松浦 裕貴

今、自分の思考していることを文章で発信していきます

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『監督失格』—僕は林由美香を知らない。喪失が終わる、あるいは始まる物語—

 林由美香はAV女優である。だから彼女について詳しく知っている人と全く知らない人と2分化されると思う。僕は後者に当たる。僕がAVに触れる前に彼女は逝ってしまった。  AV女優は名前が出るが監督は表に出ることはめったに無い、『監督失格』の監督である平野勝之はAV監督である主に80年代後半から90年代にかけて活動を主にしたAV監督だ。彼についても僕は知らない。  この映画で唯一、知っているのはプロデューサーである庵野秀明だけである。ちなみに僕は彼のネームバリューだけでこの映画を観

    • ブラピ主演で第二次世界大戦を描いた映画『フューリー』のキャッチコピーが「1945年、世界は傷ついていた」なんだけど、現在の2020年もキャッチコピーをつけるなら同じく「2020年、世界は傷ついていた」に未来から見たらそうなりそう。

      • 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は京都アニメーションの描いてきた祝祭空間の象徴的作品

         『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』はアニメ制作会社京都アニメーションの作品だ。  戦争のさなか、孤児として軍の「少佐」に拾われ、「兵器」として育てられたながらも「少佐」の温かい「愛」で触れたヴァイオレットは、戦争で戦いに身を投じてきたが、戦争も終盤の中で少佐と共に負傷し、両腕を失い、両腕を義手と生きることとなった。  そして終戦後、ヴァイオレットはエヴァーガーデン家の養子として迎えられるが、拒否をし、後見人の一人となったクラウディアが経営するC.H郵便社にて、自動手記

        • 『星を追う子ども』ー新海誠の転換期ー

           私は新海誠監督作品の『星を追う子ども』はあまり好きではなかった。  しかし新海誠作品のサントラがサブスク配信されてエンディングテーマの熊木杏里の「Hello Goodbye&Hello」を聴き、歌詞を読んだら『星を追う子ども』が新海誠監督の転換期になったのだと考えた。『星を追う子ども』以前は「会えない物語」だったが、それは絶対に会えない訳ではない。もしかしたら会えるかもしれないという可能性を孕んだ物語だった。  しかし、『星を追う子ども』は死別という二度と会えない物語を

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        『監督失格』—僕は林由美香を知らない。喪失が終わる、あるいは始まる物語—

        • ブラピ主演で第二次世界大戦を描いた映画『フューリー』のキャッチコピーが「1945年、世界は傷ついていた」なんだけど、現在の2020年もキャッチコピーをつけるなら同じく「2020年、世界は傷ついていた」に未来から見たらそうなりそう。

        • 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は京都アニメーションの描いてきた祝祭空間の象徴的作品

        • 『星を追う子ども』ー新海誠の転換期ー

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          MUCC アルバム 「惡」ーおかえりと高らかに歌うー

           2020年6月10日に発売されたMUCCの最新アルバム「惡」は現在の彼らのバンドとしての最新にして最高峰のアルバムだ。  元来MUCCというバンドははキャアリアとともに音楽性を常に変化し進化してきたバンドだ。彼らは自らはヴュジュアル系バンドしてるが、サウンドはアメリカのバンドであるKORNやSlipnotのように7弦ギター、5弦ベースと重低音サウンドでありながら日本の歌謡曲やフォークソングのメロディラインで哀愁が漂う。歌詞は人間の死をトラウマを醜悪をこれどもかと歌ってきた

          MUCC アルバム 「惡」ーおかえりと高らかに歌うー

          『君の名は。』は震災以降に「会うこと」とは何かを巡る物語

           2016年に劇場公開された新海誠監督作品『君の名は。』は震災以降に「会うこと」とは何かを巡る物語だ。  物語の主人公は2人の少年と少女である。東京に暮らす少年、瀧と田舎の糸守町で暮らす少女、三葉だ。ある朝、二人の精神(あるいは魂)の入れ替わりが起こるところから物語は始まる。二人は戸惑いながらも入れ替わった中で日々を過ごしていく中で惹かれていく。しかし、ある日を境に入れ替わりは止まり、瀧は三葉を探して飛騨の山奥の糸守町にたどり着くが、糸守町は3年前に数千年に一度の彗星が落ちた

          『君の名は。』は震災以降に「会うこと」とは何かを巡る物語

          『荒ぶる季節の乙女どもよ。』は青春を終わらせる

          『荒ぶる季節の乙女どもよ。』は青春の終わらせ方を描いたアニメ作品だ。  文芸部の女子高生の5人の部員たちは純潔の名のもとに文学に傾倒していた。しかし、ある日「死ぬまでにしたいことは何」という質問に「SEXがしたい」と答えた一人の言動により彼女たちは性に翻弄されていく。  たしかに男性よりも女性の方がSEXに対する身体的、精神的な負担は多きい。  しかし、SEXを巡る女子高生たちの物語ではない。  SEXとは変わる究極の象徴であり(女子高生たちの彼女たちにとっては)今ではない自

          『荒ぶる季節の乙女どもよ。』は青春を終わらせる

          「めちゃイケ」論ー放課後の終わりー

          今夜で22年間続いて放送された「めちゃイケ」が終了した。  深夜の「とぶくすり」から「めちゃめちゃモテたい」を通して現在の「めちゃめちゃイケてる」、「めちゃイケ」になった。  そして、「めちゃイケ」は土曜8時という「オレたちひょうきん族」の後に続くフジテレビのバラエティのゴールデンタイムを手に入れた。    「めちゃイケ」の通低音に流れていたのは「童貞感」と「放課後」だ。  憂鬱な一週間を終えた中高生を特に童貞やスクールカーストの底辺にいる少年たちの救済装置として「めちゃイケ

