1年ほどテレビなし、ニュースダイエットはしていたけれど・・
これだけいろいろ世界的に緊迫した状況なので、ニュースを見るようになっていた。
知ったところでどうもできない情報が多い。
けれど、いろいろなことを考えさせられてしまう。
会議室と現場の乖離
普段の仕事でもよくあることだが、マネージャーや幹部は現場経験がない人が多く会議室で指示だけを出し、現場はその指示に従ってお客様対応したり作業をしたり。
今起こっている紛争も考えてみると同じことではないか?
大統領は会議室からWeb会議か何か、オンライン経由でモニター越しに考えたり、指示をするだけ。
現場は遠く離れた地で、その指示に従い機械のように作業をする。それが、命をかけて人と人が争うことになっているだけの違い。
会社なら上司や幹部の悪口を言えばいいが、国レベルの争いの中での、会議室と現場の乖離は凄まじいものになる。
現場にいけば、個人の感情や思いを介入する余地はあるのだろうか?
現場判断で人を助けたり、人としての愛情を出すことがその場にいてできるのだろうか?
会議室にいる大統領は、遠く離れた現場の空気や雰囲気、緊張感などを一度も見ることなく、ひとりの人間としての判断ができるのだろうか?
VRグラスをかけて、PS5のリアリティの高いFPSをやっているのと変わらない感覚なのではないか?
会議室と現場の乖離は凄まじい。
群衆心理に支配される
ひとは集団の中にはいると「群集心理」に支配されるという。
昨年に読んだギュスターヴ・ル・ボンの本の内容が頭をよぎった。
”群衆は本能的な人間、野蛮人”
どんなに優れた考えを持った人でも、群衆という集団心理に支配される。
戦場で戦う人々は間違いなくその群集心理になるのだと思う。
より本能的で野蛮な人間になる。
あたかもひとつの人格を帯びた集団が力を合わせて戦い、仲間を守り、攻撃する。
リーダーである大統領は、その群集心理をコントロールして士気を高めるのが仕事なのだろう。
断言と反復と感染。これらを繰り返し、群集心理の士気を高める。
大きく具体的な幻想をいだくことも大切なこと。
それが平和な世界であればいいけれど、ディストピアのような破滅的思考やファシズムの利己的思考で描く幻想は悲しい。
一人の人間はせいぜい100年も生きない。幼稚で未熟な思考ではなく、謙虚で徳のある人格者をリーダーにするべきだ。
選ぶ方も責任はあるだろうけど、その本人の自覚はどの程度なのか。
惨めで悲しい人生なのだろう。
ソーシャルメディアの中で世界が群衆心理に飲み込まれる
SNSで大統領が動画を配信したり、他国の国会で演説をしたり、
さまざまなメディアを最大に活用することで世界中に情報が感染する。
フィジカルとバーチャルの情報世界の中で、自分の思考はどちらの影響を受けているのかをしっかりと自我を保つことが大切だと思う。
刺激の強い情報を入れすぎるのはよくない。
リアルに起こっていることを現場で体験するならまだしも、断片的で歪曲した情報ばかりの中で判断することはバイアスのかかった人格になってしまうんだと思う。
そんなことを考えていると、外ではヘリコプターの轟音が聞こえてきた。
世界は繋がっているけれど、会議室と現場の乖離はどんどん広がるばかりのような気がする。
記事執筆のための、いろいろな本の購入費用として活用させていただきます!