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職人仕事は二種類あり、作業自体に対価が発生する“加工職人系”と、作品を制作した後、売れるまで対価を得られない“作家系”があります

私はこのnoteで良く「職人と作家」(主に工芸系の)の事に触れますが・・・それがメインテーマではなくとも、話の流れ上、そういう話題に触れる事が多かった気がします。

そして、また似たような事を少し角度を変えて書くのであります。しつこいですねー😊。しかし「業界の人」や評論家の人たちが、あまりこういう問題を深堀りしないので、世の中に色々な勘違いが広まっている気がします。ですので、そろそろその辺りの整理が必要なのではないかと考える次第です。

今までは

・職人=何かしらの専門技術を持ち仕事をする人

・作家(工芸系)=職人の進化系。芸術家扱い。美大卒だったりする。どこかの美術団体の会員だったりする

・・・といったものが多かったと思います。

これは間違いでは無いけども、実情を表せてもいない定義です。しかもこれでお終いでそれ以上詳細な説明は無し・・・それでは混乱を招きます。

これは

・工芸品の最終進化形態=芸術品

みたいなものと同じです。

文脈によってはそう言えなくもないけども、本質を言い表してはいない。しかしこのような言葉程、人々に愛用され伝播し伝承されます。浅い把握においては事実よりもそれっぽいからです。

この手の問題は「いかにもそれっぽいもの」が定着してしまい勝ちで、科学の世界でも「エセ科学」の方がより社会で信じられ定着してしまうのと同じ事なのでしょう。

・・・で、いわゆる“職人”と“工芸作家”そのどちらも職人技術を使い社会と関わる事においては同じです。それぞれに創作的部分があり、どちらが上という事はありません。しかし、お互いに似通った所があるにせよ、違うものです。

にも関わらず【どのように違うのか?】の解説が、上記のような曖昧なものしか無く、今までキチンとされていなかったように思います。

以下のリンク先に、そのような話題をまとめて書いておりますので、今回の記事と内容が重複する部分もありますが、お読み下されば幸いです。

今回は「作家系職人の育成」の話題もからめて、職人系と作家系の違いを書いてみます。

私は常々、職人と作家の違いや特性について、一般社会だけでなく、いわゆる業界人も、職人さんであっても、詳細を把握せずに批判したり意見したりしている人が多いんだよなあ・・・昔の偉い評論家なんかが言った事をただ繰り返しているだけの人が多いから、話が通じなくて正直面倒くさいんだよなあ・・・と思っております。生意気言ってすみません・・・

ですから、上記リンクのような、整理された具体的な説明が必要だよなあと良く思っておりまして・・・仮に昔は、ある定義で説明出来ていたとしても、現在はその定義では説明出来ない、という事は当たり前に起こります。そういうものはちゃんとアップデートしないといけません。

仮に昔も今もその事象やモノ自体は全く同じものであったとしても、それを取り巻く環境が変わればその存在意義は変わります。

本質を捉え続けるためには、常に現状の把握とアップデートが必要です。

そのアップデートをしたいと私は常々思っております。

ここでまたリンクが出てきます・・・

ウチの弟子募集のサイトリンクです。(長いですがお読み下されば幸いです)

この長い募集要項は、まともな社会人経験があり社会常識のある人たちからは「良心的で具体的かつ新しい」と評価していただけますが「やりがい搾取だ!タダ働きさせるのか!」と批判する方も時折おられます(実数としてはそちらは殆ど無いのですが)

どうも、そういう批判をする人たちは、職人系の分野にもいくつか種類がある、という事をご存知無いようなのです・・・これは業界人でも職人さんでも同じです。といっても、それは仕方のない事でもありますが・・・

これ、個人的にはとても大切な事だと思っているのですが、例えばイチゴも桜も同じバラ科ですが、一般的な日常生活においては「別物」です。職人系とされる仕事でも、一見同じに観えるもの同士に大きな違いのあるものがあります。それを一緒くたにして意見を言ったり批判したりしても何の進展も無いどころか事態は一層悪くなるだけなわけで「違いをキチンと把握した上で色々考えたり行動しなければ間違えますよね」と私は主張したいのであります。

