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職人と作家の違い

・・・というのは、良く言われますね。

このnoteに何度も書いている話題ですが、今回は普段よりも具体的に書いてみます。

若い人たちが、職人系でやりたいのか、作家系でやりたいのかで、弟子入りの意味も変わって来ますので、その辺りも書いてみました。

* * * * * * * * 

・・・工芸系の世界において、工芸品が高度になると芸術品になる、という考えは間違っていますが、それと同じく、職人が創作的に進化したら作家になるなんて事もありません。

両者の違いは単に

・仕事の特性の違い
・営業スタイルの違い

であって、どちらが社会的に上とか下とかはありません。その人の資質と才能に合った、やりやすい方向に進めば良いというだけの事です。

また、職人が作家的に審美的な面で創作的な事を要求される事もありますし、作家が職人的手技の面が強い注文を受ける事もありますので、その両者をキレイに真っ二つに切って分ける事は出来ないものです。

しかし、工芸や創作のプロの現場に30年以上おります体験から(独立してからは29年目・2023年5月時)「根本的な違いがある」と最近は思います。

私は、職人と作家は、

・職人=“労働”に対価を請求出来る

・作家=“活動”に対価が生まれにくい

という違いがあると考えております。

職人は基本的に

【発注する側と、請け負う側の両者の間に共通認識のある価値観を、技術単位で販売する=明快な正解がある】

わけですから、加工自体に対価を請求出来ます。
(相手が払う払わないは別として)

もちろん、その技術のなかに創作性がありますが「価値観と審美性」という曖昧なところがあまり無く「仕事の良し悪しがキチンと計量化されやすい」特徴があります。

作家は

【審美性や価値観を販売する=“これが正解”というものが無い】

わけですから、どんなに貴重な材料を使い、何年もかけて創作的に練り込み、技術的に手を尽くしても、それを受け止めてくれる人がいなければ、更に社会に受け入れられなければ経済価値は「無い」のです。

ですから、それは「活動」であって「労働」ではありません。労働には社会的な価値があり対価が発生しますが「創作活動」は「経済的に労働未満」なのです。

ゆえに「活動量や、仕事の良し悪しが計量化されにくい」わけです。

だからと言って、

作家は仕事を計量化されにくいゆえに決まった評価=対価を受けにくい→その分高い値段を付けても許される、という事はありません。まして、ごく一部の幸運な人以外は大きく儲けられるという事はありません。作家の評価は水物です。

現代では人気の工芸作家であっても昭和や平成のバブルまでの時代と違い、青天井で価格を付けられるようなものではないのです。

また、高額で販売されていたとしても、それは販売側が付けた価格で作者が付けたわけではない事が殆どです。そのうち作家が手に出来るのは、ほんの一部です・・・

ですから、作家として生活する人たちにとって経済は「労働対価」ではなく「作品が売れるか売れないかというところにある」わけです。社会的に認知され、安定して売れている人以外は、非常に脆弱な経済基盤の上にいる事になります。ですので作家の心の奥には 自分の活動=お金になるとは限らない、という諦めのようなものがあります。

職人の方は、現状、斜陽の伝統工芸分野であっても過去の景気の良い時代を過ごした世代で、例えば和装制作系の工房で修行した人なら、ブラックな職場環境であっても、丁稚期間が終わり職人として工房で働くようになれば、それなりのお給料をもらえたし、独立したらどうにか生活が出来た、時代が良く本人に技術と商才がそれなりにあれば、かなり儲かった、という経験がベースにあるので「労働=対価が必ず発生する」(失敗が無い限り)という感覚が根本にある人が多いようです。

「作家」が流通・販売側の思惑で、大量生産された時代もありました。例えば和装の世界で、現実的には「模様師」という着物や帯の文様を染める職人が、どこかの工芸団体の会員だからと作家として紹介されるわけです。その方がデパートなどで売出しやすいという理由からです。

もちろん「模様師」でも、問屋からの注文以外にオリジナル作品をつくる人はおります。そして、工芸団体への出品作に人気が出れば、その作風のものに注文が付きますから、自分の創作性が発揮された作品が売れている事にもなりますが、基本的には「労働→対価を得る」という仕組みの中にいるわけです。

しかし「創作者として自作を売って生きて行く」となると、そういう仕組との関わりが弱くなるか、一切関係無くなります。

そもそも、自ら「新進気鋭の友禅作家☆爆誕!」と叫んで個展をしたとしても、一般社会では誰も自分の事を知りませんし、作品も欲しがっていないわけです。来場してくれるのは友達ぐらいですし、着物や帯、その他高額作品を購入してくれるようなお客さまはおりません。

ようするに世の中から必要とされていない=「自分の活動→収入にならない」状況がスタートラインになっているわけですね。それが厳密に言えば作家です

だから、どこかの有名工芸団体の正会員になったり、有名な作家のところで修行したという「社会が認める認定」が欲しくなるわけです。商売上、それがあった方が有利だからです。

知名度があり売れている作家の弟子になり、その師匠が弟子が独立してからのサポートもしてくれるなら、デビュー時から、いや、それ以前に修行中から人々の知る存在にはなりますが、加工職人として「労働→対価を得る」という事よりは「作品を気に入ってそれなりの金額で購入してくれる人が出て、初めて作者の経済が動き出す」という事が基本です。

