『映画 けいおん』手の届く幸せ
『映画 けいおん』手の届く幸せ
劇場版の『けいおん』はファンサービス溢れる作品だ。今まで登場したキャラの登場やネットで人気のあるモブキャラの登場など視聴者の望むサービスを盛り込んでいる。
そんなファンサービスに溢れた作品である『映画 けいおん』の根底にあるテーマは「手の届く幸せ」だ。
「手の届く幸せ」とは何だろうか。それは作品の中で描かれる仲間との連帯とコミュニケーションで生まれる日常の中での小さな奇跡と幸せの連続であり永遠に続くということだ。
しかし私たちの生きる現実は日常での「手の届く幸せ」になかなか手が届かない。人生における別離と痛み、現実と理想とのギャップへの失望、その中で耐えて成長していくことが成熟となる。
そんな現実とは遠くにだけど私たちの渇望する「手に届く幸せ」を描いている。
エヴァの庵野秀明はアニメを現実逃避の場としてあることを拒絶して現実に帰れてとエヴァの劇場版で訴えた(新劇場版シリーズはその考えを変えていると思われるが)
『映画 けいおん』は現実に帰っても辛いこと(もちろん幸せもある)があるから日常の手に届きそうであり、可能である「手に届く幸せ」を取り出してポジティブに物語に着地させている。
しかし、先程も述べたようにその「手に届く幸せ」はなかなか手に届かないだからこそスクリーンで描かれる「手に届く幸せ」に没入するのだ。
しかし「手に届く幸せ」を求めることは私たちの生きる現実でも可能だ。だからこそ、自分自身で「手に届く幸せ」を求めていくポジティブな姿勢は私たちの現実に還元可能だ。
そんな「手に届く幸せ」という理想とそれを追い求める姿勢と必要性を優しく描いたのが『映画 けいおん』だ。
この映画を観終わったあとにミスチルの「優しい歌」の歌詞を思い出した。
優しい歌 忘れていた 誰かの為に
小さな火をくべるよな
愛する喜びに 満ち溢れた歌
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