『監督失格』—僕は林由美香を知らない。喪失が終わる、あるいは始まる物語—

 林由美香はAV女優である。だから彼女について詳しく知っている人と全く知らない人と2分化されると思う。僕は後者に当たる。僕がAVに触れる前に彼女は逝ってしまった。
 AV女優は名前が出るが監督は表に出ることはめったに無い、『監督失格』の監督である平野勝之はAV監督である主に80年代後半から90年代にかけて活動を主にしたAV監督だ。彼についても僕は知らない。
 この映画で唯一、知っているのはプロデューサーである庵野秀明だけである。ちなみに僕は彼のネームバリューだけでこの映画を観に行った。彼が関わってなければ観に行ってなかったかもしれない。
 つまり僕は全く知らない人々のドキュメンタリーとして物語として観に行った。スクリーンに映されるのは喪失に気づくまでの平野勝之という映画監督であり、一人の男のドキュメンタリーである。
 映画は1996年に当時、付き合っていた林由美香と平野勝之が自転車旅行で北海道へ向かう中でハメ撮りを行うという企画のドキュメントから始まる。そのドキュメントは生々しい人間を描写していく。旅行中に急に情緒不安定になり泣き出す林由美香、テントの中で抱き合い愛を語り始める2人、急に平野勝之が情緒不安定になり喧嘩をしだす、ウィスキーを飲み泥酔して放尿をしてしまう林由美香、自転車旅行で出会うスギノフレア的な旅行者たち、そういった人間の生々しさを映し出す。最終的に北海道の最北端の島にたどり着き2人で全裸になり、記念撮影を行い、この旅は終わり、この旅の後に2人の男女の関係も終わる。
 この北海道旅行の撮影の後も平野勝之は作品を製作するが満足がいく作品を制作できない。そこに林由美香が居ないという現実が平野勝之に欠けているのだと僕は映画を観ながら思っていた。
 2005年、平野勝之は自分の作品を総まとめする映画を製作するために、林由美香へのインタビューを撮影するため彼女の自宅を訪れていた(男女の関係が終わっても友人として2人に関係は続いていた)しかし、いくらインターホンを押しても携帯に連絡をしても応答がない。平野勝之は林由美香の母に連絡し林由美香のアパートに入る。その日は彼女の誕生日だった。
 そこで彼は魂のない肉体だけの彼女と対面する。そこでもカメラは回り続けていた。偶然、フローリングに置かれたカメラは人が死ぬということは周りの人に突きつける死という現実の痛みを撮り続けていた。(ここは是非、映画を自分の目で観て欲しい)混乱と悲しみ、嗚咽、後悔と怒り、様々な感情が渦巻き1Rはカオスとなる。
 マスコミははやし立てたが警察の捜査で林由美香の死は自殺ではなく、睡眠薬と飲酒による事故死であることが判明する。
 このテープは林文香の母親、平野勝之が弁護士を通して封印される同意文書が作られた。
 林由美香の死、以降、平野勝之は作品を制作できてない。しかし、何故、今、この映画『監督失格』は製作されたのか、まず同意文書が破棄されテープの仕様が可能になったということと、平野勝之がもう一度、前に進むために林由美香という人間と向きあわなければならないということに気づいたからだ。
 そして自分は林由美香を完全に失ってしまうのが怖い、消えていったという現実に向き合えない、喪失と対峙できない自分に気づいて泣きながらカメラを持って自転車で街を疾走するモノローグで映画は終わる。
 現実は残酷であり痛みや喪失を与えてくる。しかし、結局は自分が向き合い対峙しなければ亡霊として自分の中で生き続ける。何故、そんな喪失と現実と向き合えなければ前に進む事はできない、それは新たな喪失の始まりかもしれない。平野勝之はこの『監督失格』という映画で自分への林由美香のお葬式を行ったのだ。自分が生きていくために。
 そして庵野秀明がプロデューサーとして入って理由も分かる。庵野秀明の中で亡霊であるエヴァと向き合い前に進む為に今、エヴァを作っている庵野秀明と林由美香を自分の中であちら側に送る平野勝之の姿があまりにも似ていた。
 しかし、そうまでして喪失できない存在があった、あるいはあることは幸せなのかもしれないエンディング曲を作詞、作曲した矢野顕子の『しあわせなバカタレ』から引用して終わろう。

しあわせのバカタレ
わたしたちを追い越した
あなたがそばにいれば
しあわせじゃなくてもしあわせ

しあわせだよ
だいすきだよ
ほんとうだよ

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