「めちゃイケ」論ー放課後の終わりー

今夜で22年間続いて放送された「めちゃイケ」が終了した。  深夜の「とぶくすり」から「めちゃめちゃモテたい」を通して現在の「めちゃめちゃイケてる」、「めちゃイケ」になった。  そして、「めちゃイケ」は土曜8時という「オレたちひょうきん族」の後に続くフジテレビのバラエティのゴールデンタイムを手に入れた。  
 「めちゃイケ」の通低音に流れていたのは「童貞感」と「放課後」だ。  憂鬱な一週間を終えた中高生を特に童貞やスクールカーストの底辺にいる少年たちの救済装置として「めちゃイケ」は支持されていたのではないのか。  よもぎだ愚連隊に象徴されるように「よもぎだ君」的な少年、アイドルに憧れ、真面目でメガネをかけた少年たちから支持されたのではないのか。  
 その「めちゃイケ」が終わる意味とはなんだろうか。それは、視聴者である「少年」はいつのまにか「大人」になっていたのではないのか。  
 「めちゃイケ」の通低音に流れている「童貞感」と「放課後」は消失されてしまっていたのではないのか。それは少年たちは「大人」になり「童貞」ではなくなり学校から卒業し「放課後」から撤退していったのではないのか。あの日の少年はいつのまにか大人になっていたのだ。  
 そしてもう一つの要因は社会から役に立たないことは排除するという遊びの部分を捨てていくという効率化が進み、人生の役に立つ、つまり仕事、勉強に役に立たなければ意味がないという余裕がなくなったという風潮だ。そう考えると「めちゃイケ」は無駄の塊だ。公共の電波を使って60分間、くだらない笑いを放送している。今の風潮とは逆行している。それが時代と合わなくなったのではないだろうか。  
 今夜、伝説となってしまった「めちゃイケ」が終了した。もうこのようなバラエティ番組は日本では生まれないと思う。なぜならば時代は規制と効率化が進みテレビのバラエティはそれに合わせて作られていき、「くだらなさ」は排除される。それはとても悪いことだと個人的には感じる。なぜならば先でも述べたが余裕がなくなった社会の到来を告げているからだ。  
 現在の「少年」は何に救済されているだろうか。エンターテイメントは多様化し、皆が好きなトライブで消費されるコミュケーションが重視されるゲームに動員されるゲームに参加している。テレビではなくネットへの移行、一人から仲間重視のコミュケーション消費だろうか。  
 「めちゃイケ」は終了した。視聴者は「少年」から「大人」になり、「放課後」はチャイムが終了の音を告げ終わりを迎える。そこで待っている効率化が求められ役に立たなければ意味が無い余裕がなくなった社会だ。  
 最後に終わった「めちゃイケ」に謝辞を申し上げたい。  
 私はめちゃイケに救われた人間の一人だと思う。「めちゃイケ」がなかったら高校時代に自殺していたと思う。大人がくだらないことを一生懸命するところに笑いがあった。私は笑いに救済されたのだ。22年間、ありがとうございました。

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