まあ、それはともかく・・・

分野を問わず、工芸系の弟子募集に来る人に、

「オレ、本音を言えばこの仕事自体は好きでもなんでもないけど、職人の世界に興味はあったんで工房に飛び込んでみただけなんだ・・・だからオレは練習とか勉強、そしてSNSの投稿もチェックも言われた範囲以上はしない・・・でも工房に通っていれば給料を与えつつオレの教育をし、一人前にしてくれんだよね?学校じゃなくて職場なんだから通っていれば給料が出るの当然じゃん。そうしないのは、師匠が無能で弟子から搾取する事しか考えていないからだよね?」

といった感じで「特にやりたい事も無いので取りあえず目に付いた手仕事系の工房に飛び込んでみました」系の人がおります。(ウチには上記の募集要項があるのでそういう人は滅多に来ませんが)

そして、一般社会人、業界人系、職人さんでも「そういう人間でもちゃんと受け入れて育てる事が出来ていないから、伝統工芸が衰退するんだ」という論調の人がおります。

そういうご意見を目にする度に「ちょっと待って欲しい」と思うのです。

そういうご意見は「高価な着物が売れないなら、その技術を活かした廉価なストールを作れば売れるのだ」というアドバイスと同じぐらい的外れです。(皆さん、良かれと思ってアドバイス下さるのが余計に辛い・・・)

似たような話題で、Twitterでこんなものを拾いましたが(短いものですので、是非これをご覧になってから続きをお読み下さい)本当に、こういう人は昔から沢山おりますし、どの分野でも良くある事です。「今どきの若者の話」ではなく昔から良くある事なのを強調したいですね。

ある程度の専門知識や特殊技能が必要な分野は、大まかに言って

1)学校に通い、試験に合格し資格を取るとそれなりに就職先がある職種

2)それが好きでたまらず、それになりたい人だけが目指す、しかし殆どの人がそれになれない、特別な資質と才能と学習と熱意が必要な職種

の二種に分けられます。

もちろん(1)であっても適正が無い人は試験自体に受かりませんし、試験に受かってもプロの世界で続けられるかは人によるのですが、一応は「職業として成り立ちやすい」ものです。

(2)は、その分野自体に沢山の人を抱えておけない程に特殊なので少ない椅子を取り合う事になり一般的な職業としては成り立ちにくく、職業に出来たとしても常に不安定なものになります。

どちらも専門知識や特殊技能が必要ではあるのですが、共通しているのはその大枠だけで、それぞれ別物です。

上のTwitterのリンクのマンガに出てくる少年は(2)を(1)だと思っているわけです。しかも(2)の世界を全く知らず分からず想像も出来ない状態です。ですから、プロの現場側からアドバイスをしている講師の人と話がすれ違っている事すら気づけないわけです。

困った事に業界人でも職人さんでも、自分の分野以外の事になると、この青年のようになってしまい勝ちです。(そしてそれに自覚も無い事が殆ど・・・)

当工房は工房運営の特性上「工房の作業員」が欲しくて弟子募集しているのではありません。作業員になりたい人はお断りしております(タダでも良いのでウチの作業員になりたいという人はおりますがお断りしています)当工房の弟子募集は「将来、作家として自分の創作を世に問い生きるためのスキルを身に付けたい人のためのもの」です。「手に職付けたい」というものではありません。

そもそも現状の和装手描文様染系では手に職付けたからといって新規参入して来た人に仕事の依頼が来る事は、ほぼありません。経済規模が小さすぎるからです。

何度もこのnoteに書いておりますが

工芸品をつくるのでも

「他社/他者からの依頼で加工をする“作業自体に対価が発生する”加工職人仕事」

「誰に頼まれたわけでもなく作品を作り、その作品自体に魅力を感じてもらい“購入してもらって初めて対価が発生する”作家活動」

があります。

これが、職人と作家の最も具体的かつ現実的な違いです。

どちらも職人技術を使いますが、両者は違うのです。

それを一緒くたにしては話が噛み合いません。

もちろん両者は業務上キレイにふたつに分離しているものではなく、複雑に絡み合う部分もありますが、それぞれ起点が違うのです。

当工房は「作家活動」がメインであり、その仕事内容は、作品の販売・過去作品の再制作依頼/過去作品の似寄り品の制作依頼の受注がメインで、時に他所では出来ない当工房オリジナルの加工技術を使った作品制作の依頼により、加工職人的なアプローチも混じる・・・という内容です。

