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目的はどこまで必要か

"なんのために"がわからない行動に、度々虚しくなってきた。
だからこそ勉強していることを何かと繋げなければと躍起になってきたし、それ自体に苦しめられもしてきた。
それでも人生は、目的を持たないものの比重が結構高い。

私はアマチュアの吹奏楽団に所属していて、定期演奏会やコンクールへの参加と割に休日を捧げて活動している。
厳密に言ってしまえば自分から活動したくてしているというよりも、楽団のスケジュールとして組まれているから何も考えずに参加しているという方が正しい。
年始めのデートで、恋人に「今年コンクール出るの?」と聞かれて、その続きに「まぁなんのためにやっているかだよねぇ」と言われた。
私は一体、なんのために吹奏楽をやっているのだろうか。

演奏会にのることは、楽しい。
小学生から楽器を習い始めたり部活やサークルに入ったりして、常に私は音楽を何らかの形で演奏する側の人間で居続けてきた。
それは吹奏楽に限らず、鍵盤楽器だったり歌だったり。
でもそこに目的を求めた時、思いつくものは大してない。
別にそれを通して成し遂げたい何かがあるわけでも、達成したい目標があるわけでも、ない。
それでもやり続けるのは、純粋に音楽をやっている自分で居続けたいからとか、居場所感の得られるコミュニティを手放したくないからとか、そんな理由になってくるのだろう。

この目的論は本当に色々なところで顔を出す。
例えば英語の勉強をしていても、実際に業務で使うのはほんの一部で、役立ったと感じるシーンなんてほぼない。
今はとりあえず点を取ることに目を向けることにしたからこの件は一旦考えないようにすることにしたけれど、それでも必要なシーンがなくて他に達成したいその先の目標がないのなら、これに目的はない。
今勉強している簿記もそうで、私は経理の仕事をしているわけではないし、したこともない。
とりあえず今の組織的に持っていると可能性が広がるであろうことと、知っていて損はないだろうこととか、そんなこんなで自分を納得させながら目的をはぐらかしている。

わからない。
例えば旅行に行って、目的は?なんていう話はしたくない。
でもどことどこを観光したい、ということは目的に値するのかもしれないし、それならやっぱり目的は気付かないだけで、ここまで上げてきたものにもあるのかもしれない。

素敵な服を着るのは"誰かによく思われるため"だろうか、それとも"自分の機嫌をとるため"だろうか。
それなら"自分の機嫌をとるため"で多くのことは結論づけられるようにも思えてくる。

どこまで目的を必要とするか。
ゆるく考えたらその答えが、少しは出てくるのかもしれない。

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