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「さがす」、全員の人生を深読みしたくなる。

すっと心に入ってこない、ずーんと体に寄りかかってくる。
一言でいうとそんな映画、「さがす」。

絶対に観た方がいい、と思っていながら観るのを迷っていた理由は、やっぱり「邦画」であること。日本の映画をあーだこーだ言いたいわけではなく、母国語の映画だと心に刺さってしまって何も手につかなくなることがあるので、私のような人間にとっては観るタイミングが難しい。 

だから、少し遅くなってしまった。
でも、映画館で観てよかった。 

登場人物それぞれに長い長いドラマがあるはずなのだが、それが語られすぎていないため、想像力がフル回転させられる作品だった。

まだ観ていない人、そして普段はこういった作品を観ない人、ぜひ映画館で観てほしい。

深読みしすぎる考察

もしかしたら、作品を作り上げた人たちの意図とは違う方向に解釈することもあるかもしれない。だけれども、「そんなことある?」というところまで考えるというのが、映画の醍醐味だと個人的には思っている。

そういうとき、「ここで佐藤二朗さんが…」ではなく「ここで智が…」と自然に考えていることに気づく。

なぜ智は万引きしたのか

冒頭、父が万引きしたという知らせを聞いて飛んできた楓だが、楓はちゃんと家でご飯を用意していた。そんなときに智はおにぎりを万引きしている。お腹が空いているなら家に帰れば豪華ではないが娘と一緒に温かいご飯が食べられるはずなのに不思議だと思った。

パターンとしては2つあると考えている。

① 山内の信頼を得るための食料を用意していた

気になっていたことがもうひとつあった。智は、万引きで怒られた帰り道、おにぎりと一緒にビールを吞んでいた。にもかかわらず、楓は智の失踪後、警察にどこかで(地名を忘れてしまった…)呑んでいるだけではないかと指摘され「お父ちゃんはお酒呑まない」とこぼす。

山内は楓に卓球場で見つかったとき、大量のお酒の空き缶と共に寝ていた。本当は山内に届けるために買おうとしたが、20円足りず万引きしたのではないか。

 山内の泥酔している様子が何回か描かれているが、そういった細かいところにも彼の「欲」を何となく感じる。

②あえて捕まって山内の居場所を警察に教えようとしていた

「妻を山内に殺されたうえに利用されている可哀想な男」になってさっさと300万円を獲得しようと思ったのかもしれない。「自分は騙されて妻も殺されて、さらには無理やり協力させられている。だから食料を届けなければいけないがお金がないので万引きするしかなかった」というような具合で。

智は、愛の大きい人であると思う。そして素直で優しい印象を人に与えるキャラクターのように感じる。だからこそ、まさかそんな姑息な手は使わないだろうとも思うが、智の人間性はこの123分でだいぶ変わってしまっている。

楓はいつ気づいた?

楓は、智を探して果林島に向かっている時点ですでにあのコースターを卓球場で見つけていたのではないかと思えてきた。

① 母が死んでからの父親の変化に気づく(これは当たり前かもしれないが)
② 智が失踪後、山内となんらかの関係があると気づく
③ 劇中には描かれていないが、山内を卓球場で見つける前後であのコースターを見つける
④ 智が利用されて事件に協力させられていると思いこむ
⑤ 利用された後に必要なくなったら智が山内に殺されると考え、必死で探す
⑥ 冷静になると、智が山内に刺された後に正当防衛とはいえ抵抗して殴り殺すとは思えない
⑦ Twitterで接触すると返答があり、智がやろうとしていることに気づく

智と山内を探している様子から、楓は頭の回転が速く細かい部分にもよく気が付く子だと思う。

⑥に書いたように、一生懸命にお母ちゃんの介護をしていた優しく気の弱いお父ちゃんが人をハンマーで殴って殺したと聞けば、どんな状況でも「何かおかしい」と感じるのが通常の反応では。

山内の言っていることは正しいのか

山内は人を殺すことで欲を満たしている人物だった。
彼は死にたい人を殺すことは人助けである、という考え方を持っているらしい。

本作では、死にたい人を死なせてあげることが正しいのかどうか、という論点もある。難しいテーマだが、山内に殺されていった人たちを見ている限り、需要と供給が一致しているようでしていない。

 山内の矢印は「人を殺したい」に向いている。自殺志願者として山内の元に来た人たちは「死にたい」と口にしながら、本音のところ(多分、本人たちも気づいていないが)死にたいと思っているわけではない。

 「(心もしくは身体が)苦しいから生きていられない」を「死にたい」と表現しているだけだ。

 彼らの矢印は、最初から山内の矢印とは交わる予定はなかった。しかし、「死にたい」と表現すると、本人たちも「自分は死にたいんだ」と思い込んでしまうのではないか。

 山内は智に対して、死にたい人を手にかけることはあたかも「win-win」であるかのように説明し協力させるが、彼自身は本当のところそうではないことを知っていたはず。

唯一、何度も死に向かっていったムクドリについては、何が彼女をそう思わせたのか最後まで分からず終いだった。だからこそ、彼女の人生が知りたい。

次は、何観よう

同じ作品でも、疲れているときは何も考えずに笑う。エネルギーが有り余っているときは、深読みに深読みを重ねようとする。

紙にペンで「なぜ?」と書き出しているだけで、その作品の別の顔が見えてくる。

それが面白い。

 新しい趣味に、どうですか。

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