ですので「就職して手に職を付ける」タイプの工房ではありません。

資格を取ればそれなりに仕事にありつけるようなタイプの仕事ではなく、あまり一般的ではない種類の資質と才能が必要で、特殊技術と知識を身に付けなければならない、しかも「やりたい人だけがやる分野」のプロの現場です。

そのような場に入って来ようとするのに、弟子入り志願者が一般の会社と同等の待遇を望むのは無茶な話だし、師匠にそういう待遇を与えろというのは無理な話でしょう?と私は思うのですが、しかしこれは、いわゆる業界人や職人さんでも上記の「違い」を分かっていない人が多いので、的はずれな意見を言う人が多いです。

あまり熱意の無い、あるいは資質が特殊な技能が必要なプロの世界で勝負するには足りない新人が入って来たとしても、それを一人前に育てられなかったら、それは師匠が未熟なのであって、新人のせいではない。それを新人のせいにするなと批判する人が時折いらっしゃいます。

そういう人は大体ご自分の仕事に強い自負があり、かつ色々な事に知識豊富なのを誇っており、ご自分は特別な存在であるという言動をしている人が多いです。

そういう人のご意見は、一見自らに厳しい美しき正論のように観えますが、自己矛盾を起こしています。しかしどうもそれに気付けないようです。

そんな人には、私はこう言います。

「なるほど・・・腕自慢で知見の広く深いあなたはご自分の職人技術を特別に高度で誰にでも出来る事ではないものと誇っておりますが、あなたの弟子の指導についてのご意見を聴くと、実はあなたのお仕事は“やり方を教えれば誰にでも簡単に出来る程度のもの”という事になりますね・・・」

そう私に言われた人が、自己矛盾を突きつけられた事による羞恥心で逆ギレするならまだ良いのですが、そういう人たちは自分の発言の自己矛盾を理解出来ないので「オマエの仕事なんて簡単じゃん」と私に貶されたと思って怒り狂うと思います。

師匠の指導が悪かったから新人が育たなかった・・・それは場合によっては確かにあります。少し前までは(今もそういう職場はあります)職人の世界はどの分野でも育成システムが未熟でしたから、とりあえず新人を現場にぶっ込んで這い上がって来るヤツだけ選んで引き上げれば良いという、師匠にとっては楽で雑なやり方ばかりでした・・・(それはそれで良い面も無くはないのですが)

その方法では、資質と才能があり、ちょっと押せばモノになるけどもその手前でつっかえている子を仕上げられません。組織編成とマネージメント面で効率の悪い方法ですから、その組織を大きく発展させる事は出来ません。

しかし、特殊で高度な職人的技能が必要な分野で一本立ちするには“工房の作業員”ではなく“独立したプロ”にならなければなりません。それには前提として「“その仕事に向いている資質と才能”と“特別な個人技を身につけるための厳しい修練”と“仕事への情熱”」がその人の根幹に無ければ話にならないのではないでしょうか?これは加工職人系でも作家系職人でも高いレベルを目指すなら同じです。

そういうレベルを目指す人は、指導が良かろうと悪かろうと、成長する人は成長するのです。なぜなら「自分がやりたいからやる」「自分自身の美意識を構築しながら成長する」のであって「誰かに自分を育ててもらうのではない」からです。他人に自分が大切にしている仕事の分野で負けたくないから彼らは頑張ります。

彼らは残業するなと言われても仕事場に残り、休日に仕事場に出てきて勉強と練習をするのです。それは労働ではなく、その活動自体が自分の生存意義そのものだからです。ですから、そういう人はその学びの場が物足りなくなればもっとレベルの高い場所へ移って行く事でしょう。

