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故郷を離れるという希望

閉塞感
実家にしばらく滞在した時、覚える感覚である。

故郷は甲信越地方の、四方を山に囲まれた小さな町だ。
Google Mapで航空写真を見ると驚く。
こんな隙間みたいなところに住んでいるのか、と。

風景にはテンプレートがある。
川を挟み、似たような景色が鏡像のように向かい合っているのだ。
山の下には墓があり、墓の下に畑、住居、川、と標高を下げながら並んでいる。
違う自分になりたくて川の向こう側を覗いても、そこには全く同じ顔の自分が立っている。

ドッペルゲンガーを見たらどうなるか?

だから都会へ出る人は多い。


閉塞感の理由は地形ゆえだけではないと思う。
つらい過去があるからだ。

故郷には生まれてから二十数年間暮らした。
幼稚園から高校までの生活が一つの町の中だけで事足り、都内の大学へは自宅から通った。
小学校や中学校の思い出は灰色に染まっている。
自身の未熟さもあったが環境の残酷さもあった。
そのことも故郷への思いを複雑にしている一因であろう。

実家には今、定年を迎えた両親が二人で暮らしている。
思えば、両親もその人生のほとんどを地元で営んでいながら、決して馴染んでいるようには見えなかった。
むしろ常に外の世界を求めているようなところがあった。

休日出かけた先で知り合いに会い「今日はなんですか」と詮索されるのか嫌でたまらない、と父が愚痴をこぼすのを聞いて育った。

父は絶対に町内へ買い物に出なかった。出かけるとすれば、人通りのない山奥へ趣味の風景写真を撮りに行くくらい。
町の中ではさすがに無いが、少し山を分け入れば、毎日隣家の来客をチェックする人々が息づいている。
この町のお節介さは鬱陶しく良くないものだと小さい頃から感じて育った。

家族の休日の外出が東京を中心とした県外で、長期休みとなれば決まって旅行へ出掛けていたのも、車のハンドルを握っていた父が地元の閉塞感を嫌っていたからだろう。

そして母は、私がまだ幼い頃から、娘を将来東京へ出すことに情熱を注いでいた

母が信頼していた私のピアノの先生に「子供を田舎から都会へ出すのは大変だよ」と言われていたこともあり、母の中にはとてつもないエネルギーと使命感があったものと想像する。

東京へ買い物に出掛ければ、大きな書店で本を買ってもらった。人形劇も見た。同い年くらいの子供がいるワークショップにも参加した。母の東京の友人の子供たちとも引き合わされた。
「田舎の子供は都会の子供に比べ引っ込み思案なので、物怖じせず前へ出ていくように育てなければ、東京へは出ていけない。」
母の教育方針だったと思う。
だからこそ決して小さくない失敗も沢山することになるのだが…

「あなたを自由にするために悪い嫁になった」とは母がよく言ったところである。

一人っ子の長女ゆえ、私は●●家の跡継ぎとみなされ、父方の親戚のおじさんおばさんたちには大分可愛がってもらった。
成人後、祖父から突然「婿をもらえ、ただしキリスト教徒は困る(大学がミッション系だったため)」と言われた。
けれど、私はプレッシャーを感じるどころか、へらへらしていた。
小さい頃から母に仕込まれたせいで、父方の祖父母の家からの「悪い影響」を受けないよう訓練されていたため、跡継ぎとか婿入りとか、そういうものを「へっ」と思うように育っていた。

就職が決まり東京で一人暮らしを始めることになった時、母はさぞかし肩の荷が下りたことだろうと思う。
今夜から一人暮らしという日、新宿駅で別れた母は涙ぐんでいた。
私も少しほろりときたけれど、これから一人で暮らせると思うと解放感があった。

しかし今、そうして育てた娘は、故郷からも東京からも遠く離れた地方の海辺の町に旅立とうとしている。
直接会えないこともあり母の胸中がいかほどかは感じ取れないが、せっかく苦労して東京に出した娘が地方に引っ込もうとしていることについて、自覚があるかないかは別として、ちょっとした落胆はあるのではないかと想像している。

ただ「ここではないどこかへ」は我が家のお家芸だ。
両親は持ち家もついに所有しなかったから、私の地方行きも、本をただせば一家の出かけ好きが「災い」している。

とはいえ。
前途は明るいと思いたい

故郷のあの空気の中にいなければ出会わなかったであろう物事もそれなりに多い。
つらい思いをしながら経験、吸収したものがあったからこそ、今の性格や趣味嗜好が形成された面もある。

故郷で何かあった時のことは確かに心配だ。
家族の死に目にあえないことも覚悟しなくてはならないと思う(「親族の死に目にあえないイコール悪」という感覚についても近々向き合ってみたいと思っている)。
しかし距離を取った分、心理的な距離は近くなるかもしれないとも思う。
ちょっと連絡してみようかな、という機会が増えることを期待している。

離れているからこそお国自慢ができもする。
地元に住んでいた時は、いくら故郷を褒められても「まあ大したことはないですよ、どうせ田舎で何にもないんで」と冷めた見方しかできなかった。
当たり前すぎて、むしろ褒められるのが恥ずかしかった。
しかし東京へ出てきて、故郷についてちょっとした勘違い知識を披露されようものなら「いいえ違います!」などと、さも昔から地元愛が強い人のように猛然と反論するようになった。
仕事では口答えなんてしないくせに、上司に「うちの郷土料理をあの地方のあれと一緒にしないでください!」などとくってかかった。

何よりも、身体の中の故郷は追い出せない。
気付けば口をつくお国言葉
幼少期に祖父母の家で過ごす時間が長かったせいもあってか、同県出身の同世代に比べても方言をよく使うほうだと思う。
気が抜けた時や、逆に興奮した時、急いでいる時などに、無意識にぽろりと方言が出る。
結婚してからは夫に「なに?いまの言葉」と聞かれる機会が増え、方言をより自覚するように、愛しく思うようになった。

故郷とは離れていたほうがいい関係を保てるかもしれない、というのが現時点での私の考え方であり、同時に希望である。

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