もちろん、人に頼まれもしないのに作品を作り発表し値段をつけて売るのが基本の作家であっても、作品に人気が出れば業者からその作品への注文がありますし、その作風のなかに有用な技術があれば、加工職人的な注文も発生して来るのは当然です。(その注文を受ける、受けないは作家の考えによる)

そこでは「労働→対価」というような仕組みになりますから、作家でもそのような仕事も取って経営を安定させるように考えるのは当然です。

そういう事情で上に書いたように「職人と作家でキレイに真っ二つに割る事は出来ない」という事になるのです。

しかし「職人」と「作家」では、起点・・根源は違うわけですね。

(繰り返しますが、どちらが上という事はありません)

当工房・・・フォリア工房では弟子を募集しておりますが、それは募集要項に書いてある通り「作家として自分の創作を社会に投げかけ、それで生きる方法」を教えるという事であり「手に職付けてあげるため」ではありません。

そもそも、2022年の今、東京で手描き友禅職人になったとしても、職人として仕事をくれる業者はほぼ無いでしょう。現状「絶望的に食えない」のです。分野によりますが「和装関係の加工職人」なら、腕が良ければそれなりに仕事はあります。しかし、代々やっているところや、上手い人が沢山おりますから、新規参入の新人が食えるほどの仕事は回って来ないでしょう。

ですから、そもそも手に職をつければ・・・という事がほぼ不可能な分野なのです。

当工房は基本的に「作品」の販売で成り立っておりますから、その仕事の性質上「労働=対価」という風に明快に「職業」と言えないところがあります。普段、安定した受注仕事があるわけではないですし、まして私は学歴も所属も修行も受賞歴も知名度も何も無い師匠なので、営業基盤が非常に脆弱です。私自身が、労働→対価の世界にいないのです。

ですから当工房の弟子たちを「会社員のような形で月給を払って食わせる」という事は出来ないのです。ただし、こちらから観て、本当の覚悟がある人には専業で生きていける、それ相応の待遇をし、サポートをします。自分で言うのは憚られますが、当工房の待遇を他所のお弟子さんが聴くと心底驚き、羨ましがります。工房の弟子でいる時の待遇はもちろん、弟子が独立してからのサポートが厚いからです。

しかし、当工房は「職人養成所」ではありません。極言すれば職業ですらないのですから。

・・・作家になるために修行をするというのは「その当人の創作人生のための当事者としての行動」であって、食うために就職するのではないのです。

師匠の私自身、染色工房の営業社員兼染色手伝いとして給料をもらっていた事はありますが、会社が突然つぶれ、放り出された状況から今まで、約束された労働対価を受けて生活した事はありませんから、職人としての価値観を教えようがありません。教えられるのは自分が社会に創作的に有用と思われた分だけの経済が回る、その回転をつくる方法だけです。実際のこちらの活動量は請求金額と関係ありません。もちろん加工職人仕事でもそういう面がありますが、作家の場合は上に書いたように「仕事が計量化されにくい」ので「より不安定」なのです。

そういう不安定な生活であっても、自分の創作で生きて行きたいという人に「その手助けは出来るかも知れませんよ」というのがフォリア工房の弟子受け入れです。

私自身が経済的に大変に厳しいのですが、親族でも無い他人に、その全てを教える・・・創作の道具、材料、資料、人脈、弟子の作品の発表の機会、全てを工房から与えます。創作を学ぶための負担は一切、工房が負担します。さらに独立してからの支援も全面的にします。それら全て師匠の持ち出しです。

「労働→対価を得る」「手に職」という事なら、加工職人として育ててもらえる他の工房や、和装染色でも他の分野に当たった方が良いです。

そもそも、超斜陽産業である和装染色の業界、しかも制作系では30年以上前から「超絶的技術のプロですら仕事が無く廃業する時代だった」のですから、手作り系の工芸を職業にしたいなら、他の分野をあたった方が良いわけですけどね。

ですから、当工房に弟子入りしたいという人には、しつこく「自分にとって本当にここに弟子入りするのが良い事なのかを良く観て考え、判断して下さい。こちらがあなたを観るように、あなたも師匠の私を良く観て下さい。私があなたの師匠としてふさわしくないと感じたなら、全く遠慮なくいつでも申し出て下さい」と言います。お願いして入ってもらうのではありませんからね。

当工房が弟子を入れるのは「安価な労働力として」ではありません。安価な労働力として弟子を入れるところは大変多いですが・・・

「安価な労働力という立場に甘んじている」ような心がけの弟子は当工房にとっては、創作の邪魔でしかありません。創作の士気が下がります。
(当工房は染色教室を行っておりません)
(外部でのワークショップのご依頼は時折受けます)

お金なんてどうでも良いから手を動かす仕事をさせて欲しい、工房に置いて欲しいと懇願する若い人もおりますが、そういう人はお断りしておりますし、弟子に入った人がそういう状態になると辞めてもらっています。

「そういう話じゃないんだよ」という事です。


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