その誰にでも出来るわけではない分野の高いレベルに達するための適性があり、努力を努力と思ってないような人、あるいは多少適正が足りなくとも強烈な熱意による求心力で乗り越えられるような人のみが、そういうレベルのプロになれ、生き残れるのではないでしょうか。当たり前過ぎる話ですよね。

例えばプロサッカー選手になりたい少年が、メッシ並みの物凄い逸材であるなら家族の生活全てを面倒見るからうちのクラブに所属してくれ!というのはありますが、殆どの人は、自腹で色々活動し、プロになるチャンスを掴み取るものですよね?その大天才のメッシは小さい子供の頃からサッカーに対する熱烈な愛情があり練習の意識すらなくいつもサッカーをしていたわけですし。そもそも、大天才と一般人を同じに語る事自体がバカらしい事です。

・・・にも関わらず、的外れな批判をする人が時折表れるのです。

それは上記した「行為自体に対価が発生する加工職人」と「行為自体に対価が発生しない作家系職人」との違いを理解していないからです。

伝統工芸系で、修行中の弟子がちゃんと食えるような仕組みにしていないから、若い人たちに成り手がいないんだ、だから弟子に毎月食えるような給料を払って教えてやれば人は集まるのだ、という意見を良く目にしますが、それは正解な場合もありますし、全く間違いな場合もあります。それは業種やその業種の経済規模によって正解が変わるからです。だから間違いやすいのですが・・・正解はひとつではないのです。

その市場の規模がそれなりに大きく仕事量が多いのであれば、そこで必要な職人技術自体を商品に出来ますから「加工職人の需要」があります。その場合は先述の分野の(1)に該当します。それならどこかの工房に職人見習いとして修行し「手に職を付けて食えるようになる」という図式は成り立ちます。工房はまだ役に立たない修行中の弟子にも生活出来る程度の給料を支払えるでしょう。

そのような環境で、弟子に生活出来るような給料を支払わないのは工房主の弟子からの搾取だと言えるでしょう。本人にそれほどの適正が無くとも、それなりに要求された作業が出来るようになれば分業化によって責任を分散出来ますから、弟子側が「生活費を稼ぐための仕方なしにやる労働」という態度の人であっても給料を支払えます。(ちなみに現状の手描文様染分野の経済規模では不可能)

しかし社会からその分野への需要が無くなり、経済規模が縮小し、人々に労働を与えられなくなる程になれば、その分野そのものが消滅します。そのような縮小に向かう分野の後継者育成問題は、育成方法の巧拙の問題ではなくその分野が社会から必要とされなくなった事によって起こります。そのような場合の後継者育成の巧拙への批判は的外れです。景気が良い分野へは自然に資質と才能のある人が流れ込んで来ますが、景気が悪い分野からは人が去るのが摂理ですから。

対して、多くの人を抱えられない程、経済的に縮小した分野であっても文化的に価値があると社会から見なされた場合には、その文化自体を価値として人が常に集まるので上記分類の(2)の特性を持つようになります。そうなると今まで「労働」だったものが労働未満の「活動」になってしまうのです。もうそこでは「普通の労働」は得られないのです。しかし、経済自体が消滅するわけではありませんから、そこでもお金を得る事は可能です。

そうなるとその分野は、それが好きな人のみが目指す事になります。そこでは自分で全てを構築して行かなければなりません。その場で生きていく事自体に創作性を求められるようになるのです。自分の持つ能力自体に価値を持たせられない人はその場では生き残れません。少ない椅子の取り合いなのです。

繰り返しになりますが、どの時代でも、

いわゆる職人技術を使うのでも「自分の作品を購入してもらって生きて行きたい」となると、それは「活動」であり「労働」ではない、経済的には“労働未満”の状態で社会に参加する事になります。それは大変不安定な立場です。

その不安定な状態で自分の作品を制作し、それを生活出来る程の量、売り続けて一生を終えるのは本当に難しい事です。この事実は景気が良くても悪くても、昔も今も変わらないのです。

