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やっぱり、私にはこれしかないんじゃないか?ー演劇教育が差別をなくす

こんにちは!ゆゆです💐

久々に書いてみよう、整理してみようっていう気分になりました。

それは、自分が感じている課題感とやりたいことが
ぴったりしたからです!!

深夜にとりあえず書いてみます!


最近モヤモヤすること

それは、決めつけモンスターがはびこっていること。

そして、彼らは無意識に人を傷つけていること。


大学3年生になって、何かと「大人」会う機会が増えました。
社会経験があって、学生に色々と「教えてくれる」人たち。

そこによく現れるのが、決めつけモンスター

「あなたは、これが出来ていないからダメです」
「私はもう説明しましたけど!?聞いてなかったんですね。ダメですね」

(私:…私は、ダメなのか…)

意気地なしの根性なしだな。いちいち傷つくなよ。
って意見、わかります。

でも、ごめんなさい。
よく言うと、感受性が豊かなんです。
映画とか、誰よりも感動しちゃうんです。

だから、ダメって言われた瞬間、すんごく悲しくなる。


私は、ナンバーワンじゃなくていい。
only oneになりたい。

だから、実績とか能力とか、
そういった1つの面だけで、私の断面だけ見て、
勝手に判断しないでほしい。

って最近よく思うんです。

わかります。大変なの。忙しいの。
やることがたくさんあること。
その中で、私なんかに、時間を割いてくださていること。

私なんかに、時間を割いてくださって、感謝します。

私は就活の選考のことを言っているんじゃない。
ビジネスはしょうがないもん。
効率を上げ、生産性を最大化して、
なるべく低いコストで
たくさんお金を稼ぐこと。
それがビジネスなんだから。

でも、そうじゃなくて、
一人の人として、話している時。

確かに、認知的にも第一印象は重要。

でも、出来ないから相談しているんだし、
聞いても分からなかったからもう一度聞いているんです。

たった数時間でダメなんて言わないでほしい。

私は、ダメなりに他の面では、
魅力的なところもあると思うんです。
そこをぜひ見て。


決めつけモンスター=差別すること

こうやって、断面的にみて
決めつけるのって、
人種差別と同じ構造だと感じます。

肌が◯色だから…
◯◯の国の人だから…
◯◯の血を引いているから…
◯◯って言ったから…

そうやって、断面的に人を見て判断する。

論理の究極は「感覚」

少し話は変わって、
以前、『武器としての決断思考』を読みました。

ここには主に、自分の中でディベートをすることで、
今の最適解を見つけ出すと言うことが書いてあります。

ディベートをするのだから、その決断をする
メリットとデメリットをいくつか挙げ、
それぞれに対して、3回ほど反論させます。

それでも生き残った、反論に耐えたメリットとデメリットを
天秤にかけるのですが、結局、

最後の最後は「主観で決める」

ディベートっていうと、
客観的・論理的なイメージが強いので、
ちょっと腰抜けしますよね。笑

筆者によると、最後はその人の哲学や生き方に関わることなので、
主観で決めるそうです。


差別するのも1つの意見

ヘイトはいけない。確かにそうだ。

でも、その差別的な意見も、
1つの意見として頭ごなしに否定してはいけない
と最近感じます。
(やっとまとめっぽくなってきたけど、
まだまだ続きます。お付き合いください。)

なぜなら、論理的に(例えば、差別に対して)
賛成と反対を戦わせても、
結局、最後は、その人の主観、
つまり、感覚による判断になるからです。

確かに、
知らないから、
もう一面を見てないから、
そういう主張であるという場合も
大いにあるので、議論することは重要です。

しかし、その議論の上で、決着をつけるとなると、
その人の感覚、つまり、
育ってきた環境や経験によるもので
決着がつく

じゃあ、永遠に分かり合えないじゃんか。


器を大きくすることが差別や対立をなくす

意見の違う二人は、
話し合っても、話し合っても、
永遠に分かち合えない。

私と決めつけモンスターも
永遠に分かち合えない。

だって、今までの経験が違うから。

じゃあ、どうすればいいか。

第一段階として、

その意見もありだね!!

って認める力が必要なのではないだろうか!!

確かに、それだけじゃ何の解決にもならない。

今が南北戦争中だとしたら、
奴隷は必要!そうだね!

奴隷なんて人権侵害だ!
は、議論したのちに、
お互いそうだね!っていったところで
じゃあ、なくすの?続けるの?
って話になっちゃう。
(今の話じゃないよ!!!!)

人それぞれ、絶対に許せないラインはある。
私にもある。

でも、「それは違う!!」
って頭ごなしに否定するんじゃなくて、
もっと器を大きく、違う面から見てみて、
肯定してみることも
まずは必要なんじゃないかな。

待って、、、
これを解決するのって、演劇教育じゃね???

(急なヤンキー口調すみませんw)

ここまでが、私の最近感じていたこと。

ここからは、私の実現させたいこと。

この「器を大きくすること」って、
シアターエデュケーション=演劇教育でも
養えることなんです!!!!

演劇教育についてはこちら🔽

そのインターンで何をやったか、ざっくりはこちら🔽

演劇教育とは、
演劇をつくるという体験を通して、
傾聴力、自己肯定力などが身につく
という、
教育学の領域の一部として
主にアメリカやイギリスで学ばれています。

アメリカでは、「シアターか、スポーツか」というくらい
ポピュラーです。

スポーツと同じように、
チームで動くことで学ぶこともできます。


スポーツと違うのは、「下手でもいい」というところです。
教室という、「技術の向上」を目的としているのではなく、
ワークショップとして、
それまでの個人の経験を尊重して行うというのが
演劇教育には合うと思います。

で、本題。
以下、過去記事より。(アナ雪2のネタバレありw)

自分で思ったこと...
例えば、
「アナ雪のエルサって、
こう、堂々と歩いているよね!!」
って思ってそれを表現して、
でも、友達は
「エルサって、アナ雪2では死にそうになってた!
そこが印象的だった!」
って、表現して...
自分と友達の表現は全く違うけれど、
どっちもありだよね!!って
理解しあえる!!

この力がみんなにあれば、
戦争なくなりませんか???? 


はい、これ!!!!!!(大きな字で)

これって、今まで1500字くらい
読んでくださった内容まんまじゃん。
(そんなに、たくさんお付き合いありがとうございます)
(それより中間レポート終わらせろよという
ご鞭撻もありがとうございますw)

ということで、
演劇教育を通じて、
差別の第一段階を解消したい!

という夢でした!


最後までお読みいただきありがとうございました💓

ゆゆ







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