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忘れ物をしない人なんていない

誰しも、忘れ物をしてしまうことはあるのだろう。
日頃から忘れ物が多い人も、普段はあまり忘れ物をしないけれどたまたま忘れてしまうことがごく稀にある人も、程度の差はあれど忘れ物を全くしないということはある程度不可能に近い。
人は忘れる生き物だ。

小学生の頃、忘れ物チェックシートのようなものがあった。
これは忘れ物がなかったかどうかを毎日記載して提出するというもので、忘れ物があった日は何を忘れたか書くことになっていた。
担任の先生の方針だったから1年間その記録を取り続け、私は1年間忘れ物をしなかった。
1年の終わり、そのチェックシートの話をクラスで持ち出した先生は、"まぁ忘れ物しない人なんていないんで"という話をした。

私はその1年、無理をして物凄く気にして忘れ物をしないで過ごせていた。
ルールとしてアウトに該当することをしたくなくて、忘れ物をすることが怖くて仕方がなかったからこそ、忘れ物をしないで過ごせたのだと思う。
終わって出てきた感想が、良かったなんとか乗り越えられた、といったものだった一方で、この頑張った時間はなんだったんだろうとも思って、当時は最早否定されているような気にさえなっていたことを朧げに覚えている。

でもやっぱり、忘れ物をしない人なんていない。
あの無理をして必要以上に気を配っていた時間は、"この時間が無事に過ぎ去ってくれますように"と願ってしまうような期間だった。
それを常に切れ目なく続けていかなくてはならないとなってしまったら、それはかなり息苦しいものになってしまう。

誰しも忘れ物をするからこそ、忘れ物をすることはあっていい。
完璧にはなれないから、たまにそんなことがあってもいつもはできている自分を認めていけたらそれでいい。
だけどそこには、"いつも忘れ物をすると信頼をなくすのではないか"という考えが宿っていて、なかなか自分を許すことができない。

結局のところ、普段はできているけれどたまに忘れ物をしてしまったことがいつも忘れ物をしていてダメな自分とイコールで結び付くのは筋が通っていない。
にも関わらずそこに固執してしまうのは、きちんとありたい自分が強いせいなのだろう。

ありたい姿はある程度叶っているし気を付けてきている筈だから、もしそれでできていないならそれはそれで今どうこうできることでもないから、今一度やってしまった失敗はもう、その時はその時で認めてしまえたら自己肯定感が少し上がるかもしれない。

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