しかし、同じ職人技術を使う者同士でもその違いを想像出来ない人は多く、自分の過去知見と体験のみを判断材料とし批判する人が多いです。“活動”というのは金になろうがなるまいが、自分がやりたいからやる、それが起点です。いわゆる“推し活”や、高度な趣味と根本は何も変わりません。だから、支援されない事、食えない事をボヤく事はあっても、社会のせいにしたりしません。

今も、和装系であっても「分野によっては」手に職系でも「加工職人」であるなら、腕が良く広報も巧ければ、儲からないまでも専業でも食える可能性があります。

しかし、自分の創作を着物や帯にしてそれを販売して生活をするとなると、それはその作品が世に受け入れられなければ不可能なのは当然です。腕の良し悪しは関係ありません。超絶技巧を持っている人でも売れない人は売れませんし、技術的に本当に酷い人であっても、人気作家の人はおります。自分のキャラクターと創作性を換金し、生活するというのは、そういう世界です。(売るために作ったものなんてホンモノの創作じゃないなんて幼稚な事を言う人もおりますが、それはここでは話題にしません)

一般企業であっても、創業社長は、企業を成長させるための厳しい時期には24時間365日まで行かなくても、それに近いぐらい働いているものではないでしょうか。赤字であろうと、それは自分の力のせいです。

創業社長は、自分の意思で好きでビジネスを創作しているわけですから、それに文句は無いと思います。

何かしらの作品を制作し、それを販売するのを生業にするのも同じです。

そのような「望む者の殆どがそうなれない分野」で生きるのを目指す修行者に一般企業と同じような待遇をしない(出来ない)工房主を批判する人は、自分自身が自分の理想とする集団を運営し、経営的に豊かにし、自分が納得行く理想の工房を作れば良いのではないでしょうか。他人任せにしないで当事者として自分が理想とする事をすれば良いのです。他人に文句を言っている暇があるなら、そうするべきです。誰もそれを止めません・・・

そもそも、和装手描文様染系の工房は、タダでも良いから入れてくれと言っても入れてくれない工房が殆どです。それぐらい仕事が無いですし、弟子が入るのは師匠にとって負担なのです。

また、弟子を入れている工房でも、問題アリの所が多いです。

和装文様染系の工房で、師匠の取引先への営業は許さず、仕入れ先も使ってはならず、独立に際しての業界への師匠の挨拶もくれず、独立の支度も協力せず、その他がんじがらめのルールを敷き、伝票の書き方も営業の方法も、業界のしきたりも教えないで、弟子を入れてはまだ未熟なのに短期で独立させ「食えないハイアマ作家を量産している先生」は結構な数おります・・・そういう先生は弟子にお給料など払っていないか、払っていても先生が助成金で得られるものを少し分け与えているだけか、逆に授業料を取っている場合もあります。

分野を問わず、教材販売や教室経営では、職業として独り立ちして生活する可能性が殆ど無い分野なのに、将来作家になれます!と宣伝している所が多いですけどね・・・まあそれは教材ビジネスですし。

それはともかく、少しはそれなりに資質と才能がある人なら、そこそこ頑張れば自作が売れる事はあります。しかしそれ専業で自宅の家賃と仕事場の家賃と仕入れと光熱費とその他経費を支払い、家族がいる人ならその人数分稼いで生活する、それは膨大な量の作品を一生作り続け、売り続けなければ不可能です。その間、スランプだから作品が出来ないなんて言えない生活を一生するのですが・・・好きでたまらない人以外に、そんな生活が出来るのでしょうか・・・

現実は、美大に行き医大に次ぐ程の授業料を払って長年勉強して学歴を付けても、例えば工芸作家を目指して専業で食えるのはそのクラスのなかの極わずか、10年後家族を抱えても専業で食えていて、それを死ぬまで続けられる人は数人でしょう。

そんな場なのに、工房でうまい事教育すれば誰でも将来作家になれて食えるようになります!みたいな気楽な事を言えるわけがないじゃないですか。そんなの詐欺ですよ。

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ウチの弟子育成についてはいくつか書いております。以下の他にもありますが、ひとつリンクしておきます。

いつもクドい文章を読んで下さってありがとうございます。
ではごきげんよう。(^_^)/~


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