          「めちゃイケ」論ー放課後の終わりー

          『魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』ー終わるということー

          『魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』(以下、叛逆の物語)はゲームの支配者から脱出とそれに伴うループからの脱出を描いた作品だ。  叛逆の物語では暁美ほむら(以下、ほむら)が魔女化を食い止めるため閉じ込められた世界で自分自身が望んだ中学生活を送りながら魔法少女としてナイトメアと戦うとい理想の世界でループ(終わりなき日常)を過ごしている。しかし、それは内側の自分の都合が良い世界であり、本当の自分は魔女化してゲームの支配者であるキュウベイによって閉じ込められたと知る。そこから

          『魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』ー終わるということー

          『桐島部活やめるってよ』ー多様化する社会を描くことに成功した映画ー

          『桐島部活やめるってよ』は地方都市の高校を舞台に神木隆之介の映画研究グループ(非モテ)、帰宅部(リア充)、ギャル(リア充)、恋に恋をする部活少女、という多様な視点で部活も勉強もできてクラス一番の美人を彼女に持つ桐島が部活を辞めるという現象に対しての各グループの視点を描いた青春群像だ。 物語構造はチュンソフトのゲーム作品である『街ー運命の交差点ー』、『428〜封鎖された渋谷で〜』やギャルゲー、エロゲーなどの物語を各人物の視点から描いたゲーム的な構造を持っており東浩紀の提唱するゲ

          『桐島部活やめるってよ』ー多様化する社会を描くことに成功した映画ー

          『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』ートラウマを乗り越えて喪に服す物語ー

           『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(以下あの花)はトラウマと喪に服す物語だ。  過去に事故で死んだめんまが幽霊として 引きこもりであるじんたんの目の前に現れる。そこで彼女は「めんまのお願い」を叶えてくれと願う。そこから過去で「超平和バスターズ」というグループを組んでいた親友だった元々はガリ勉だがギャルに転身したあなる、世界を放浪していたぽっぽ、進学校に通うゆきあつ、つること共に「めんまのお願い」を模索していくという青春物語だ。  ここでめんまを除く全ての登場人物が自

          『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』ートラウマを乗り越えて喪に服す物語ー

          『ヒミズ』ー絶望の果てに少年は何を夢見るのかー

           園子温監督作品である『ヒミズ』は、近年の作品である『愛のむきだし』、『冷たい熱帯魚』とは異なる作品である。  『愛のむきだし』、『冷たい熱帯魚』はエディプスコンプレックスに支配され、神=父の象徴であり、父に支配された人生から開放、または破滅していく物語であり、エディプスコンプレックスに支配された中での新興宗教に吸収されていく家族、崩れた家族を描いており戦後のパターナリズム批判と70年代という日本の黄金時代を「普通」とする家族システムが現代では機能不全に陥ってるのだが気づかな

          『ヒミズ』ー絶望の果てに少年は何を夢見るのかー

          『映画 けいおん』手の届く幸せ

          『映画 けいおん』手の届く幸せ  劇場版の『けいおん』はファンサービス溢れる作品だ。今まで登場したキャラの登場やネットで人気のあるモブキャラの登場など視聴者の望むサービスを盛り込んでいる。  そんなファンサービスに溢れた作品である『映画 けいおん』の根底にあるテーマは「手の届く幸せ」だ。  「手の届く幸せ」とは何だろうか。それは作品の中で描かれる仲間との連帯とコミュニケーションで生まれる日常の中での小さな奇跡と幸せの連続であり永遠に続くということだ。  しかし私たちの生きる

          『映画 けいおん』手の届く幸せ

          『アウトレイジ』全員が悪、あるいは正義の終わらないゲーム

          北野武監督作品『アウトレイジ』は仲内のヤクザの報復合戦を描いた作品だ。 ボッタクリクラブに兄弟分のヤクザをハメたことから仲内での終わらない抗争というゲームが始まる。そこではお互いが悪であり、裏を返せば自分たちが正義の世界でヤクザたちは陰惨な報復合戦を繰り広げる。  今までの北野武監督作品とは違い主人公(たいてはビートたけしが演じる)が組織を逸脱して個人が破滅する物語とは違い、組織として破滅と世代交代を描いている。その中で行われる報復合戦というゲームは死ぬまで、あるいは勝利(現

          『アウトレイジ』全員が悪、あるいは正義の終わらないゲーム

          『フリクリ オルタナ』ー失われた日常を求めてー

           『フリクリ オルタナ』は『フリクリ プログレ』と二部作で制作された映画だ。『フリクリ オルタナ』は17歳の女子高生4人組を中心とした群像劇である。『プレグレ プログレ』は男女のボーイミーツガールが世界を救うという80年代的な想像力、つまり「私ってカワイイ系」の女子が男子に救済される(逆に言うとオタク男子が女性を救済したいというレイプファンタジー)という退屈なものだった。前作の『フリクリ』とは繋がりがほぼ無い。共通点としてはハルコと郊外にある強大な「何か」ということだ。ハルコ

          『フリクリ オルタナ』ー失われた日常を求めてー